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2008年6月29日 (日)

『ひめゆり』

カタログハウスで『ひめゆり』を見る。
太平洋戦争末期の沖縄では、本土決戦を遅らせるために、
沖縄住民を巻き込んで凄惨な地上戦が行われた。
この映画は、看護部隊として召集された女学生たち222名のうち
生き残った22人による語りで構成されている。
爆撃や自決で亡くなった123名に対する
「生き残って申し訳ない」という言葉で映画は始まる。

召集されたとき、当然赤十字の旗の立っているところが
従事する場所だと思っていたが、実は戦場の真っ只中だった
というところからして、すでにこの戦争が相当胡散臭かったことが分かる。
人間を使い捨てにする傾向は、昔からあり今も変わらない。

15歳から19歳という年齢の女学生たちが、
物資の乏しい中で負傷者の手当て-それは手足を切断したり
というような、過酷な経験も含まれる-に耐えるには、
自分の感覚や感情を麻痺させなければならなかった。
死に対する恐怖に気づくのは、ほんのちょっとしたタイミングで、
自分が一命をとりとめたときだったりする。
いよいよ死が迫ってくると、人のことなどかまっていられなくなった、
自分のことしか考えられなくなった、という言葉は、
現代社会も案外沖縄戦並みに、実は過酷なのかもしれない、と思わせる。
と言いながらも、病に倒れた仲間のために闇夜の中
危険を冒してさとうきびを採りに行き、ひとりで逃げるくらいなら、
一緒に死のうと何度も言った、という言葉も吐露される。
生き延びることができたのは、母に会いたいという一心からだった。

潔い自決と伝えられているのは、日本は勝つのだから捕虜になるのは
恥ずべきことであり、捕虜になったらむごたらしく殺される、
と吹き込んだ教育があったからであって、
教師も生徒も、それに何の疑問も抱いていなかったが、
そのほとんどは、強制的なものだったことも明かされる。
そして戦局がいよいよ終わりに近づくと、突然
「これからは自分の判断で行動しろ」と、潜んでいた壕から追い出される。
「今まで、こうしろ、ああしろと命令されていたのに、突然」方針転換が起こる。
なんだか、今はやりの「自己責任論」を思い浮かべる。
策に行き詰ると、「あとは自分でやって」というのは
案外この国のお家芸なのかもしれない。
太平洋戦争は物量の差で負けた、という話をよく聞くが、
そして、これが戦後の経済復興の原動力になってもいるらしいが、
これって巧妙なすり替え、もしく現実誤認なんじゃないのだろうか。
『ひめゆり』の語りからは、物量以前の、状況の見通しの悪さというか、
現実をシビアに見ることのできない、日本人特有の
性癖のようなものが伝わってくる。
これを神経症と呼んだのは、岸田秀さんだった。

沖縄戦に志願して生き残った人たちの中には、
語ることを拒む人もまだまだ多い。
今回語りに応じた人の多くは、
ひめゆり平和祈念資料館の運営に携わっているようである。
「これが、生かされた自分のやるべきことだと思う」
という言葉に少し救いがある。

事態の真っ只中にいるときには、それが何であるか分からないことが多い。
それがどういう意味を持っていたのかが分かるのは、
後から振り返ってみることができるからだが、
後から振り返る経験をたくさん積むことによって、
私たちは、少しは賢くなれるのだろうか。

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2008年6月21日 (土)

『あゆみ』

駒場のアゴラ劇場へ、娘が出ている柴幸男作『あゆみ』を見に行く。

「駒場東大前」へ行くのは初めてなので、街を探索しつつ、
お昼でも食べようかと降り立ってみたものの、これが見事に何にもない。
東口に何にもないので、西口に行けば何かあるのかと思い
線路沿いに歩いてみるが、ほとんど変わらない。
地図がデフォルメされているわけではなく、地図どおりなんだと分かる。
東大とか都立駒場高校とか学校はたくさんあり、
団地のような集合住宅も結構見受けられる街なのに、
「駒場駅前商店街」といっても、肉屋と八百屋が1軒ずつ、
弁当屋というか惣菜屋が数軒、コンビニが2、3軒にファーストフードが1軒あるだけ。
どういうわけか花屋と床屋は複数。あと本屋が1軒。
線路の反対側は、もうちょっとにぎやかなんだろうか。
食事をするところは、お好み焼き屋とかカレー屋とかはあって、
学生相手のせいか、値段が安いのは嬉しいが、
ゆっくりできそうもないので敬遠し、劇場の場所を確認したあとは、
とりあえず西のはずれまで歩いてみることにする。
ここで商店街は終わり、という感じのところに、
やっとコーヒーつきの食事ができそうな店を見つけて入る。

