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2006年9月29日 (金)

患者の意思決定

意思決定のプロセスでは、情報の共有が前提としてあるのだけれど、
これって実際には、結構難しいと思うことが多い。

耳鼻科を受診したときのこと。
適当な耳鼻科が分からなかったので、とりあえず駅前の診療所を受診。
さんざん待たされて診察室へ入ってみると、ここがなんだか穴倉みたいなところで、
「いやあ、これはダメかも」と第六感が、しきりにサインを送ってくる。
でも、こんなに待ったし、今までの時間を無駄にしたくないという
理性の損得勘定に負けて、ようやく診察イスへ。
度の強いメガネをかけた、化粧の濃い中年の女医が問診。
スタッフ間の仲間うちの会話の中で、取り残される気分になりながら検査、処置。
「原因は分からない」「ステロイドを使う」「喉も腫れている」と断片だけを聞かされて、
「原因が分からないのにステロイド飲むのか」と言いそうになるが、
牛乳瓶の底みたいなメガネに気おされて、ぐっと飲み込む。
患者にモノを言わせないコツのひとつは、怖そうな雰囲気だと実感。

薬局で処方箋を出すと、山のような薬の中に抗生物質も入っていて、
薬剤師さんが「抗生剤がでていますけど?」と、いいのかと言わんばかりだ。
帰る道すがら、この山のような薬を飲むプラスと飲まないプラスは、
どちらが大きいか考えてみるが、もちろん答えなんか出ない。
診察料と薬で7000円近く出費したが、コトは自分の身体のことだし。
やっぱり、原因が分からないのに、試しに薬を飲まされるのは
ゴメンだと考えて、薬は全部捨てて、セカンドオピニオンをとることにする。
7000円は高い授業料というわけだ。
こうやって医療費が無駄になるのだろうけど、私のせいじゃない。

セカンドオピニオンは大きなF病院へ。ここの耳鼻科は中堅の男性医師。
大きいだけあって、さすがに検査室は整っているし、検査士もしっかりしている。
同じ検査をしたが、結果の解釈は前の医師とは反対で、
薬の必要はなく、悪くなるようなら、また来るようにと言われる。
ああ、山のような薬は捨てて正解だったのだと、少し安堵。

それから半年、ある日突然ふらつきを感じて、再度F病院を受診。
平衡感覚の検査もしてくれたが、特に異状はなく原因も分からない。
「原因はひとつひとつつぶしていかないと分からないし、
それでも分からないかもしれない。MRを撮っても
99%は異常ないという結果が出ることが多い。
年取ると、こういうことはあるし・・。
原因が分からないので薬は出せないけど、どうしますか」と言われて
そこまでしなくてもいいかなと、何もしないことを選択する。
薬を飲まなくて済むのはありがたいけど、でも、不快な症状が消えたわけではない。

こうして自分は確かに意思決定をしたのだけれど、
なんだかすっきりしないのはなぜなんだろう。
まあ、歩けないとか、起き上がれないとか、
日常生活には、そんなに大きな支障があるわけではなくて、
踊るときに、ちょっと困るくらいだけだけど、
やっぱり以前とは違っていて、気分は消極的だ。
この症状を元に戻してほしいというのが、私のニーズなのだけど
「原因は分からない」という方向へ巧みに誘導されて、
医療者の「私にはお手上げです」って結論に
同意させられたのが実態なんじゃないかという気もするのだ。

患者が我慢することを「意思決定」と言ってしまっては、
今までの医療とあんまり変わらないのではないか。
最初の診療所の医師のコミュニケーションは論外だが、
F病院の医師のインフォームド・コンセントも、何か違う。
たしかに感じは悪くはないが、価値観や姿勢が変わったという感じはしない。
どうも医療者のコミュニケーション能力の改善は、
根本的なところが手つかずのままになっているのではないか。

それはたぶん、「患者の意思決定」という言葉がひとり歩きをしているからだろう。
だから「意思決定」が目的になってしまう。よくあるパターンだ。
でも焦点を当てるべきなのは、コミュニケーションのプロセスであって、
そこから医療者が、何を自分の側の問題として発見したか、
ということではないだろうか。
ここが変わらないと、患者の満足も医療費の削減もないのだと思う。

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2006年9月13日 (水)

