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2007年11月30日 (金)

ピンチはチャンス?

先週末は、あるDrに教えていただいた「地域医療研究会全国大会」
という集会に、初めて参加してみた。
場所は、かずさアカデミアパークで、こちらへ行くのも初めて。
ここは木更津の駅からシャトルバスで20分という、めちゃくちゃ不便な所にあるが、
ホテルオークラが隣接しており、楓の紅葉が美しい施設自体はとってもお洒落で、
どうやって経営を維持しているのか見当もつかないことを除けば、
スタッフの感じもよく、気分よく2日間を終えた。

サービスのあり方を評価する時に、よくホテルの接遇がベンチマークされるけれど
その本質は、サービスを提供する側が、
自分の軸をきっちり持っているということにつきるだろう。
この軸というのは、自尊感と言ってもいいのかもしれないが、
どのように相手に合わせても、変わらずにそこにある何か、というようなものだ。
自我とかプライドというのとは、ちょっと違う、
世の中の基準とは別の何かに準拠しているものだ。
まあ、風にゆれる暖簾みたいなものかもしれない。
風の吹き方によって、暖簾はさまざまにゆれるけれど、
暖簾自体がなくなることは、ない。

ここのところが往々にして誤解されることが多くて、
サービスというと相手の言うなりになることだと勘違いし、
あげくに「そんなのやってられるか」と切れて、「やっぱりやーめた」となるか、
「こっちはお客のためを考えてやっているので、正しいのはこっちなんだから、
お客は自分の言うことを聞くべき(聞いたほうが得)」というように
究極の自己中心主義を展開するか、どちらかになってしまう。
暖簾であること、というのは結構難しいものなのだけど
案外それは理解されていないような気がする。

ところでこの研究会では、「新たな医療制度はどうあるべきか」をメインテーマに
在宅医療や地域医療、介護保険制度、ターミナルケアなど
さまざまな観点からのアプローチが試みられていた。
「新たな医療制度はどうあるべきか」というシンポジウムでは、
「金がないからいい医療ができない」「財源は消費税」という声が上がる一方で、
求められる医療の内容が変わってきており、高度経済成長期に
組み立てられた保険制度や、病院の役割が変わってきているのに、
それに対応できていないことが問題だという発言もあった。
それは2日目の分科会「地域でこどもを支える」での内容とも通低していた。
この分科会では、小児の在宅看護を適切におこなうには何が必要か
が話し合われたが、印象に残ったのは障害の重度重複化が増加している
というデータで、この背景には医療の進歩があると分析されていた。

北海道羅臼町の町長がいみじくも指摘したように
「健康な住民を作ることと病院を経営することは矛盾している」。
疾病が軽症化したのは生活が豊かになったからだろう。
それが寿命を延ばし、高齢化を促進している。
結果として病をターゲットにした医療機関の経営は難しくなる。
ホントは何もする必要がないのに、経営を維持するために
いろいろとやっているという医療機関は案外多いのだろう。
下手をすると病を作り出すことまでやってしまう。
「見失ってるよねー」というあれだ。
でも片方には「医療の進歩が作り出した患者」という確実な医療ニーズがあり、
そしてそれには、すごく手間と時間がかかる。

こんな難しい問題をどうやって解いたらいいのか、
私には全然分からないが、誰もが平等に不要な医療を受けるのは
おかしいということだけは分かる。
でも、必要なところへ必要なだけ資源をまわして、
それで患者(潜在的なのも含めて)も医療者もハッピーになるなんて方法は
そう簡単には見つからないでしょうねえ。

だったら、とりあえず96歳の日野原先生(お元気!)が述べていらしたように、
「自分がいいと思ったことは、法律なんか恐れずどんどんやる」ってことかも。
医療者は、はたしてピンチをチャンスに変えられるだろうか。

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2007年11月22日 (木)

ヒトというメディア

先週末、千葉県芸術祭の後で風邪ひきさんの隣でご飯を食べたせいか、
週明けから鼻水とくしゃみがひどくなる。
熱はないのだけど、頭がちゃんと働かないし、やたらに眠い。
ふだんから、眠るのは好きなので、これが体調のせいなのか
どうなのか、本人にもなかなか判別できない。
だらだらとしたいのに、大手を振ってだらけられるほど体調はひどくなく、
だからといって、普通にがんばれるほど元気でもない。
休むことに後ろめたさを感じる世代にとっては、こういうのが一番困る。
でも、葛根湯を3回くらい服用し、バレエのレッスンは1回お休みして
やっとほぼ普通に戻ったみたいだ。