「チケットが完売しているから、開場と同時に入ったほうがいいよ」
という娘のアドバイスにしたがって、開場めがけて食事を済ませる。
叔母といとこと姪は、すでに席についていた。
叔母といとこは久しぶり。姪に会うのは20年ぶりくらいだ。
最近は親族に会う法事の機会もないので、
いとこ会をやろうという話で、開演前のしばしが盛り上がる。

『あゆみ』は連日満員とのことで、この回も満員。
白い大きなスクリーンの前で、黒い衣装の女の子ばかり9人が、
『反復と連続』の芝居を見せてくれる。
あゆみ、つまり人生を描くのに、こういうやり方があったのだ!というのが、
この芝居が、非常に驚きを持って迎えられたワケなのだろうということが分かる。
全員それぞれ異なる黒い衣装を着ているのは、
みんな同じ人間のように見えるが、それぞれはみんな違っているのだ
ということを表しているのだろう。
人間の多面性は、それぞれが、ときには親、ときにはこども、
ときには男、ときには女という風に入れ替わって演じることで表現される。
人生を微分するというのは、こういうことなのだろうかと考えてみるが
いや、人生は数字じゃないのだから微分は無理だな、と思い直す。
終盤楽しげな音楽がかかり、全員が歌い、踊る場面で危うく泣きそうになる。
人間、死ぬ前というのは、こんな風に楽しく高揚するものなのかもしれない。
そして、最後の一歩を踏み出して、芝居は終わる。

「人生は芝居だ」というセリフは、まるで自分を
観客の立場に置いているようで好きになれないが、
こういう舞台を見ると、このセリフはにわかにリアリティを帯びる。
自分の人生がここにある、という感じがする。

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2008年6月16日 (月)

異文化と出会う週末

6月最初の週末は、小児科医会セミナーに参加のため福岡へ。
福岡は初めてだが、前に山口県の医師会にお呼ばれしたときに
担当の先生から中洲の楽しさを聞いて以来、いつか行ってみたかった街だ。
今回は、土曜のお昼を食べに降りた天神と、国際会議場とホテルを
慌しく通り過ぎただけだったが、それでもこの街が、
とってもおしゃれで、活気に満ちていて、それでいて、
よそ者に対する配慮が行き届いている、ってことは感じとることができた。

セミナーでは、もっぱら米国(ハワイ)、韓国、台湾、
それに英国、ベルギー、日本各国の小児医療の現状についてを
ヒブ、肺炎球菌のワクチンの話題もからめて聞く。
どれも日本語というのがありがたい。
医療系の通訳というのは難しいのかもしれないが、
肝心な専門用語を訳さなかったり、妙に翻訳調だったりして、
どうも靴の上から足を掻いている感じのことが多いのだ。

ヒブや肺炎球菌ワクチンの導入にアクセルがかかっている要因のひとつには、
発熱児に対する診断に、ドクターも苦慮しているということがあるらしい。
ドクターでさえ難しいのだから、「熱が出た、すわ受診!」
という患者の受診行動も、一概には責められないかもネ。
これらのワクチンは日本以外の各国では、すでに導入されていて、
推進派は、これによって頻回受診にストップがかかることを期待している。
いったいに、欧米ではドクターに対しては包括払いで、
だからドクター自身が、できるだけ患者数を少なくしようとするのに対し、
日本の場合は出来高払いだから、イヤでも患者数は多くなる。
一人当たりの医療費は各国の中でダントツに低いのに、患者数はダントツに多く、
(ついでに薬剤の使用もダントツに多く)結果的に、
トータルな医療費は各国とあまり変わらない状況になっているが、
これでは、医師にも患者にもあんまりメリットはないだろう。
頻回受診が問題になる背景には、こうした医療制度があることは間違いない。
「熱が出たからって、すぐ受診しても診断はつかない」といった
正確な情報がなかなか発信されないのも、
こうした制度のあり方が関係しているからかも。
「不要な受診が多くて困る」と言いながら、
ほんとに真剣にそれを解決しようとしているように見えないのは、
「不要な受診」で恩恵をこうむっている側面があるからだろう。

土曜の午後から日曜の午前にかけて、各国の小児医療の現状を聞き、
とっても心強い気持ちになったので、帰宅後早速お世話役の先生にお礼のメール。
「コメディカルにも場を開いてくださってありがとうございました」と書いたら
「このセミナーは、もともとオープンなのだけど、
おじさん先生が多くて敬遠されていたかも」ですって。シラナカッタヨ。