暴力と自立

「なぜ、日本は暴力の情報が溢れているのに、犯罪が少ないのか」
というテーマでハーバードから卒論を書きに来ていた甥は、
楽しい思い出を残して一昨日アメリカに帰国した。

しかし、それにしても帰国前の2週間は慌しかった。
7月から来ていたのだから、本当は、もっと早くアポイントを取ればよかったのだが、
家族旅行に参加して、中国や関西へ行っていたため
スケジュールに無理があって、エンジンがかからなかったのか、
通訳を頼んでいたもうひとりの甥が8月半ばに帰国したので、
お尻に火がついて、ようやくエンジンが全開したからなのか、
新聞社、テレビ局、政党など18ヶ所にインタビューの要望を手紙で出したのが8月末。
アメリカ人とはいえ、一介の大学生の要望に応えてくれるほど世の中は甘くないだろうと
返事が来なかったときのために、こちらは次の手を必死に考えた。
ツテがあるところは、すべてツテを使い、
最悪でも数社は確保しようと、さまざまに手を回した。

しかし結果的に15ヶ所から返事をもらうことができ、
これもさまざまなネットワークを使って知り合った、
留学経験のある日本人大学生に通訳を頼み、帰国2日前にすべてが完了。
アメリカと日本の身内には、インターネットを駆使して、
壮大な「プロジェクトX」を実行したような快い疲労感が残った。

彼がどのような卒論を書くのかは知るよしもないが、
このテーマは、アメリカと日本の子育ての違いについても考えさせてくれた。

アメリカでは、多くの家庭が早くからこどもを自立させようとする。
大学に入り、親元から離れてしまったら、干渉しないのが普通らしい。
どこで誰の世話になっているか、一切関知しない親も多いとか。
だからこどもは、早くから何事も自分で決めて実行する、という習慣を身に着ける。

日本はどうかといえば、一緒にいても離れていても、
常にこどもを気にかけている親の方が、おそらく圧倒的に多いだろう。
大学に入ったとしても、授業料はおろか、小遣いも充分すぎるほど
与えている親がほとんどではないかと思う。
こどもが、どこで何をしているか、つかんでいない親の方がたぶん少ない。
彼らは、長い間親の庇護の元で、良くも悪くも大事に育てられる。

家族社会学が専門の山田昌弘さんは、甥のインタビューに答えて
「一言で言えば、日本では家族と一緒に住んでいるから
若者の犯罪が少ないんですよ」と言っていた。
まあ、彼の専門分野からの発言ということを差し引いても
早くから自分の力で生きていくということは、
それだけつらい経験にさらされる機会が多いということでもある。
そのときに、緩衝地帯としての家族が身近にいるかどうかは大きい。
世の中が、さまざまな意味のない悪意に満ちていることを知らなければ、
つらい経験は、もろに当人の被害感情に結びついてしまう。
攻撃性の裏には被害感情があることを考えれば、
早い自立を促された結果、生きる力は身につくかもしれないが、
一方で、必要以上の攻撃性を身につけることにもなるだろう。
それを、どう表現するかは、その国の文化に関係する。

しかし逆に、いつまでも干渉され、世話を焼かれて自立を阻まれれば、
生きる力は身につかず、さらには違った意味での攻撃性を持つ可能性がある。
もちろん、日本で若年層の犯罪が増加していないのは、
自立と関係があるなんて言いたいわけではない。
自立をせかされれば、まず「お金」と考えるのが普通のこどもの発想だし、
そうなれば「持つ」か「持たない」かは大問題で、
その結果、アメリカは「お金万能社会」になるだけでなく、
貧富の差や、そこから生じるさまざまな不満、不安が
容易に暴力に結びついてしまうのではないかと思うのだ。

アメリカの子育ては、早くからほっぽり出しすぎるような気がするが、
一方で日本の子育ては、いつまでもうるさすぎるような気もする。
日本では「見守る」と言いながら、「見張っている」場合が少なくない。
「見て見ぬ振り」というのは、エネルギーのいることだが、
それができるおとなは、日本には案外少ないような気もする。
横並び意識も強いしー。

アメリカ人と中国人のハーフの甥は妙に日本人ぽく、
日本人とアメリカ人のハーフの甥は妙にアメリカ人ぽかった不思議。
どう生まれようと、自分の気質に合う国を選んで暮らせるようになることが
究極の理想なのかもしれないと思わされた今年の夏だった。

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