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2008年3月24日 (月)

不要な救急受診を減らすには

今年の花粉症はひどいような気がする。
去年はマスクでなんとかしのぐことができたが、
今年はマスクの中にガーゼを入れて二重に防御しても、効果がいまひとつ。
花粉症を発症したのは30年以上も前で、
その後症状は次第に緩和してきたので、ストレスが少なくなったか
年をとったか、どちらかの理由だろうと安心していたのに。
周りでも、今年はひどいという声が聞かれるが、
マスコミの報道は去年に比べるとずっとそっけない気がする。
それだけ花粉症にはニュース性がなくなったということなんだろう。

くしゃみは連発するし、鼻水で鼻の下はささくれだってくるし
目は取り出して洗いたい気分になってきたので、決心して薬に頼ることにする。
薬局で「眠くなりにくい」という飲み薬と、目薬を購入。
目薬で目はだいぶ楽になり、1日3回服用の飲み薬は、
1回飲んだだけで爆睡状態になったので、以後1日1回だけにする。
あんまり病気をしないので、変わった症状が出ると
「すわ!一大事」と思ってしまうのと、ふだん薬を飲むことが少ないせいで
薬の効きがよすぎるのが、私の弱点なのかも。

午後からの東日本外来小児科学研究会で眠くなるとまずいので、
朝は薬を飲まずに出かける。
大宮ソニックシティは10年ぶりくらいか。
前に来た時は駅前に何にもなかった気がするが、
日曜日ということもあって駅前は大賑わいで、一瞬出口を間違えたかと思う。
今回はこじんまりした研究会で気楽な気分でいたが、
予定時間に対して演題が多くて、与えられた時間が超タイトだったために
猛烈な早口で喋らなければならなかったのが、ちょっと残念。

「不要な救急受診を減らすには」というタイトルで、
電話相談から得られたデータを使って自論を述べる。

医療者の多くは昼間はコンビニ受診でいいが、夜間はコンビニじゃ困る、
という見解なのだが、そう都合よくはいかないんじゃ?という話をデータから。
夜間のコンビニ状態を改善しようと思うなら、まず昼間からでしょということは、
みんな内心では分かっているのだろうと思うが、できれば避けたいらしい。
今度から診療報酬として加算される5分間の説明というのも、
医療者には甚だ評判が悪い。収入減になるというのが、その理由だ。
う~ん、誰だって自分を変えたくはないからね。
他人を変えられれば、それが一番楽だしー。

私は、きちんとした診療をしても収入が減らないような制度の改善を
医師自らが訴えていくことこそがアドボカシーじゃないかと思うのだけどね。
自分のためと患者のためを混同せずに(医療者にはこれが結構多いのだ)
お医者さんのような強い立場の人こそが、国を動かして欲しいと思っているので、
「医療の不確実性に耐えて患者と一緒に医療者も自律してよね」
というニュアンスを言外に込めておく。

何人かの先生方から、それぞれ違ったアプローチと宿題をいただき、
やっと質的研究にも手がつけられる春がやってきた。

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2008年3月13日 (木)

朝のひと遊び

佐倉の川村美術館が、DIC創業100周年記念展として
「マチスとボナール~地中海の光の中へ~」を企画、
美術館の増改築リニューアルオープンと合わせて
オープニングレセプションを開催するというので行ってみることにする。
これは会員限定で、明日のオープンに先がけておこなわれるものだ。
これまでも、コレクションの開催に合わせて毎回オープニングレセプションが
あったのだが、いつも都合が合わなくて行けなかった。
どんな風にリニューアルしたのかは、ぜひ見てみたいし、
どうせ行くならレセプションに行ってみようと、仕事用にはPCをセット、
洗濯も済ませ、9:50に佐倉を発車する送迎バスに間に合うように家を出る。

今日はとっても暖かくて、我が家の近くにある梅林の花は満開、いい香りがしている。
ここは70坪くらいの道路に面した土地に、40本近い梅が、
ただ植わっているという、なんだかわけの分からない梅林なのだが、
花粉症でマスクをしていても香りは漂ってくるので、
今の季節は傍を通るのが楽しみなのだ。

レセプションの受付を済ませてドリンク券をもらうと、ほどなく開場。
常設展示はモネ、シャガールなどいつもの顔。
ナイキのマークみたいなマレービッチは、いつもと違って
日本画の手前のコーナーに展示されている。
ロスコの部屋はなくなって、かすかに音楽が流れるスペースには、
ヴォルス、コーネルなどの小品が。新顔もちらほら見える。
2階へ続いていた階段はなくなり、廊下をまっすぐ進むと
左手に半円形のすてきなスペースが広がっている。
正面にかかっているバーネット・ニューマンの「アンナの光」の両脇は
カーブに沿った大きな窓になっていて、「ニューマン・ルーム」と
名づけられたこのスペースは、私のお気に入りになりそうだ。
部屋を出ると迷路みたいな階段があり、2階の展示室へ。
ロスコの部屋はこちらに移っていて、ここには大好きなステラや、
サム・フランシスなど、美術館のコレクションも満載。
「マティスとボナール」はその奥の広くなったスペースに展示されていた。

