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2007年2月18日 (日)

私の音譜は武装している

娘が今年初めて出演した芝居を見に行く。
場所は荻窪にある、劇団ハラホロシャングリラのアトリエ。
一緒に行く息子が、なかなか学校から帰宅せず、
帰って来るなり発した「ヒルメシ!」という声に、
できあがったばかりのチョコレートケーキをあてがい、
「小走りは疲れるんだぜ。走るならちゃんと走れよ」と揶揄されながらバス停へ。
この時点で、すでに15分遅れは確実になり、
駅で手土産を購入し、ようやく来た電車に乗ると、もう疲労困憊している。

アトリエに着いたときには、計算どおり開演から15分が過ぎていたが、
受付のスタッフが、てきぱきと一番前の桟敷席へ滑り込ませてくれた。

大学で心理を勉強している女子大生たちのゼミ合宿での話で、
なぜか山登りと楽器の練習のために集まっているらしい。
今どきの若い子らしく、他者に気遣い、本音を出そうにも
人形に託してしか言えない子がいるかと思えば、
自分の中の空虚を埋めるためには、性的関係でもなんでも
あっけらかんと結んでしまい、そのことを悪びれるというより
その空しさを鎧にして生きていこうとしている子もいる。
かと思えば、つながりを感じるために、強引に他者を思い通りにしようとする子や、
自信のなさを学問で埋めようとしていたはずなのに、
ひょんなことから結婚することになって、あっさりと勉学を捨てる子もいて、
まあ、青春とはいつの時代も変わらないなあと思わされる。

私たちの世代が青春を謳歌していた、ん十年前は、
まだある種の(保守的な)価値観が確固とあり、
それを破ったり無視したりするためにはエネルギーも必要で、
それに反発したり共感したりすることで、自分を確認できた。
今の若い世代が痛々しく見えるのは、
そんな風にぶつかる価値観の壁がすでになくなり、
何を選んでもいい反面、どこにどのような重みをつけるかも
すべて自分で考えなければならない、という難しさを背負っているからだろう。
年寄り世代は、積み上げてきた過去に寄りかかり、そこから、
あたかも確固とした価値の優劣があるかのように、ものを言うけれども、
「今」の真っ只中にいる連中は、すべてが相対化されていく中で
選ぶこと以前の問題に悩んでいるのだ。
このことは、90年代初めには、すでに電話相談の中で兆しが見えていたが、
それからまもなく「なんでもありよねー」という言葉が日常的になる。

まあ、今確実に言えることは、未来は予測不能で、誰にも正解は分からず
というより正解というものは、本当はないものなのかもしれず、
だから、自信を持って暗中模索すればいいということなのだけれど、
そう言い切るだけの力が年寄り世代にないのが問題なのかもね。

最後の楽器の練習シーンが突如アドリブっぽくなったのは、
人生には筋書きがないってことを言いたかったのだろうか、と考えながら帰路に。
脚本と演出で創りこまれた芝居が、そこだけ違うリズムをかもし出し、
図らずも人生そのものが垣間見えて、タイトルが味わい深く感じられた。

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2007年2月16日 (金)

ニワトリかタマゴか

私の仕事では、クライアントというのは業務委託者である小児科開業医なのだが、
そのクライアントから、「先日相談した人から『話を聞いていただので
落ち着いて対処できました。ありがとうございました』というお礼があったよ」
などというフィードバックが来ることがある。
ところがこういうのにかぎって、何がよかったのか分からないことが多い。
(いやあ、これは小児科領域じゃないよね)などと思いながら
ああでもない、こうでもないと2人で答えを探り、
およそすっきりしない結論で終わったりしている。
相談とは答えを提供することではなく、
答えを探すプロセスに参加することだと分かっていても、
こんなんでいいのかなあと思うことはよくあるのだ。
なのに、そういうのに限って、「よかった」などと言われる。
まったく、こちらは狐につままれたような気分だ。
そしてますます、「何が通じているのか」分からなくなる。