福岡でそんな密度の濃い週末を送っていた頃、
秋葉原ではなんとも理解しがたい事件が起きていた。
容疑者本人に、いろいろ事情はあるのかもしれないが、
矛先の向け方が間違っているという点になんとも違和感を感じる。
親がこどもに対して最大の権力者であることは言うまでもないし、
そこから逃れるのが、どんなに難しいかも分かる。
でも25歳にもなって、「親離れができなかった」鬱憤を
他人に向かって晴らすなんて、お門違いも甚だしい。
この青年が、妙にこどもっぽく感じられてしまうのは、
自分にとっての最大の問題に、ちっとも向かい合おうとしていないからだろう。
こんな風にしっぺ返しを食らう、ってことを考えもしなかったらしい親も親だが。
でも、歩行者天国を中止するとか、ナイフの販売を中止するなんてことで
お茶を濁そうとするあたりに、「不要な受診」をなかなか減らせない医療と
同じ精神構造を感じてしまう。

そしてつい一昨日の週末の朝は、いつになくゆらゆらと
大きく横に揺れている地震に、ちょっと気になってテレビをつけたら、
岩手県から宮城県にかけて大地震が起きていた。
なんで週末なんだろうと思いながら、栗駒山の陥没に仰天する。
自然災害のように見えるが、これも案外人災的要素が強いかもしれない。
そんな、まだ地震の余波が感じられる日に、こじんまりと恩師を偲ぶ会。
翌日曜日のDIPEx-Jの総会では、学芸大の野口裕二さん(医療社会学)による
「ナラティブの臨床社会学から見たDIPExの取り組み」を聞く。
いろんなことが、週末に集中してある。

ナラティブについては、20年位前に松岡正剛さんが取り上げて
物語学会なるものを立ち上げたりしていた。
あれは、その後どうなったのだろう。
その頃は、これが自分の仕事と関連があると分かっていても、
まだ『物語』???という感じだった。
それがだんだん、説明としてあたりまえの『物語』になり、
今では『物語』は、ほぼ作り話と同義になってしまった。
もの語りはもの騙りでもある。
だからこそ「正解がない」ということになるわけだが、
医療はこれをどこまで受け容れられるだろうか、興味深いことではある。

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2008年6月 6日 (金)

モンスターの所在

1歳7ヶ月のこどもの母親からの
「明日の診療予約をしようとしたけど9時45分しか取れなかった。
保育園へ行く前に受診させたいので、9時とか朝一番に行ったら診てもらえるか」
という電話に、ちょっとのけぞり気味になる。
(朝一番に来れば何でも診てもらえるのだったら、予約システムは不要だよねー)
と思いつつ聞いてみると、蚊に刺された痕が大きな水ぶくれになっていて、
保育園の先生にトビヒになるといけないから受診した方がよい、
と言われたのだそうだ。
虫刺されがすべてトビヒになるわけではないことを説明し
緊急の患者さんがいると、やっぱり後回しになってしまうと話して
「保育園が終わったら受診することにしたら?」と言うと
「ああ、夕方ってこと?」と、そういうのもありなんだーというニュアンスの返事。
「じゃあ、そうします」と拍子抜けするように機嫌よく終わる。
ここには、いろいろな問題が潜在しているが、
とりあえずはひさびさに、言ってみるものよねーという気分を味わう。

モンスターなんとかという言葉がもてはやされている。
メディアは情報の製造販売が仕事だから、
次から次へと商品になりそうな言説を生産し、市場へ垂れ流す。
通常の商品は、お金を出さないと買えないが、
マスメディアから流される情報はNHKを除けばタダ、
言ってみれば街頭でもらうティッシュみたいなものだから、
こちらはイヤでも遭遇せざるを得ない。
それでもティッシュは、とりあえず一定の品質は保証されており
不要なら受け取らずに済むけれど、情報の場合には必要なものもあるから
玉石混交の中から何を選別するかは、こちらにゆだねられている。つまり
情報を実体化するかどうかは、受け手の側にゆだねられているというわけだ。

そういう中で、モンスターなんとかという言葉が
実体を伴っているのかどうか、実のところ私にはよく分からない。
この言葉の中には、「権利」とは言えないことを「権利」として要求する人とか、
必要以上に感情的に振る舞う人とか、さまざまなニュアンスが
込められているように感じるが、これまでとは違う○○像というような、
予想外の対象(親とか患者とか)を示す意味合いもあるみたいだ。
幸いにして私の仕事は、お医者さんが絡んでいるということもあり
そうひどいケースには出会ったことはない。
(マナーに欠けていると感じることはあるけど)
電話相談を始めた最初の頃(30年前)は、目が点、ということは結構あった。
それは、こちらの常識とあちらの常識が異なるということであり
そこに「モンスター」などというキャッチがつかなかったのは
こちらがマスメディアのような権力を持っていなかったからである。
それをある種の事象として発信するということは、
マスメディアを通じて、ずいぶんやったけど。
でもそうやって、世の中にはさまざまな人間がいるのだ
ということを学ばせてもらった。
つまり中心はこちらにはないということを、
仕事の中で教えられたってわけだ。

