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2008年7月29日 (火)

この違いは何なんだろう

久々にギンレイへ。
今週の2本は「ラスト、コーション」と「接吻」

「ラスト、コーション」は1942年の上海という設定からして、
成功を約束されたような感じがする映画だ。
トニー・レオン扮するイー暗殺のための諜報員として
送り込まれたワン(タン・ウェイ)が、最終的には仲間を裏切りイーを助ける。
ワンが諜報活動に飛び込んだのは、
密かに心を寄せていた上級生がいたからだが、
その一途さに支えられた、大義に対する意志の強さも、
敵対するはずの親密な他者への感情には勝てなかった。
別の種類の一途さに負けたと言えるのかもしれない。
アン・リー監督は、このあたりの女と男の違いを描きたかったのかもしれないし、
もっと普遍的で、行方知らずな人間の感情というのを描こうとしたのかもしれない。
R-18指定の濃厚な性描写が、男女の機微の変化に説得力を与えている。
イーは、最終的には大義のためにワンを処刑しなければならず、
再び空虚の中に取り残される。

トニー・レオンという俳優には、この映画で初めて出会ったが、
緊張に満ちた表情と、それがふっと緩むときとの落差に強い存在感がある。
強さの陰に垣間見える弱さがセクシーな俳優だ。
彼が主演する「花様年華」を勧められて、
いまさら不倫の映画もなあ、と躊躇していたのだけど
ちょっと見てみようかという気になった。
タン・ウェイは映画初出演とのことだが、すごい女優もいるものである。
俳優というのは、どんな役でも演じることができなければならないのだろうが、
基本的に本人の資質にないものは演じられないのではないか。
その意味では、この中国の俳優たちには、日本人にはない強さが感じられる。

「接吻」は豊川悦司、小池栄子、仲村トオルという顔ぶれの映画。
豊川演じる無差別殺人犯と、彼と自分を同一視して獄内結婚するOLの小池、
豊川を弁護する弁護士を仲村が演じている。
豊川の無差別殺人のきっかけは、端的に言ってしまえば現代人の空虚さで
小池が日常に感じている疎外感の根っこにあるのもそれだろう。
生きている手ごたえのなさが殺人に結びつくということは分かるし、
そういう殺人犯に自分を重ね合わせるOLという設定も分からなくはない。
現代人はみんな、多かれ少なかれそういう心の穴を抱えているからだ。
仲村の演じる弁護士は、そういう小池を心配しつつ密かに思いを寄せる。
しかし、誰も見たことのない衝撃の結末、というのがこれ?!
というところで、一瞬にして興ざめしてしまった。

日本映画はどうしてしまったんだろう(って過度に一般化するのもおかしいが)。
リアリティというのは、半分、いや4分の一くらいでもいいから
現実に軸足を置くことによって、本当らしさとして感じられるものじゃないだろうか。
これが漫画やアニメなら、ファンタジーとして
突拍子もない展開というのはあり、である。
でも、場所が刑務所の中で、この結末はないでしょう、というのが正直なところだ。
結末に説得力がないのは、それまでの3人の心情が
十分に掘り下げられていないからだろう。
観客は日本の社会に住んでいるから、それが生み出す心の穴については
みんな了解済みだよね、ってことなのかもしれないが、
重層的な積み重ねも、想像力の飛翔もないところで
共感を得るのは難しいんじゃないかと思う。

「ラスト、コーション」の緻密な作りと比較するのは的外れだとは思うが、
日本映画が、涙かお笑いか、どちらかしかないとすれば、ちょっと寂しい、
っていうのが今日の感想。

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2008年7月18日 (金)

欲望のありか

久しぶりにネットで買い物をする。
これまでも、本やCD、電気製品などについては、よくアマゾンを利用していたが、
それ以外の商品、特に服飾品については、
感触を確かめて買うタイプの人間ということもあって、
それができない商取引は、極力敬遠していた。
とはいっても、カタログで購入したことは何度もある。
でもその結果、通販の満足度は、総体的には満足<不満足だ
ということが分かったので止めてしまった。
この原因はたぶん、入力情報をアレンジしすぎるという
自分自身の性癖にあるのだろうと思う。
提供された情報は、そのまま受けとればいいのだけど
(そんなことは実際は不可能だと思うけど)
私の場合、そこに期待値を込めすぎてしまうみたいなのだ。