質的研究勉強会のリーダーだった先生から3週間ぶりにメールが届く。
3週間前の東日本外来小児科学研究会の講演は、
脳梗塞で倒れられて自宅療養中とのことで、録音テープでの講演だったが、
お元気そうな声で、「ひとまずは安心」という感じだったので、
講演の中で疑問に思ったことをメールで質問しておいたのだ。
なかなか返事がないので、リハビリが大変なのかなあ、それとも
ひょっとして次の勉強会に出ていらして、そこでお話しくださるつもりなのかも
などと、勝手に推測していたところだった。
倒れたのは3回目なのに、お元気なのは、やっぱりお医者さんだから
治療が万全なんだ、などと考えていたところだった。
ところがメールには、脳梗塞の予後は問題ないが、
研究会の前日に胃の全摘出を受けて、そっちの予後はよくない
と淡々と書いてあって、これにはこっちが動転してしまった。
今頃何で胃がんなんだというのが、正直な気持ちなのだ。
1ヶ月くらい前に、打ち合わせを終えて、おそば屋さんで夕食をご一緒したときは、
そんな感じは微塵もなく、「じゃ、ボクはこれから銭湯へ行くから」とお別れしたのに。

小児科医のメーリングリストで、幅広く話題を提供していた先生が
ある日突然「亡くなりました」というお知らせとともに消えてしまったことがある。
お医者さんでも突然死するんだ!というのは衝撃だった。
本人が気がつかないはずはないから、おそらく死を意識しながらも、
それを匂わさないように元気なメールを書き続けていたのだろうが、
でもひょっとすると、いよいよという段階まで
気がつかなかったということもあるのかもしれない。

脳梗塞の先生だって、7年くらい前にEBMの勉強会を始められた頃、
耳の聞こえが悪い感じを受けることがあり、大丈夫かなあと思っていたら、
ある日、突然倒れたという一報が入った。
私の初めての研究発表を、興味深そうに聞いてくださっていらしたので、
いやあ、参ったなあと思っていたら、脳外科手術を受けられて、
あっという間に退院し、その後、質的研究勉強会を始められた。
私にとっては、この研究会で自分の論文を後押ししていただけて
とても心強い思いを持っていたから、これからというときに
胃がんくらいでヘタっていただくわけにはいかないという思いが強い。

かといって「頑張ってください」という言葉は、
医療の縁側に属する者としては、吐くわけにはいかないので、
「よくなるのを心待ちにしています」とお返事を書いて、
それまでに、先生の専門領域だった地域医療について、
少しでも勉強しておこうと心に決めた。

前の世代から受け継いだものを、今の世代は次の世代に渡していく。
だから人はメディア(メディウム)だと言われるのだろう。

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2007年11月12日 (月)

医療の縁側

土曜日のNONの定例会は岡部大祐さんの
「意思決定の実際とヘルス・コミュニケーション」というお話。
岡部さんは現在青山学院大学大学院の学生で、
医療のさまざまな場面で求められる意思決定についての違和感を
がん患者としての経験から語ってくださる。

医療の分野では、正常という仮想からはずれた人を患者と呼び、
それを元に戻すことを医療=医学の役割と捉えている(ように見える)が
そこからしてどうなんだろうというのが、彼の出発点だ。
むしろ健康からはずれた後の道筋を、どうつけるかを
一緒に考えるのが医療なんじゃないかと言いいたいようだ。

ふと、ゴルフを思い浮かべる。
私自身は、止まっているボールより、動いているボールを打つほうが好きなので
ゴルフはやったことがないのだけれど、観るのは他のスポーツ同様大好きだ。
ゴルフでは、通常フェアウエイというコースにボールを乗せて、
何打でカップにボールを入れるかで勝負を決める。
打数が少なければ少ないほど、腕前はいいとされている。
途中バンカーとか池とか、林とか、いろいろな障害物があって
不運にしてそういうところに入り込んでしまったボールを
どうやって出すかがゴルファーの腕の見せ所だから、
観客席にいる者としては、そこでいかに見事なショットが出るかを
観るのも楽しみのひとつだ。
先日の某大会では、ハニカミ王子の石川遼クンが、
裸足で池に入って落ちたボールを外へ出し、喝采を浴びていた。

これまでの医療では、患者はいわばゴルフボールであり、
フェアウエイからはずれたボールを、いかに元に戻すかが医療者の役目であって、
それが医療というものだと考えられてきたのだろう。
でも本当は(というより現代の医療は、というべきなのだろうが)
患者こそがゴルファーなのであって、人生というボールを
どう最終ホールまで進めるかは、患者に任されている。

ゴルファーには、重たいゴルフバックを担いで同行するキャディがいて、
バンカーとか池といったアクシデント(病気)に直面したときに、
ここは何番のアイアン(とか言うのでしょ?)がいいとか、
「いつもどおり強気で行け」とか、さりげなくアドバイスしてくれる。
医療者というのは、このキャディなんだろうと、私は思うのだ。