モンスターなんとかという言葉に違和感を感じるのは、
その言葉を使う側が、いかにも自分が中心(常識といってもいいが)と
いうスタンスで使っているように聞こえるからかもしれない。
「こんな非常識な!」は、単なる始まりにすぎないのに、
そこで止まってしまって、そこからから先へ進まないというところに、
「指を差してバカにしたから殺してやろうと思った」と、
小学生の列に車を突っ込んだ男の心象と似たものを感じてしまう。
世の中、そんなに被害妄想が蔓延しているってことなんだろうか。

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2008年6月 1日 (日)

雨の土曜日

もう6月だというのに、朝から雨の寒い土曜日。
もっとも梅雨時の寒さは珍しくないので、
我が家では、まだホットカーペットはしまっていない。
一昨日はちゃんと出番があったし、もちろん昨日も。
季節外れといえなくもないけど、これが意外に心地よい。
ほんとに寒いときでもホットカーペットだけで暖をとることはできるが、
それだと、暖かさの閾値すれすれのところまでしか埋められなくて
どうしてもほんのすこ~し不足している感じがする。
エアコンをつけるほどではないのに、
ちょっと足りないという感じが、寒さを意識させてしまう。
でも、ちょっとだけ寒いときに床が暖かいと、
暖かさのおつりがある感じがする。
おつりがあると、意識は「暖かい」という方へ振れてくれるのね。

午前中は外苑前の髪結いへ。
ここの店長とは、もう30年のつきあいだ。
彼の最初の店は表参道で、そこは業界では有名なチェーン店だった。
なんで行くことにしたのか、もう忘れてしまったが、
初めての担当が彼で、大きな鏡に全身を写して髪型の相談をした。
たぶん、それがその店のいわゆる「つかみ」だったのだろうけど、
引っ込み思案のお客は、そういう業界の戦術に度肝を抜かれたものだ。
でも、カットのデザインはとても斬新で、技術も高かった。
以来30年、彼は銀座や外苑前などの店舗を異動しながら
とうとう独立し、外苑前に店を構えて結婚もし、今では3児の父親で、
その間私は、2人のこどもが成人を迎えても通い続けている。
まあ、30年も店を変えないのは、私がずぼらなせいもあるが、
なかなか、ここを超える技術やデザインに出会わないからでもある。

昼に髪結いを出てから、半蔵門での次の予定まで3時間。
どこで時間を潰そうかと考えるが、いい案がない。
雨だし、図書館で借りた枕みたいに厚い小説を読むには
ちょうどいい日なのだが、こういうときにゆっくりできるカフェが意外にない。
とりあえず半蔵門まで行き、「ホテルモントレー」に入ろうかと思うが、
ちょっと敷居が高い感じがするので、敬遠して無難なドトールへ。
ところが、どういうわけかここが2時で閉店。
雨の中を散歩するわけにもいかず
(してもいいのだけど枕のような小説があるしー)
しかたなく前から目をつけていたUCCのカフェへ。
コーヒーの梯子なんて初めてだよなあと思いながら入る。
でもここが正解だった。
最初からここにすればよかったのよね、読みが悪かった。

我が家の近くにもUCCのブックカフェがあって、
コーヒーの味が気に入っているので、よく行くのだけど、
半蔵門のUCCは店内も広く、読書にお誂えのソファもあって
中年の男性が、そこで居眠りなんかしている。
店内を流れるクラシックも心地よい。
コーヒーの値段は、ドトールの2倍以上するが、
UCCがいいのは、おかわりもサイフォンで淹れてくれて100円なのだ。
惜しむらくはトイレがビルと共用のせいか、ダメ。
ドトールもトイレはダメだったが、
いまどきトイレがダメなのは致命的でしょう。
店長にアドバイスしてあげようかと思ったが
立場的に難しいのだろう。同情する。

人間学アカデミー7期の最後の講師は西研さん。
6年前に比べると、なんだか痩せて、
でも年をとった分、突き抜けた明るさが増えたみたいだ。
講義は面白く、次回恩師の法事とバッティングしているのを
何とかすべきかどうか、ちょっと悩む。

それにしても電話が多い。それも診療後の電話ばかりだ。
マイコプラズマに点滴というのは治療の常道なのだろうか。
点滴すれば治ると思う患者側が間違っているのか、
点滴してほしいという要求に、無抵抗に答える医療側が悪いのか。
ニワトリとタマゴみたいだが、どちらも何か勘違いしているんじゃ。
『無時間モデル』という言葉が、頭をよぎる。

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