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2007年1月30日 (火)

少子化が代弁していること

電話相談は、問題を投げた側と投げかけられた側が、
お互いに協力して解決に取り組むコミュニケーションシステムだが、
解決のレベルは問題の意味をどう捉えるかで変わってくる。

小児科の時間外の相談では、
「『熱は出ないでしょう』って言われたんですが、帰ったら熱が高くなって」とか
「『治ってきているから、もう大丈夫』って言われたんだけど、咳が止まらなくて心配」
なんていうのがゴロゴロかかってくるわけだが、
これを熱や咳のレベルで終わらせてしまうのは片手落ちだ。
(そういうレベルの相談員は多いのだけどね)
電話相談はフィードバックシステムでもあって、
ここには診療場面のやりとりが映し出されており、
それはクリニックに対する問題提起でもあるからだ。

もちろん診療場面でのやりとりだからといって、
クライアントは必ずしもドクターやナースの言っていることを
正確に理解しているとは限らず、記憶もあやふやだったりということは多いから、
(う~ん、おかしいなあ、先生がそんなことを言うだろうか)と思っても、
「たぶん、こういう意味でそうおっしゃったのでしょう」とか
「その薬はこういうつもりで処方されたのでしょう」とフォローするのも電話相談の役目だ。

しかし、必要なことが説明されていなかったり、指導が不適切だと思われるときは、
心象を害さないように、しかし率直に分かりやすく、
クリニックに相談内容をフィードバックする。
電話相談員が相談者の代弁者(アドボケーター)である以上、
クライアントの声をクリニックにフィードバックするのも、
電話相談業務の一環なのだ。

ある小児科の先生が、
「勤務医のときは、同じ患者さんを何度も診るってことはほとんどなかったから、
自分が診た後どうなったかなんて気にすることは全然なかったんだけど、
開業してみたらさあ、全然違うんだよね。
『先生、こないだの薬、全然効かなかった』とか
『ちっともよくならない』なんて言われるのザラだもんね」
と打ち明けてくれたことがある。
患者からのフィードバックがあるから、
治療法や処方した薬の効果や、患者との接し方など、
すべてに直面することになり、それは大変でもあったが
それによって学ぶことも多く、開業医になってよかったと言うのが彼の感想だった。

ところで、これを社会の事象にあてはめてみたらどうなるだろう。

たとえば少子化と言われる問題。

女性がこどもを生まなくなったという現象が、
いつの間にか「こどもの数が少ないのが問題だ」という認識になり、
「どうやってこどもの数を増やすか」が至上命令みたいになっている。
女性がこどもを生まなくなったのは、こどもを生む以外にも
人生の選択肢があると思えるようになったから、生まなくなったのだ。
つまり多様な生き方ができるようになったと感じて、
そうしたいと思う女性が多くなったから、生まない女性が増えてきたのだ。
そこのところが、最近は意図的に忘れられているような感じがする。

もちろん、生んでも育てにくい社会だから生まないという人も多いだろう。
生みたいけど、条件が整っていないから生めないという人もいるだろう。
欲しいけどできないという人だっている。
だから生みたい人が生めるように、環境を整えることは大事なことだ。
しかし、少子化という現象が代弁しているのは、
こどもを生むことだけに価値を置くのではない、
多様な生き方をしたいという女性の声だということを忘れてもらっては困る。

それが分かっていないから「女性というこどもを生む機械」なんていう
お粗末で、洞察力のない発言が出てくるのだろうし、
少子化対策というと、「こどもの数を増やす」という
貧困な発想しか出てこないのだろう。

まあ、70歳のおじーちゃんに、少子化対策とは、
少子化現象から何を読み取り、それを社会にどう生かすかだと
理解してもらうのは、所詮無理な注文なのかもしれないが、
女性の生き方について、真剣に考えたこともない人たちに
政治家なんかやっていてもらいたくないと心底思う。

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2007年1月23日 (火)