福袋には決して手を出さないのは、情報が少なすぎて期待のしようがないから。
ところが通販の場合は、中途半端に情報がくっついてくるために、
自分にとってはほとんど賭け事に近いということが、だんだん分かってきた。
アマゾンで今のところほとんど失敗がないのは、
たぶんここの情報の提供の仕方が、
比較的アレンジの余地がないということと、
どういうわけかアマゾンだと、こちらが腹を括って
期待度を下げる傾向があるからなのかもしれない。
その証拠に、アマゾンの場合の失敗は肝心の本の場合が結構多い。
コメントにつられて買ってしまうからだ。
読みたいなあと思っているところに、プラス評価のコメントがあると
「ふ~ん、やっぱりそんなに面白いんだ」と思ってつい手が出でしまう。
自分と同じように感じている人がいるのが嬉しい、ということもあるのかもしれない。
これがいけないんだな、ということがだんだん分かってきたので、
最近は、コメントは参考程度にして、検索した本は
本屋で確認してから購入するようになった。
本だって、字面とか手に取った感じとかは、やっぱり大事だしー。

でも今回アマゾン以外のサイトで買い物をしてみて、
これが結構楽しいということを、改めて発見した。
まず、情報量がやたらに多いから、確かに時の経つのを忘れる。
凝り性のこともあって、この辺で手を打ってという風になかなかならない。
これだけの情報を足で集めるのは、ほとんど不可能だから、
少ないエネルギーで、なんだか大仕事をしたような気分になる。
まあ、ただの消費行動といえばそうなんだけど。
秋葉原でさえ、値切りながら歩き回るだけでも相当疲れるのに、
秋葉原がいくつかまとまって向こうからやってきてくれるとしたら、これは実に助かる。

もうひとつの今回の発見は、同じサイトでも、どうアクセスするかで
受け取る情報はまったく違うのだということが分かったこと。
このアクセスルートをどれだけ開拓できるかが
ネット通販をうまく活用するカギなんだろう、きっと。
多分システムを設計する側は、こういう迷路みたいな
面白さを組み込むことも演出として考えているに違いない。
そうやってあちら側とこちら側で、知恵比べをしているみたいで、
まさしくゲーム社会が到来しているという感じがする。
商取引の相手が人間だと、いろいろ考える要素が多すぎて、
その結果の騙される、あるいは交渉に負ける悔しさには、
なかなか根深いものがあるが
(だから経験を積むことで少しずつ利口になるともいえるが)
インターネット上のそれは、ロボットと相対しているようなものだから
相手の心情とか立場なんていうのに、ほとんど気を回さなくてすむのも気楽でいい。
顧客にとって商品を手に取れないデメリットは、
対面販売ではないというメリットによってカバーされるということだろうか。
でも、商品到着後のメールのやりとりには、
そこはかとなく人間が感じられてちょっとホッとしたりする。
売る側にとっては、システムにどれだけ人間味が加味できるか、だろう。

足でする買い物のように限られた情報しかない場合も、
ネット通販のように膨大な情報がある場合も、どちらも結局は
自分が持っている情報しか判断材料がない、という点では変わりはない。
なぜそう決めたかを言語で説明できるからって、
それが本当の決定理由かどうかというと、そうでもない。
要は、自分の欲望を特定できるかどうかってことなのかも。

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2008年7月15日 (火)

企てが先行する時代

人間学アカデミーの今期の卒業シンポジウムのテーマは
「なぜウソ常識がまかり通るのか」
シンポジストは、武田邦彦さん、東谷暁さん、西研さん、それに小浜逸郎さん。
武田さん、東谷さんに、地球温暖化、経済などの分野について語ってもらい、
西さんと小浜さんが素人の観点から、それにコメントするという趣向。
シンポジウムといっても、PHP研究所の会議室が会場で、
距離的にも内容的にも、極めて身近な議論が展開される。

