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2006年5月19日 (金)

あてのない旅

電話相談とは、電話をかける側の問題を、
受ける側が解決するもの、と考えられるようになったのは、
情報化の進み具合と関係があると、私は思っている。
「情報」という言葉が、まだ諜報的な響きを持って受けとられていた初期の頃は、
相談をする側も受ける側も、持っている情報量にはたいした差はなく、
お互いに「ああでもない、こうでもない」と
手探りで答えを探したものである。

その後、情報化が進むにつれて、情報は多ければ多いほど
正解をもたらすと思われるようになり、
「持っている人」は「持たない人」より優位で、
正解にたどり着く可能性も高いと思われるようになった。
つまり、受け手の情報量が多ければ多いほど、
かけ手に正解を提供できると考えられたのだ。
ここでの問題は、「情報を提供する」ということが
「正解を提供する」ことと混同されてしまっていたことである。

しかし、情報量が多ければ、選ぶのにも苦労するわけで、
「情報は多ければ多いほどよい」という、この考え方は、
どうやら違うらしいということが、だんだん分かってきた。
「正解」というのは、その辺に転がっているわけではなく、
自分で認識・決定するものだという考えが、ようやく一般的になってきたのだ。
「場の研究所」の所長で金沢工業大学教授の清水博さんのように
感度の高い人は、早くから
「情報はモノではなく、人が生み出すコトだ」と言ってきたし、
ドゥルーズなどもそう考えていたらしいことを知ると、
人間の違いは、人種や国籍ではなく、つくづく単なる個人差だと分かって面白い。

かつての職場の先輩は、電話相談を「いつも手探り」と表現していた。
これは、電話は相手が見えないというだけでなく、相談の本質でもある。
相談を受ける側は、あちこち飛躍する相手の話を、
まるで、とっちらかった部屋を片づけるみたいに整理し、焦点を絞っていくのだが、
どこに何を片づけるかは、受ける側に任されているから、
あっちへ入れるのか、こっちへしまうのかは、確かに手探りでしかない。
しかも、そうやって片づけた部屋は、持ち主の部屋とは似て非なるものに
なる可能性もあって、これが電話相談の恐ろしく、そして愉快なところでもある。
電話相談員は、「大いなる誤解」から抜け出せない宿命を負っており、
それが分かっていないと、危ないことこの上ないが、
肝に銘じておけば、気楽と言えば気楽ではある。

対話というのは、言ってみれば、あてのない旅だ。
心理学者の河合隼雄さんは、「先生は、なんにもしてくれなかった」と
クライアントに言われることがよくある、と著書の中に書いているが、
実際、電話の場合も何が相手に届いたのかは、よく分からないことが多い。
ただひたすら聴いていたら、相手が勝手に納得したと
感じることの方が多いものだ。

相談員になろうという人は、だれでも最初は
「少しでも不安を解消してあげたい」とか、
「人の役に立ちたい」などと意気込むが、
そう思えているうちは、まだシアワセだと言える。
たいていの相談員は、一度は
「今までの私は、なんだったんだろう」と落ち込んで
やっとスタート地点に立つ。

自分には、たいしたことはできないけど、
相談してくれる相手がいるから、自分は育つことができると
思えるようになって初めて、コトは始まると言える。

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