硫黄島からの手紙

所用の帰りに銀座のチケット屋に寄り、後日見るつもりの
「硫黄島からの手紙」の特別鑑賞券を購入。
ふと時計を見たら2回目の回が始まったばかりで、
「今なら間に合う」と急いで丸の内ピカデリーへ。
混んでいたら止めようと思っていたが、うまく空席をゲットする。

クリント・イーストウッドが監督する映画を見るのは、
たぶんに彼に対する懐かしさもあるのだけど、
ミスティック・リバーにしてもミリオンダラー・ベイビーにしても、
彼が表現する枯れた何かに、なんとなく惹かれるからだ。
でもこの2作は可哀想で、どうしても2度見ることが出来ない。

前作「父親たちの星条旗」もたいへん地味な映画だったが、
出自が先住民族である兵士が人種問題と政治の二重の欺瞞に苦しみ、
アル中になっていく様子はとてもリアルに描かれていたのに、
語り手のアメリカ兵の苦悩が、今ひとつ迫ってこないなあ、
監督の力量が落ちたのかしらという思いがあり、
それもあって、実は次作への出足はちょっと鈍っていた。

「硫黄島からの手紙」もほとんど白黒に近い色使いで、
ドンパチが嫌いな私としては、ちょっと身を硬くするが、
出だしに現代を持ってきたことで、気持ちが少し和んでいく。
しかし、それにしても日本軍のお粗末さは目を覆うばかりだ。
もちろん話を分かりやすくするために、多少のデフォルメはあるのかもしれないが、
この、何かあるとたちまち国を挙げて興奮し、終わると何事もなかったかのように、
あっという間に忘れ去ってしまう、という国民性は何なのだろう。
文化的遺伝子でも備わっているというのだろうか。

前作では、アメリカのおろかさも充分に描かれており、
上官が、自分が欲しいからと立て直させた星条旗を、
戦意高揚のためのプロパガンダに利用するあたりは、いかにもアメリカらしく、
戦場では味方を誤爆して死に追いやるような致命的なミスもあるのだが、
それは現実の対応策がおろかという意味で、
なにやら喜劇的で、まだ救いがあるように感じられる。
けれども日本軍の、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦時訓による自爆や、
おそらく相当数あったであろう見殺しも含めた自軍兵士の殺害は、
観念に現実感覚が乗っ取られているという意味で、本当に救いがないと思わされる。
男も女も玉砕することの価値を信じて疑わず、
これは、現代から見れば相当に異様な光景だけれど、
おかしいと感じる少数派の感性は非国民と排斥され
勝てる望みのない戦争に怒涛のようになだれ込んでいく様子は
おろかというより、あきれてものが言えないという方が近い。

「父親たちの・・」で印象的だったのは
「彼らは国のためではなく、家族のために戦った」という回想だが、
「硫黄島・・」では「お国のために」というセリフが繰り返される。
ポール・ハギスの脚本が巧みなのは、大声で叫べば叫ぶほど、
それが本心ではない空虚な叫びである事実が顕わになっていくところだ。
ここには有用性という大義名分に対するさりげない異議が垣間見える。
「誰か(何か)の役に立つ」という考え方は一見とても美しく、
尊いもののように思われているが、実は落とし穴がある。
有用性(機能性)は個人化と背中合わせで、
個人化は近代化の最終目標だと思われているからだ。
この時代の日本人の個人化が進んでいたとは思わないけれど、
個人化を進めたアメリカ軍が、日本軍と同じように
大義名分をかざして兵士を使い捨てた実際を見れば、
それは、決して諸手をあげて迎えるべきものではなく、
むしろアメリカの轍を踏まないように、
気をつけなければならないものであることが分かる。

「硫黄島からの手紙」では、最後までこの戦争に対する
疑問を捨てなかった若い兵士が生を勝ち取る。
ここには栗林中将の思いに重ねた監督のメッセージがある。
「父親たちの星条旗」が共同体の論理につぶされ、
抵抗しようにもままならなかった個人の、静かな叫びだったとすれば、
「硫黄島からの手紙」は、その個人の叫びを今に届かせたという意味で、
これはどうしても2部作でなければならなかったのだ。