中部大学教授で物理工学が専門の武田さんは、
温暖化については、たいそう明確な反対論を展開。
「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」という著書もあり、
温暖化で南極の氷がどんどん融けていると報道されているが
実際には氷の体積は変わっていないこと、
北極の白熊の数も減っていないことなどを、理論的に説明。
ジャーナリストの東谷さんは、サブプライムなどグローバル経済を例に、
某経済新聞の報道を、どう読み解くかを詳細に。
石油価格の高騰も、投機的な動きによるものだとすれば、
私たち庶民は、どうやって自衛すればいいのでしょう。
投機の熱が冷めるのを、じっと待つってことかしらね。

「科学技術は人間をシアワセなんかしません。
科学技術が人間の寿命を延ばしたことは事実ですけどね。
新幹線とエアコン、あれが人間の寿命を延ばしたんですよ。
なんで昔の人は早死にしたか。
どこへ行くのにも歩いて行かなきゃなんないし
厳しい暑さや寒さに耐えなきゃなんなかったから、
体がボロボロになって、それで早死にしたんだんです。
科学技術は、それを食い止めただけですよ」
という武田さんの話術は、なかなか説得力がある。
長生きがシアワセかどうか、ということと科学はもちろん関係がない。
それを考えるのは私たちの側だが、そっちの方面に話は行かず、
哲学者の西さんはやや出る幕なしで、ちょっと残念。

環境問題もそうだが、現代は、まず企てがあり、
それに沿って情報戦が展開されるという形になりつつある。
環境問題にしても経済問題にしても、要因が多すぎて、
何が真実かはほとんど見えないのが実状だ。
割り箸を使わないで、マイ箸を持参するのが環境にやさしいのか、
ゴミの分別やリサイクルが、CO2削減に本当に役立っているのか。
そもそもほんとにCO2を削減する必要があるのかどうかさえあやふやだ。
温暖化することのほうが、人類にプラスだという考えも当然あり得る。
でも、リサイクルビジネスや環境ビジネスで
利権を得る人が多くなればなるほど、流される情報は、
そっち方向に有利に展開する。
氷河が崩れ落ちる映像を、繰り返し流す某国営放送も、
何らかの形で環境ビジネスから利権を得ているのかもね。
国策に沿っているってことが、彼らの利権なのかもしれない。

こういうウソをどうやって見抜けばいいのか、というのは難しい問いだ。
自分の想定している世界に合致しなかったら自分で情報を集める、とか
五感で判断するとか、答えは人によってさまざまに異なる。
マスメディアが流す情報は、それが私たちの望んでいる内容だからだ、
と言う意見もあるが、ほんとにそうだろうか。
私たちは、ウソでもいいから騙されたいと思っているのだろうか。
某テレビタレントと野球選手がどうした、こうしたと騒ぐマスメディアが、
多様化した視聴者のニーズを掬い上げているとはとても思えない。
テレビタレントも野球選手も、眺めて楽しめばいい対象であって、
だれもそこに道徳的な振る舞いなど期待していない。
妙にいい子ぶって処分を発表する、それは視聴者を代弁しているように
見えるが、案外何か別の思惑も働いているかもしれない。
それを推理するのも、なかなか楽しいことではある。

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2008年7月10日 (木)

『ジーン・ワルツ』

日曜日は質的研究方法の勉強会で、長老先生のお宅へ。
先生は自治医大で教えていらしたこともあり、
ご自宅は自治医大の目と鼻の先にあるが、
我が家からは、どういうルートを使っても全行程2時間あまり。
8月はバレエの発表会があるため、7月、8月の日曜日は、
すべて練習日になっているが、この日だけは、練習を休んで勉強会を優先する。
先生の体調も思わしくないけど、前の週のレッスンで、
治ったはずの腰を再度痛めて、私の調子も思わしくないので、
練習よりも優先できるものがあるのは、ラッキーといえばラッキーなのだが、
長く座っているとつらくなってくるから、長旅も良し悪しではある。

お宅には10時に着き、お昼は奥様手作りの昼食をご馳走になり、
このところ先生が気晴らしにたたいていらっしゃるという
キューバやアフリカの太鼓をたたいたり、オーストラリアのアボリジニが
使っている笛を(勝手に)吹いたり、先生の鉢植えや石のコレクションを
見せていただいたりして、研究の方は、特にめざましく進展することもなく、
次回は8月の土曜日に行うことを決める。
まあ学校の授業なんかでも、脱線している内容のほうが印象深かったりするし、
何よりも90%以上は、先生が元気におしゃべりしてくださるので、
先生とわれわれが過ごす時間を大事にすることが、
今の私にできることかも、と帰る道すがら考える。

