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2006年12月24日 (日)

コミュニケーションの可能性

今年も、あと1週間足らずで終わりなのだが、なんだか実感がない。
年々時間の流れが早くなり、ついこの間お正月だったのに、
もう次が来るのかと、いささかうんざりという感じなのだ。

今年の夏は、なんだかめちゃくちゃ暑くて、
いよいよ日本も亜熱帯に突入かと、やっとの思いでやり過ごした。
もう10年以上も前、某公益企業の広報ツールの企画で、
「都市に森があったら」というテーマを考えたことがあったが、森なんて甘いかもネ。
そのうち都市は正真正銘の、緑のジャングルになるかもしれない。
なんて思わされた夏だった。
ふだんは年を意識することは、ほとんどないのだけれど、
身体が適応しきれなかったりすると、年齢が意識に上る。
「敵は温暖化だ」とばかりは言っていられないわけで、
これが思慮深いってことなのかしらね。

さて、昨日は今年最後の人間学アカデミーの講義で、
講師は比較行動学者の正高信男さん。霊長類の研究で知られている。
人間学アカデミーの今期のテーマは「人はどこまで通じ合えるか」。
今までは、自分のなじみのない講師を知りたいと
毎回3人だけ選んで聞いていたのだが、
さすがに今期のテーマは私の仕事に直結していることもあり、
全講義を受講することに。

今期の最初の講師は生物学者の池田清彦さんだったが、
べらんめえ調の歯切れのよい講義が楽しかった。
私の考えていることと、ほとんど違和感がないのは、
全体テーマのせいなのかどうなのか分からないのだが、
進化は予測不可能というポイントは、しっかり確認できた。

正高さんの講義のタイトルは「コミュニケーションの可能性」で、
LDやアスペルガー、ADHDなどのコミュニケーション能力について論じながら
コミュニケーションとは何なのか、どこが難しいのかを考えようということのようだ。
しょっぱな、愛知県人ギャグには笑ってしまったが、
ナンバーセンスのテストで聴衆をつかむあたりは、さすが大阪人。
もっともこのテストでは、ひょっとしてひっかけがあるかもとはずしてみたら、
見事にまともなテストで、しっかり暗算ができない部類に入ってしまった。
いや、でもほんとに出来なかったのかもしれないのだけど。

正高さんによれば、数を数える能力は言語能力よりはるかに古く、
ライオンやねずみでも、この能力はあることから、
生物が生き延びるための、基本的な体感能力だと考えられているそうだ。
脳のMRIを見せながら、障害と脳機能の関係を対応させていくのは
いまどきの科学者らしい説明のしかただが、
小浜さんに、「そんなにはっきり言えるものなのか」と突っ込まれて
「統計的な処理をするために、閾値で切っているのであって、
決定論的にそうだと言っているわけではない」というあたりに、
研究費の獲得と、科学者としての真理探究との板ばさみ状態が垣間見える。

LDの割合は6%くらいあり、これは進化論的には淘汰されなかった
つまり、生物が生き延びる上での障害とは考えられてこなかったわけで、
結局「障害」かどうかは時代が決めているということになる。
実際、数学者にはアスペルガーが優位に多いし、医者にも結構多いらしい。
しかし数学者では問題がないとしても、医者の場合は、
患者とのコミュニケーションという問題があるから、ほおっておくわけにいかない。
だから今や、医学部志望者の中から、どうやって
それを選別するかが課題になっているのだそうだ。

私は、時代や社会に個人を適合させるのではなく、
個人(適材)の力が発揮できるような適所を作っていく方が、
よほど合理的だと思っているのだけれど、
そのためには「障害」という概念を変える必要がある。
ヤマト福祉財団が運営しているスワンベーカリーなどでは、
すでにそういう発想の転換がおこなわれている。
日本の教育は、欠点をなくそうと一生懸命になることで、
結果的に他の能力が伸びるのを阻んでおり、
だから大天才が出ないのだという正高さんの意見には賛成。
こんな国には未来はないでしょ、期待していない、
僕はおサルの研究ができればいいので・・と言いながらも、
障害を強みにするような療育に力を注いで行きたいという言葉に、
まだまだエネルギッシュな52歳の関西人を嗅ぎとってしまった。

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2006年12月10日 (日)

ダイアローグを支えるもの

先週末、菊地史彦さんが主催するビジネスマン向け
ワークショップで、久しぶりに講師を務めさせていただいた。
菊地さんは、ちくま書房から編集工学研究所の経営幹部を経て独立。
現在は㈱ケイズワークの代表を務めていらっしゃる。

