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2007年12月30日 (日)

小さな国の面倒な生活

年々師走の雰囲気が簡素になっているような気がする。
お正月は、まだ習慣で残っているが、クリスマスはほとんど素通りという感じだ。
もっともこれは、そういう年代になったからということかもしれないが。

今年の我が家は、夫と娘がちょうどクリスマスの時期に
フロリダの妹の所へ遊びに行っていたこともあり、
せわしなさの全然ない、地味目なクリスマスだった。
「オレ、クリスマスイブは飲み会だから、今年はお母さんひとりだからね」と
息子に言われ、こういうのもいずれやってくることだしと、
ひとり気ままに過ごしたが、クライアントの先生のおひとりから
思いがけない贈り物がイブに届いたり、
翌日起きてみたら、枕元にプレゼントがあったりして、
なんだか今までになく嬉しいクリスマスだった。
息子と娘が二人で、フロリダへ持って行くお土産を
買いに行っていたのは知っていたが、こういう企みがあるとは知らなかった。
枕元のプレゼントは、息子のアイデアだったそうだが
「小さい頃さあ、枕元にプレゼントが置いてあるのが嬉しかったんだよねー」
と言われて、シアワセが世代から世代へと伝わっていくような感じを受けた。

夫が撮って来たフロリダのビデオには、リゾート地らしい樹木や家々が写っていて
広さと同時に、ゆったり流れる時間が感じられた。
これだけ広いとちょっと買い物に行くのにも、車がなければ動きが取れず
それは日本の田舎と同じで、便利さを追求する背景には、
ただならぬ広さというものがあるのだと気づかされる。
何しろ彼の地には銀行にもドライブスルーがあって、車から降りないで済む。
駐車場を作るより、カードを店内に吸い込むシステムの方が
コストがかからないからかもしれないし、事務手続きだけのために、
わざわざ店の中へ入る必要はないって考えかもしれない。
確かに、どうせ待つのなら店内で列を作るより、
車の中で待つ方が快適ではあるけれど、
そうやって体を動かすことの少ない生活が、
肥満という健康問題につながっているのだろうと思うと
広いということも良し悪しだなあという感じがしてくる。

広くて便利でモノが沢山あって、しかも安い。
こういう生活を豊かだと思ってしまうのは、大いなる誤解なんじゃないか。
アメリカという、広大な空間を克服するために考え出された生活様式と、
日本のように、狭いところにごちゃごちゃ固まって生活したがる様式とは
根本的に違うはずなのに、往々にして様式というのは、
それが生み出されたさまざまな背景とは、切り離されて取り入れられてしまう。
たとえば、1週間分の食料をまとめ買いして冷凍保存して消費する、
というような生活も、やってみるとこの国には全然そぐわないと分かる。
だいたい1年に4シーズンもある国では、何を食べたいかなんてことは、
その日によって違うし、フルタイムの仕事でメチャクチャ忙しかったり
店がよほど遠ければ、冷凍ディナーもしかたないと思えるかもしれないが、
そんなことでもなければ、毎日食べたいものをそのつど調達、調理する方が、
よほど理にかなっているし、面倒だが満足感も大きいだろう。
そうやって手間ひまかけて、こまこまと生活するから感覚が磨かれるので、
それを止めてしまえば、五感はどんどん衰退する。
年をとると感覚が鈍くなるのは、運動能力が衰えることと大いに関係がある。
もっとも最近は、年とは関係なく感覚の鈍い人は多いけれど。

感覚は判断力の基礎だから、感覚の衰えはさまざまな所に影響する。
酔っ払いが、自分は酔っ払っていると思わないように、
判断力が衰えると、衰えたこと自体が分からなくなる。
まあ、だからどうでもいいことには反応しなくなるわけで、
これはこれでいいことでもあるけれど、かといって誰もが自ら
「もう一度出直してまいります」と言うわけではないから、やっかいなのだ。

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2007年12月21日 (金)

『信頼』の時代

今年最後のバレエのレッスンが終わる。
今は来年に向けてタンゴを練習しているのだけど、
発表会向けということもあって、導入部で厳しい叱咤が続いている。
80歳の先生は、相手がおばさんだからって手を抜いたりしない。
この辺が芸術家の芸術家たるゆえんだ。
振り付けが突然変わることもしょっちゅうで、
この世界では朝令暮改は当たり前、それについていくのも当たり前、
いい作品のために必要なのは、絶え間のない試行錯誤なのだ。
それでも、誰も文句を言わずに先生についていくのは、
その振り付けが素晴らしいから。

振り付けというのは、身体言語を駆使した表現、みたいなところがあるのだけど
同じ言語を使っても、何ともいえない深みを表現している作品もあれば
単なる体操にしか見えないものもある。
この辺が才能の違いなのだろうと思うのだが、
言語で表現し尽くせない部分を、さまざまな音楽や照明で補ったとしても
この違いはいかんともし難いのが、舞踊という総合芸術のやっかいなところだ。

毎年最後のレッスンの後は、先生からちょっとしたご褒美をいただく。
今年はそれに、お休み中の先輩と同僚からのプレゼントもあり、
自分たちの持ち場を大掃除して、仲間たちと今年最後の恒例のお茶へ。
今年は、この仲間との関係に苦労した。
細やかな気遣いをする割に、時として唖然とするような無配慮なタイプ
というのにはやっと慣れたが、常に自分を競争優位に保とうとして
配慮のない言葉を吐くタイプには、なかなか慣れることができず、
さらに、そこにいつまでもこだわってしまう自分、というのも腹立たしかった。
人間関係では相手からの言葉が届かない位置に身を置くことは難しい。
適度な距離を保つためには、関係を絶つしかなかったりする。
近年、引きこもりが多くなっている原因は、
案外そんなところにあるのではないだろうか。
繊細で傷つきやすい人間が増えている一方で、
無神経な人間の増加というのも、大いにあるんじゃないかという気がする。
ここでも、感受性が鋭いタイプと鈍いタイプの二極化が進んでいるのかも。