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2007年1月18日 (木)

『べてるの家』から吹く風

昨年末の大掃除で愕然としたのは、ツンドク状態の本の多さだった。
年々情報処理能力が落ちているのに、好奇心だけは変わらないから
購入はするのだけど、手に入ると安心して、なかなか読書へと展開しない。
中には読みかけの本もあるのだが、立花隆さんのような度胸がないので、
途中でやめても捨てられない。
今年は何とかこのツンドクの山を平坦にしようと密かに決意。
でも自信がないので、我が家恒例の各自の目標宣言には内緒にしておいた。

ところで、昨年ツンドクにならなかった本の中で、印象に残っているのは、
「『べてるの家』の非援助論」と「『べてるの家』の当事者研究」の2冊。
べてるの家は、北海道の浦河という、おそらく相当辺鄙なところにある
精神障害者の自立支援のための場所だ。
ここで生活している、主に統合失調症の人たちの、自立に至るでこぼこの道のりが、
援助する側と当事者の両方の視点からまとめられている。
統合失調症という関係障害の当事者と、その支援者たちの悪戦苦闘ぶりが
エピソードやイラストで笑いをまぶされ、突き抜けた明るさをもって描かれているが、
主張されていることは、決して軽いものではない。

たとえば、ソーシャルワーカーであり、べてるの家の理事でもある向谷地さんは、
28年前に浦河の精神科病棟に赴任した際に、
日本の精神医療から
患者を囲い込む  ”囲”学、
医療者が管理する”管”護、
患者を服従させる ”服”祉 を感じとっている。
しかしこれは、なにも精神医療に限ったことではなく、
一般医療でも普通に、しかし意識されることなく続いてきた事実だろう。
それは今、少しずつ見直され始めているいるが、
べてるの家は30年近く前に、こうした問題意識を持ってスタートしたのだ。

「『べてるの家』から吹く風」は、この2冊とは別の出版社から
昨年3月に出された本で、上記のダイジェスト版的性格のものだが、
向谷地さん自身が執筆している分、メッセージはより直裁である。
べてるの家でおこなわれていることは、端的に言ってしまえば
精神疾患を持つ人たちが、ピア(仲間)サポートにより、
徹底的な自己洞察をおこないながら、
自ら自分に対する対処法を発見していくというプロセスだが、
これがどれほど難しいかは、自分探しと称する研修が
大流行の昨今を見ればよく分かる。
幻聴や幻覚という症状がないだけ、一般人は気づきからは遠い。

この中で向谷地さんは、精神科医の腕の見せどころは
「悩み、考える力を奪わない」処方を心がけることだと述べているが、
それは幻聴や幻覚を持ち続けつつ、それを飼いならしていく方法を
見つけることでもあるから、当然周りも覚悟を試されることになる。
向谷地さんが「もっとも関わりの難しかったクライアントは私自身でした」
と述懐しているのは、そのことを指しているのだろう。
自分というものは、他者に出会うことによって初めて見えてくるものなのだ。

医療者にとってクライアントは他者であるはずだが、
医療の現場で他者として出会うのは、とても難しいのが現状だろう。
この本の中では、福祉関係者を対象としたワークショップで
「当事者主体の援助とは」を2人一組で表現させてみると、
彼らでさえ認識がばらけるということ述べられているが、
私の経験でも、医療者の多くは「支援」を「優しい指導」と自分に都合よく解釈し、
クライアントという鏡(他者)に自分を映して、それが独りよがりでないかどうか
振り返るといったことは、極力避けているといった印象が強い。

向谷地さんが言うように、

専門家が「答え」と「真理」の鍵を常に握っているとする専門家神話は、
すでに崩壊しつつある。ちまたでは「専門家の当事者化」と
「当事者の専門化」がはじまっている。
だれもが「自分の人生の当事者」にならなければいけない時代

であることは確かだ。
そして「当事者の風」が吹いているのは、
もちろん精神医療の現場にかぎったことではないだろう。

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2007年1月12日 (金)