最近は、流行りのように『患者の意思決定支援』という言葉が聞かれるけれど、
ここで言われていることは「医学的に適切な選択をする」ことであって、
医療の枠を外れた部分が考えられていないんじゃないか、と岡部さんは言う。
実際には、医学的に適切かどうかという根拠が見えないことは
たくさんあるのだけど、肝心の医療者自身がそこに気がついていないから、
手持ちの情報の中で、患者に人生の決断を迫ったりする。
ゴルフというスポーツは、あくまでもコースの中でのプレイであって
人生はゴルフコースの外にあるということを忘れてしまうのだ。
池にボールを沈めたり、ラフでボールを見失ったりして、
「ああ、今日はもうダメ」と思ったら、プレイは終了できるのに
医療はなかなかそういう選択を許そうとしない。

患者がゴルファーとしてプレイできるようになるためには、
医療者が、自分が携わる医療や、自分自身の医療観について
相対化する力をつけていくことが必要だ。
その方法のひとつを、彼は「縁側」の創出と表現していた。
真理は周辺に宿る、という言葉を持ち出すまでもなく、
これは、なかなかいい表現だと思う。
医療という家の中に住む医療者たちにとって、患者はたまに訪れる客人だ。
そこには玄関から入ってくるお客もいれば、勝手口から顔を覗かせるお客もいる。
ご近所さんにとっては、ちょっと腰かけてお喋りができる
陽だまりの縁側があったら、そこで用事を済ませることもできるし
ちょっとお茶などいただいて、また自分の生活に戻って行くこともできるだろう。
家の中と外をつなぐ「縁側」という場所は、
客人と家主が交流するための貴重な場所なのだけれど、
こういうしくみを備えた家は、最近ではめっきり少なくなってしまった。
開かれた心がなくなりつつあるということかもしれない。
でも、「縁側」は、客人がちょっと立ち寄るためだけでなく、
医療という家の主が、外の風に当るためにも必要だろうと思う。
医療トラブルを未然に防ぐためにも。

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2007年11月 6日 (火)

ほんとうの気持ち

久しぶりの休み明けでギンレイへ。

今回の2本立ては「輝ける女たち」と「リトル・チルドレン」
「輝ける・・」は養子の父親と異母兄妹が軸の複雑な家族物語で
カトリーヌ・ドヌーヴやエマニュエル・ベアールなども絡んでいるフランス映画。
「リトル・・」はアメリカ映画だが、主演はケイト・ウインスレットで、
性障害者やモラトリアムの父親、子育て中の母親の空虚感を描いた、
これもさまざまな家族の物語だ。
アメリカにも公園で井戸端会議に興じる母親がいるというのは、
まあ、当然と言えば当然なのだけど、なんだか発見だった。

最近の映画は、やたらに展開が早いのがある一方で、
時間の流れを淡々と描いて、なかなか終わらず、
途中で居眠りをして起きても、まだ終わっていないというのもあって、
時間を描くのがテーマなのだろうと思わせられる。
人生は、そんなに劇的なわけじゃないってことが当たり前になってきたので、
むしろ刺激的なトピックを描くよりも、どおってことのない日常の流れの中で、
人がどのようにコトに対処し、心を変化させていくかが
テーマになってきているということかもしれない。

こうした映画の状況に比べると、現実の方はまだまだ騒々しい。
これは、ひとつにはメディアの報道の仕方もあるのだろうが、
目立ちたがり屋が多くなっているってこともあるのだろう。
メディアで報道されることと、内容が優れているということとは
全然別の問題なのだけど、鑑賞する側は、それがお墨付きだと錯覚しているので
報道されることで評価を代替させようとする動きはなくならない。

民主党の党首は密室会談で注目を浴び、
役員会で賛同を得られなかったといって辞任表明して、再び注目され
慰留に応じるかどうかで、またまた衆目を集めている。
きっとそうすることが彼にとっては何らかのメリットになるのでしょう。
かと思うと、自民党にはアルカイダのお友達のお友達という法務大臣などもいて、
この人は、ペンタゴンでさんざんご馳走になったことを
出席していた委員会で得々と披露したらしい。
それが私たち国民にとってメリットがあるとは、とても思えないから、
多分こういう風に言うことが、彼自身にとってメリットがあるのだろう。

前職で人事のマネージメントをしていたときに、よくあったのは
「会社の役に立っていないみたいだから辞める」と言って来る連中だった。
本当に役に立っていない(と思っている)人は、決してそういうことは言わないし
本当に役に立っている人は、もちろんそんなことを言うわけがない。
当然ながら、本当に辞めたい人は、そんな慰留の余地のある言い方はしないから、
これは、引き止めてもらいたい人の常套句と理解して、
そんなことはない、あなたはいかに役に立っているかと
諄々と説いて撤回させるというのが、ほとんどだった。
当時は、他人が評価してくれているかどうか確かめないと不安、
というのは女性の専売特許なのかなあと思っていたが、
民主党の党首を見ていると、そうでもないのかもしれない。
この方は豪腕でならした方だそうだけど、案外女性的なのかもネ。
でも、そういう本質が表面に出てくるのは、いいことだと思う。
本人にとっても、もちろん時代にとっても。

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