私が初めてワークショップを経験したのは、受講生としてで、
25年前、自社の電話相談員向けに企画されたものだった。
これは、いわゆる体験学習とか感性訓練といわれるもので、
ゲームをやったり、ディスカッションをしたりして、
自分や自他との関係に気づき、組織の問題を発見し、
解決のための自分の役割を見出すことを目的にしていた。
電話相談という、自由にものを考えることの大事さを伝えている仕事なのに、
当時の社内は、業績が安定してきたこともあって、
組織の人間関係は井の中の蛙的で、徒弟制度的な上下関係も強く、
仕事自体もマンネリから抜け出せずにいた。
これが「女社会」のせいだったかどうかは、よく分からないが、
とにかく問題だったことは確かで、それで2泊3日の泊り込み研修が企画されたのだ。
安全が保障された環境で自由にものを言い合い、考えあうことは楽しく、
単純な私は、終わる頃にはすっかり解放され、
仕事でも、次の一歩を踏み出すことができた。

その後は受ける側ではなく企画する側にまわったので、社内だけでなく、
社外のさまざまな企業の仲良しに売り込んでは仕事として楽しんだ。
独立してからは、外来小児科学会に加入したので、そこでも何回か実施したが、
最初は数人だった参加者が、しまいには100人近くにもなってしまい、
(もちろん、これには応援してくださった先生方の尽力があったからだが)
なんだか、だんだん自分が意図したものとかけ離れてしまったので、
小児救急電話相談のテーマで講演する機会を与えてもらったのを機に、
とりあえず第一段階は終了することにした。
この学会はほかに比べて民主的で(といっても、たいして知っているほかが
あるわけではないが)、「先生」という呼称を使わないことをルールにするなど
フランクな学会だが、それでも医師と看護師、事務職の間には、
どうしても消えないバリヤーがあり、そこに医療者のコミュニケーションの
問題があると考えている私には、学会でのワークショップの
限界が見えたからでもある。

今回のワークショップは、ケイズワークの業務のひとつである、
組織内コミュニケーションの活性化に、私がおこなっている電話相談が
参考になるのではと考えて菊地さんが企画されたもので、
ブックカフェで菊地さんと対談形式でおこなうという、気楽で楽しいものだった。

話は、私が1994年に「小児内科」vol26に書いた
「情報化と電話相談の変遷」の図を手がかりに、
電話コミュニケーションが内包するウソと本音の話から始まり、
「理解」とは何か、答えを与える関係ではなく、
お互いが対等な他者としてかかわりながら答えを見出す
電話相談の関係の持ち方を探るというように展開していった。
「電話相談でやっていることは、普通のコミュニケーションと同じってことですね」
という菊地さんの意見には、大いに賛同。
電話相談は、カウンセリングでもあり、コンサルティングでもあり、
時には単なるおしゃべりでもあるという、複雑系のコミュニケーションだが、
それだけに説明が難しく、どうしても一面的にしか理解されないきらいがある。
でも私自身は、決してこれを特別なものだとは考えていない。
対面、非対面にかかわらず、普通のコミュニケーションとは
そういうものではないかと思っているからだ。
ただ、それが非常に難しく、成立しにくくなっているのが現代なのだ。

たとえば小津の「東京物語」を見ると、それがよく分かる。
今回はこの「東京物語」も素材にしながら対談したのだが、
昭和28年に製作されたこの小津の代表作を見ると、
尾道から上京する老夫婦のコミュニケーションのあり方と、
東京で生活する息子や娘のそれとは、明らかに違うことが分かる。
老夫婦のコミュニケーションが、いわばモノローグのやりとりで充足しているのに対し、
息子や娘のそれには、それが決定的に欠けているのだ。
生活環境が変わり、時間感覚や自我のあり方が変わるにしたがって
コミュニケーションからモノローグが失われて行き、
そして今、再びそれが求められてきているのではないか(と図には描いたのだが)、
そんな風に話は着地して、ワークショップは終わった。

哲学者の鷲田清一さんは、ポール・リクールを引用して、
「何かを本当に理解するというのは、同化ではなく、
必ず 『貪欲で自己愛的な自我の放棄』 を伴うものだ」と書いている。
小津は、近代化に伴って自我の放棄がなくなっていったことを
この時代、すでに見抜いていたのではないか。
今回のワークショップは、私にそんなことも気づかせてくれたのだった。

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