誤解こそが変化の原動力だと言ったのは、
日本語史が専門の宇都宮大学教授 小池清治さん。
ニッポンがニホンと呼ばれるようになったのも、「日本」を誤読したのが原因だとか。
「日本」という国名は、7世紀に国体が改まったことを中国に宣言するのに
相手に分かるように中国読みの「ニッポン」と定めたからで、
当時の日本語には、「ッ」という促音や「ン」という撥音を表す文字はなかった。
だから「日本」と書いて読みは「ニッポン」と読ませたのだ。
これらの音の表記が開発されたのは、それから500年も後のことで、
しかしその頃にはすでに、「ニッポン」と読ませた意図は伝わらなくなっており、
「日本」は文字通り「ニホン」と読まれるようになる。
室町末期から江戸初期にかけては、「ニッポン」「ニフォン」「ニホン」が混在し、
「ジッポン」と読む人もいて、当時の西洋人にはそれが「ジャポン」と聞こえ、
こうして「ジャパン」が誕生したのだろうと、小池さんは推測する。

「千利休」を「センノリキュウ」、「合点」を「ガッテン」というように、
言葉の通りに読むのを言葉読み、
「文字」を「モジ」のように文字通りに読むのを文字読みというのだそうだが、
これを、書かれていないことを読む力があるか、
書かれていることしか読めないかという風に考えると、
コミュニケーションの様相を帯びた話になる。
文字読みは言葉を知らないという意味では、無学ということなのだが、
そういう誤解が変化をもたらし、新しいものを生んでいくと池田さんは考える。
人と人とは通じ合わない(誤解で成り立っている)という点では私と同意見だ。

言葉と文字との関係は、表現と技術の問題に似ている。
画家は「絵は技術じゃない」というのが口癖だった。
しかし実際に描く段になると、何を描くかより技術を教えることが主眼になった。
生徒の「こんな風に描きたい」という思いは、
風船がしぼむように、だんだん小さくなり、そのうちに袂を分かってしまう。
教師の責任感からか、技術がないと表現の幅が狭くなると考えているからかは、
定かではないが、生徒の側は、表現したい欲求の方が強いから
どうしてもそこで食い違ってしまう。
こうした食い違いが、どこから来るのかは、
ブリジストン美術館で、ある日Wou-ki(趙無極)を見たときに気づいた。
Wou-kiの絵には、こちらをぐらぐらと揺さぶるものがあったが、
それは、彼が自然をどう捉え、どう表現したいかという強い欲求が、
独特の手法によって、見事に表現されていたからなのだ。
画家の手法は、Wou-kiそっくりだったが、手法があっても
表現したいものがなければ、伝わるものがないということなのだ。
「自分にできることは、技術を教えることだけ」という口癖は、
文字通り、技術はあるが表現することがないという意味だった。

目的と手段が切り離されて、
手段の獲得が目的になってしまうのは現代の特徴なのだろう。

量的研究が行き詰っているために、質的研究がトレンドになっているらしいが、
その勉強会というのに参加してみたりすると、分析方法を学ぶ会だったりする。
「こういうことを研究したいので、それにふさわしい方法を学びたい」
ということではなくて、まず研究方法を習得して、
それから何を研究するかを決めるということらしい。
学校の勉強も学位の取得も、そういうやり方できているので、
いまさら変更がきかないということもあるのだろう。
効率を重視する社会では、それが生きる術を身に着けるということなのかもしれない。

でも、そうやって目的と手段が転倒する中で、
高度な専門知識や資格を身につけた人たちが、
どこか空しさを感じつつ、必死にそれを埋めようとしているように見えなくもない。
ニワトリを手に入れるためにタマゴを温めるのか、
タマゴを手に入れるためにニワトリを飼うのかというのは、
なかなか答えが出ない問題なのかもしれないが、
「自分は技術しか教えられない」と言いながら、
いや、だからこそ技術に固執してしまうところに、芸術家特有の、
時代を先取りした悲痛な叫びが込められているような感じもする。

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