ところが、あることをきっかけに、この問題はあっという間に解決した。
今年のお歳暮に、彼女の息子が勤める会社のケーキを選んだことで、
私は競争相手から、お得意様へと変身を遂げたのだ。
これは別に企んだわけではなく、単にそのケーキが前から気に入っていて
毎年自分用に注文していたのを、今年は顧客用にも拡大しただけなのだが、
注文数が大幅に増えたことで、馬を射る結果になったのだ。
お得意様に、そんな配慮ができるんなら、最初からそうすればいいのに
というのは、もちろんこっちの言い分だけど、
人間損得が絡むと、どうにでも変身できるってことなのだね。

人間関係で難しいのは、距離のとり方もさることながら、
どれが、関係を変えるポイントなのかってことだ。
世の中は、自分が考えるよりはるかにドライに動いていると
認識するようになったのは、割と最近のことだけど、
(もっとも相手にしてみたら、私の方がはるかにドライかもしれないけど)
世の中が不確実だということが鮮明になるにしたがって、
「信頼」ということを捉えなおす必要が出てきたような気がする。
「信用」が100%お任せ状態の関係なのに対して、
「信頼」とはリスクをとる関係のことだと言ったのは、
確か山岸俊男さんだったと思うが、相手が裏切るかもしれないことを
承知の上で、関係を持つということに慣れなければいけないのが
今の時代なのかもしれない。

ということを一番よく教えてくれているのが、国家の振る舞い方だったりして。

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2007年12月 4日 (火)

教育の成果

銀座へ「ボーン・アルティメイタム」を観に行く。
お目当てはマット・デイモン。

アクション映画には全く興味がないけれど、ボーン・シリーズだけは、
第一作目の「ボーン・アイデンティティ」から、ちゃんとロードショー館で観ているのだ。
「グッドウイル・ハンティング」がアカデミー賞脚本賞を取った時のデイモンは、
まだほんとに若造という感じだったけど、実に清清しい印象の青年だった。
ベン・アフレックが、どちらかというとワルの雰囲気なのに対して、
デイモンは「グッドウイル」でもそうだったが、欠落したものを抱えながら
まっすぐさを失わないで生きているというイメージを、見ている側に抱かせる。
つまり、母性本能を揺さぶるってことですネ。
演技力というのは、本人とはまったく別の人物像を造型するところに
現れるものだろうと思うのだけど、造型した人物像と俳優自身が
重なって見えてしかたがないということも、演技力のひとつと言えるだろう。
とてもスマート(頭がいい)なのだけど、それゆえにポカをやらかすことがある
ということを納得させてしまう(オーシャンズシリーズ)キャラクターも、
どこかデイモン自身に見えてくるから不思議だ。

しかしそれにしても、このシリーズの日本語タイトルは、いかにも安易だと思う。
一作目の「ボーン・アイデンティティ」は、まあ許せるとしても
二作目の「ボーン・スプレマシー」は、一見しただけでは何のことか全然分からない。
昔、シュープリームスというダイアナ・ロスがメインのボーカルグループが
あったけれど、シュープリームとスプレマシーじゃ、大違いだろう。
三作目のアルティメイタムだって、多分三作目だから最後だろう、
という見当はつくけれど、もうちょっと何とかならないのかなあと思う。

ボーンシリーズはカーチェイスがよかったせいもあって、これは三作目にも満載。
それじゃあ、ターミネーターじゃないか、と思いながらも
観入っててしまうところが映画のよさだ。
出てくる女優がどれもさほど美人じゃない、というのも
話にリアリティを持たせる要素になっているのかもしれない。
ボーンは結局最後まで女性に救われる。
映画評がどれも比較的いいので、どういうわけなんだろう、
だまされたらヤダなと思いながら、途中、ボーンはアメリカを
象徴しているのだろうかと考えたりしているうちに
ようやく最後になって、もっと現実的な話だったのだと分かる。
これが映画評の評価に現れていたのだろう。
観終えて納得し、結構いい気分で映画館を後にできたのは、
問題意識を共有したからかもしれない。
月曜の朝一番だというのに、おじさん、おばさん、ビジネスマン風中年男性、
孫を連れたおじいちゃん、母娘連れなど観客層が多様だったのは
どこかで、こうした内容が伝わっていたせいだろうか。
テレビの予告編では、アクション映画の域を出ていなかったのに。
最近の映画の予告編は、まったく内容を伝えていない
ひどいのが多いような気がするが、気のせいだろうか。
まるで内容が濃いと思わせてしまうと、観客は来ないと思っているかのようだ。

ボーンが施された教育を振り切ろうと必死になっている一方で、
宮崎県の知事は、「徴兵制も必要かも」などと寝ぼけた発言をしている。
若い世代に覇気がない(と思っている人が多いらしい)のは教育が
うまく行かなかったからだという意見なのだろうが、
教育がうまく行きすぎたせいだとは考えないのだろうか。
むしろ、権力の座についた人に、どうやって適正に権力を使わせるか
そっちを考える時期に来ているのではないかという気がする。

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