志のネットワーク

年賀状が、まだ五月雨のように来る。
去年返事が来なかった人や、成人式が終わってから、
やっと年賀状書きに取りかかったという人などからもあり、
今年はなんとなく、いつもの年とは違うゆったり感が漂っているような気がする。
年賀状のやりとりは、虚礼などと言われて、
勤めていた頃は廃止するのしないのと喧しかったが、
これは、あくまで企業社会での話なのだろう。
会社という枠組みがなくても、個人としての関係が残っていれば
相変わらず年賀状は続くわけで、習慣の力は偉大だ。
どこで止めたらいいのか分からないのが習慣というものなのかもしれない。

5年くらい前は、これからはインターネット上での年賀状のやりとりが
主流になるのかと思ったこともあったけれど、どうなのかしらね。
私のまわりでは、あまり定着していないような気がする。
私たちは、手間で気持ちを量るってところがあるけど、
それで言うと、インターネットの年賀状は、あまりに手軽すぎて、
「ああ、覚えていてくれたんだ!」って感激でもないかぎり、
どうしても簡単に済ませたって印象が拭えない。

今年の年賀状の、もうひとつの印象は、字が丁寧になった感じがすることだ。
達筆の人も、そうでない人もね。
宛名はもうほとんどの人が印刷だが、ちらほらと肉筆の人もいる。
その肉筆が、メッセージも含めて丁寧に書かれているのが今年の印象だ。
急に年とった人が増えたってわけじゃないから、
何か時間の流れが変わりつつあるのかもしれない。

「今年は会いましょう」というメッセージは年賀状の定番だけど、
今年はそれに加えて、「今年こそみんなで会いましょう、
じゃないと誰か死んじゃうかも」なんていうのもあり、
ホントにそうだよなあと、思わず笑ってしまった。
「明日できることは、今日やらない」っていうのもありだけど
明日がある保証はないからね、生きているうちに早く会わなくちゃ。

紙面一杯に、老眼にはちょいとつらいほど細かい字で
近況を綴っている年賀状が多い中で目に留まるのは、
短くてもオリジナルで気の利いたメッセージだ。
「統合された一体感より、入れ子になったそれぞれの物語を楽しみたい」
なんていうのは、入れ子、物語というキーワードに
差出人の感性が感じられて、「生物多様性」なんて言葉が思い浮かぶ。

小児科ドクターからは激励の年賀状もたくさんいただいた。
「小児科医の日頃の過剰診療が、時間外コンビ二化をすすめています。
『本当の患者』はまれです」と書いてくださったドクターもあり、
医療の世界でも、何かが変わりつつあるのを感じる。
ドクターがむやみに忙しくなく、かつ経営的にも成り立って、
同時にクライアント(患者)にとってもハッピーであるような
小児医療システムの一翼を担って行きたい、というのが私の願いだが、
そのためには、医療の常識が変わる必要がある。
志を同じくする人と出会うのは、なかなか難しいけれど、
集団とか組織ではなく、個々のドクターとネットワークを結んでいくことが、
その手始めになるのだろうと、ちょっと嬉しくなった。

この仕事をやってみないかと、巧みに私を二階に上げて
さっと梯子をはずしてしまった敬愛するドクターに感謝しなくては。

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2007年1月 1日 (月)

亥の知

大晦日の夜は、除夜の鐘を聞きながら近所の神社へ初詣に行く。
小さな神社だが、鐘を鳴らして祈願すると、
神主さんがひとりひとりにお神酒をついでくれるので、
それをいただき、みかんをもらって帰る。
今年のお神酒はとびきりおいしくて、下戸の私でもおかわりがほしかった。
年々お参りする人が多くなっている感じがするのは、
もちろん神道の信者が増えているわけではなく、
小さな神社の地味な行事に惹かれる人が多くなっているということか。
おみくじを引いたら、今年は大吉だった。