ボナールの絵は、漫画に似ているなあと思いながら見る。
「散歩」という絵などは、浮世絵のような空間処理がされていて日本画みたいだ。
クリムトに似ている絵もあり、どっちがどっちに影響したのかなと考える。
彼の初期の絵は初めて見たが、才能を感じさせる。
後年著名になる画家は、初期の絵が必ず図抜けているが、彼もそうだ。

マチスは何といっても晩年がすばらしい。
多くの画家は、年を取るとやわらかい色調の、悟ったような絵を描くようになるが
マチスは、年を取るほど自由闊達になり、何にも妨げられずに色を追及し、
才能を尖がらせ、とうとうこどものように紙を破るまでになる。
それが「ジャズ」という切り絵の連作を生んだ(ことになった)と想像すると
年を取るっていうことの素晴らしさ、楽しさが伝わってくる。
「論理的な思考をするときは、絵画は作り物だと知っておく必要があるが、
実際に描く時には、自然に導かれながら描くのがよい」という言葉は
彼が本物の画家だという証拠じゃないだろうか。

1時間ほど堪能し、ベルヴェデーレで、ドリンク券でコーヒーを飲み
昼からの仕事前に帰宅するべく、送迎バスの待っている駐車場へ。
普段は空いている駐車場が、今日は満車状態だ。
帰ったらスケッチを始めてみようかと思いながら美術館を後にする。

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2008年3月12日 (水)

崩壊を起こす針の穴

昨日は暖かかったけど今日は少し寒く、
レッスンの日に限ってなんで寒いのだ文句を言いながらスタジオへ。
先週は先生のリューマチが悪化したとかで自主練だったが、
今日はみっちり絞られて、久々に汗をかく。
使っている曲のCDタイトルが分かったので、
帰宅後アマゾンで検索するが、ない。
やっぱり先生のをコピーさせていただくしかないか。

振り付けが、すぐ身体で覚えられるかどうかは経験の長さで違う。
レッスン後みんなで復習したせいか、メンバーによっては
「来週は変わったら困る」という人もいるけれど、
しょっちゅう変わる振り付けについていくことで、
変化に対応する能力を維持できていると考えれば、
これは実に貴重な機会じゃないかという気もする。
身体はなかなか柔軟にならないが、
精神は案外簡単に柔軟性を獲得できるものだ。
ただ、そういう機会が足りないだけだろう、世の中には。

仕事をしながら、昨日の勉強会で長老の先生にお借りした
文献のコピーをやりかけるが、なんだか手間が面倒になってしまい、
結局アマゾンで購入することに。
この文献は、以前県立図書館から借りて一読したものだが、
あんまり新しいことが書いてなかったので、買うのは止めたのだ。
別に3000円弱のお金が惜しいというわけではないのけど、
なんだか、暗黙知を形式知化しただけという感じの本に
お金を払うのはちょっとなあという気がしただけ。
でも長老先生は、これでチェックポイントをつぶしながら
分析を進めようと考えていらっしゃるみたいなので、
今回は初回でもあるし、そういう勉強方法に沿ってみることにする。

知り合いの編集長には、送っていただいた「メディカルはこだて」別冊の
お礼を兼ねて、お誕生日のメッセージを贈る。
ついでに、記事の中にあった「まだ大病院志向が強い」のは
なぜだと考えているか質問もしておく。
JMMでは「医療費を上げずに地域医療の崩壊と疲弊を防ぐことは可能か」
というテーマで、結構盛り上がっている。
システムとか人員配置とか、いろいろな意見があるが、
原因をひとつに特定することは難しいだろう。
さまざまな要因が複合的に絡んでいるはずだ。

たとえば昨日も勉強会で、ご飯を食べながら話したことだが、
夜間赤ちゃんが泣き止まないというときに、
ある小児科医は「じゃあ、いらっしゃい」と病院に来させるのだと。
電話相談では、受診しなくても済みそうな場合は、極力受診を避けることで
救急医療に貢献しているのだけど、とりあえずそのことは言わないでおく。
で、そうすると、たいていの場合、車で来る間に赤ちゃんは泣き止み
眠ってしまっていることも少なくない。
赤ちゃんが泣くと、母親は不安になる、赤ちゃんはますます激しく泣く
という悪循環が生じ、母親はオロオロするばかり、というのはよくあるのだ。
泣く時の対策として、外を一回りする、お風呂に入れるというのは
ポピュラーだから、もちろん受診するというのもありだ。
問題は、母親がそのことをどう理解したか、ということだろう。
この部分をどう理解させるかということに対しては、
医療は案外キメが荒いんじゃないかという感じが、電話からはしている。