春風の 吹けばおのずと山かげの
梅も桜も 花は咲くなり

なんて歌に、なんだか勇気づけられてしまうのは、
同じことを自分も考えていて、それに共感してもらえたからかもしれない。

帰宅したら月曜なのに「朝まで生テレビ」をやっていたが、
結局途中で寝てしまうことに。
どうやってしゃべりまくるか、注目を浴びるか
ということばかりにウエイトが置かれて、なかなか議論が深まらないのは、
横並び意識が強い日本人特有の目立ちたがり癖か、テレビメディアの特性か。

4時間ほど寝て元旦の朝を迎え、家族が起きてくるまで
新聞を読んでみるが、これも内容が乏しい。
う~ん、マスメディアは、本当に末期症状なのかもネ。

今年は元旦が月曜日なので、朝はFMTOKYOから始まるはずなのだが、
大掃除のときにチューナーが壊れてしまい、
新年最初のパーソナリティの第一声が聞けないのが残念。

毎朝聞いているFMTOKYOのパーソナリティが七尾藍佳さんから
石川實さんに代わったのは、昨年の10月。
2年前の立花裕人さんと七尾藍佳さんとのコンビは絶妙で、
このおしゃべりからずいぶん元気をもらったが、
その後単独パーソナリティになった七尾さんの、
切っ先鋭い、的を得た事象の切り取り方も楽しくて、毎朝が楽しみだった。
だから、七尾さんが交替すると聞いたときは、正直がっかりしたものである。
ニュースゼロに関わると聞いたが、今のところ表に出てきていない。
というか、正確に言うとニュースゼロに食指が動いていないだけなのだけど。

FMTOKYOのパーソナリティでは、
詩人の清水哲男さんの落ち着いた低音に馴染んでいたので、
彼が交代したときが一番落胆が大きかった。
しゃべりのテンポが早くなっただけでなく、かかる音楽もやたらに騒々しくなり、
なにも朝からそんなにうるさくしなくてもーと思ったものだが、
明らかにリスナー層を若返らせようという意図が感じられた。
この雰囲気の変化には、慣れるまでちょっとした時間を要したけれど
チャンネルを変えなかったのは、ながら聴取のゆえだ。

朝のラジオは、すでに習慣化しており、音楽ではなく
聞きたいおしゃべりだけを選んで聞いているうちに慣れてしまったのだ。
感覚の選択力というのはなかなかのもので、これがあるから
私たちは無事生きていられるってところがある。
この選択力は、聴覚だけでなく、もちろん視覚にもあるから、
私たちは、自分が見たり聞いたりしたものが真実だと思う癖があるけれども、
実は見たいもの、聞きたいものしか捉えていないのが実際で、
これが真実だと息巻いてみても、実は主観が捉えた
事実のひとつにすぎないというのがほとんどだ。
ついでに言えば、目では見ているつもりがなくても、
脳では見ているということがあるから、感覚といっても一筋縄ではいかない。

で、新しいパーソナリティになった石川實さんは猛烈な早口で、
最初は何を言っているかよく分からないほど言葉が滑って、
さすがの私も「ちょっと早すぎる」と感じたほどだったが、
そこは双方向になりつつあるラジオメディアのこと、
初日からリアルタイムで「早い」という反応が入った。
石川實さんに代わった当初は、七尾さんの
小気味よいコメントが聞けなくなるのかと、正直がっかりしたのだが
そのうちに石川さんの早口が歯切れよく感じられるようになったのは、
おしゃべりの中に、彼の人間性が感じられるようになってきたからだろう。
七尾さんのコメントは、制度の側に対して胸がすくような鋭さがあったが、
石川さんのよさは、リスナーに対しても率直なところだ。
「先輩に何ですけど」と言いながら、おもねるところがない。
これが28歳(七尾さん)と40歳(石川さん)の差だとしたら、
彼の起用は高齢化に向かっている時代に、結構的を得ていると言えそうだ。

マスメディアの生命(いのち)は、結局のところ個々人のパーソナリティに
負うところが大なのだけれど、そのことがもっとも理解されていないのは、
案外電話というパーソナルメディアのような気がする。

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