今度の研究会では、そういうことを発表する予定なのだが、
医療崩壊というのは、案外こういう小さなことが
積み重なって起きているんじゃないのだろうかという気がする。
頑丈な堤防が、針のような小さな穴から決壊するのに似て。

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2008年3月 4日 (火)

ひとつじゃないのよ

昨日の2本立ては「ある愛の風景」と「エンジェル」。

「ある愛の風景」はデンマーク映画だ。
妻子と幸せな日常を営んでいた男が、アフガニスタンの復興支援に派遣され、
部下の捜索中に撃墜されて現地で捕虜になる中で、
自分の命と引き換えに部下の殺害を強いられる。
夫の死亡という厳しい現実を何とか乗り越えてきた家族にとって、
死んだはずのその人が帰ってくることは、何にもまして嬉しいことだったが、
アフガニスタンでの経験は、彼をまったく違う人間に変えてしまっていた。
ここでは殺人に対する罪の意識というより、
殺人そのものが人格の荒廃をもたらすというようなニュアンスが描かれている。

夫には弟がいるのだが、優秀で父親にも愛されている兄に比べて
弟は飲んだくれで、銀行強盗で刑務所に入るなど
決して品行方正とはいえず、父親からは厄介者扱いされている。
この弟が兄の亡き後の家族を支えるのだが、
その風景は、兄が作っていたそれとは少し違って見える。
兄が描いていた風景が、端正で静かな写実画だとすれば、
弟のそれは、心浮き立つピカソかカンディンスキーの抽象画のようだ。

帰宅した夫(兄)は、戦地で自分がおこなったことの結末を
何とかつけようとするのだが、どうしても口に出すことができない。
その鬱屈が彼を被害妄想的に、暴力的に変えていき
終いには、それは家族にまで及び、彼は刑務所に行くはめになる。
家族の元に戻りたい一心で部下を殺害せざるを得なかったのに
その家族が自分を苦しめる。
自分を取り戻すには家族を殺すしかないと思いつめてしまうのだ。
映画は、刑に服している夫を妻が尋ねて、
すべてを話すように促し、夫が話し始めるところで終わるのだが、
肝心なところを話すことができたかどうかは明らかにされない。

敵を殺さなければ自分が殺されるという場面で、
自分がどうするかを想像することは、そんなに難しくないが、
友人を殺さなければ自分が殺されるというシチュエーションで
自分がどうするかを想像することは、とても難しい。
ひと頃話題になった「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問に
精神科医の春日武彦さんは、
「人を殺すと、以後のあなたの人生はきっと踏ん張りが利かなくなります。
どこか安易になったり自暴自棄になったり虚無的になったり、
とにかく人生から豊穣なものが欠落し、それはもはや取り返しがつかない。
そんな予感がするから、よほどのことでない限り、
殺人はやめておいたほうが賢明ですよ」と答えるだろうと述べている。

おそらく、ヒトにも動物が持っている無用な殺戮に対する
本能的なブレーキというものが内蔵されているのだが、
それを壊すようなしかけも、また発明されてしまったということなのだろう。

「エンジェル」はこれに比べると、ずっと軽やかだが、
フランソワ・オゾンは明らかに、これを現代のパロディとして作っている。
野心だけは旺盛な、しがない食料品屋の娘エンジェルが、小説家として世に出る。
発行人の後押しもあって、彼女は成功を重ね、あれよあれよという間に蓄財し
画家の恋人と結婚し、かつてあこがれだった屋敷にまで住めるようになる。
その自己顕示欲、出世欲の強さは、どこかで見たことがあるようでもあり、
まあ若くて美人だと、実力はともかく許してやってもいいか
という感じに、世間はなるのだなあということが分かる。
画家の描く絵は、お世辞にもうまいとは言えないのだけれど、
何かを感じとっている、というように映画では描かれている。
有名人になった彼女の後押しは、よく切れるはさみのように
彼の道を切り開くのだが、そのことは彼にとっては実感を伴わない。
彼は戦争が始まると志願し、片足を失って帰還し、あげくに自殺する。
彼女は休暇に帰ってこなかった彼の不倫を疑い、相手を訪ねて行って、
彼女が彼の幼馴染で、かつての屋敷に住んでいて破産した
アンジェリカという名前の令嬢だったと知る。

アンジェリカが楚々として地に足をつけた雰囲気なのに対し、
アンジェリカを尋ねるエンジェルは、対抗心むき出しの
ど派手で孔雀のようななりで向かい合う。
これはきっと対なんだろうと、帰って調べてみたら、
案の定アンジェリカはエンジェルの別名だった。

どちらの映画もヒトの人格の多面性を描いている。
人格の一貫性が、あたかもとても重要なことのように言われたのは、
もともとヒトの人格は多面的だったからだろう。
ないものねだりは、もうお止めなさいといわれている気がする。

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