今週は、中断していた海堂尊さんの『ジーン・ワルツ』に再度挑戦。
最近小説を読むことが少なくなってきたのは、
年のせいでエネルギーがなくなってきたこともあるかもしれないが、
最初から物語の世界を、くっきりとイメージできるようなものが
少なくなっていることもあるんじゃないかという気がする。
『ジーン・ワルツ』も、導入部は産婦人科領域の説明みたいで
イメージを作るのにちょっと手間取ってしまい、
そのうちに、ほかに読みたい本が出てきてしまったのだ。
でも何ヶ月ぶりかに戻ってみると、
後半に入る頃から俄然面白くなり、一気に読み終えてしまった。
海堂さんがミステリーの名手、ということももちろんあるかもしれないが、
人体そのものがミステリアスなので、それを材料にした物語が、
面白くないはずはない、ということなんだろうと思うけれど、
今回もお医者さんらしく、変に情緒的なところがなく、
とてもクリアに問題が示されている一方で、
胸キュンの場面も、きちんと用意しているあたりに
腕を上げたなあという感じがする。
こういう小説は、フィクションとノンフィクションの
あわいを楽しむのがいいのだろう。

この本が読者に共感を持って迎えられているとすれば、
それは、主人公の曽根崎理恵の確信犯ぶりが、
医師に対するエールになっていると同時に、
一般読者の深層心理を代弁しているからだろうと思う。
こういう風に人間を理解できるお医者さんもいるのだと喜びたいが、
これは案外小説家としての力量が勝っているってことかもしれず、
お医者さん応援団の私としては、ちょっと複雑な気分だ。
でも、医師の手はゴッドハンドでもなんでもないが、
神様は(仮に、いるとすればだけど)、
束になって自分に挑戦してくる人間の小ささを、
否定も拒否もしない、と、この本は言っているように見える。
それは、とても日本人的な世界の切り取り方ではあるけれども、
なんか救いがあって、いいんじゃない?とも思うのだ。

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2008年7月 1日 (火)

1日仕事

毎年、この季節になると我が家の近くの梅林に梅の実がたくさんなる。
なかなか大きくて立派な見栄えのいい実なのだが、
誰も採らないみたいで、ときどき道路までころがっていたりする。
昨年は控えめに、道路にころがっていた実を3個ほど拾ってきて梅酒にした。
今年は、とうとう我慢できなくなったらしい夫が、
前日に拾いに行き、山ほど持って帰ってきた。
我が家には、すでに先週アジサイを見に行った先で
拾った梅で作った梅ジャムが冷蔵庫に収まっているのだけど、
こういうときに限って、同じものが重なるものなのだ。

朝は、まずマッサージに行って前日のレッスンのケアをしてもらう。
「まだ痛みますか?」と聞かれたので「快調!」と答えたら
心配そうだったトレーナーの表情が一変。
こちらは、痛みが取れないのは自分のせいだと思っているのだけど
彼は案外責任を感じていたのかもしれない、と思うとなんだか申し訳なくなる。

筋肉をほぐして、すこぶる元気になって梅にとりかかる。
比較的青くて傷の少ないのは、梅酒と梅のピクルスに。
いつごろ作ったか忘れてしまった、さくらんぼ酒の残りを別の容器に移し、
空いた容器に、買ってきた焼酎と氷砂糖で梅酒を漬け込む。
インターネットで作り方を見つけたピクルスは
青い小梅を使っているが、我が家のは中梅で、かわいい感じにはならない。
でも、これはにんにくも唐辛子も酢も砂糖も在庫があるので、材料費は0
で、黄色く熟したのは梅干に。
食べるのが作るのに追いつかなくて、
「梅干はたくさんあるからいらないんじゃないか?」と夫に言われるくらい、
梅干はたくさんあるのだけど、大きくてやわらかく熟した梅を見ると、
つい、肉厚の梅干が浮かんできてしまうのだ。
我が家はシソの葉を使わないから一番簡単だし、塩もあるしー。
さて、こんなに作っても、まだ相当な量が残っている。
それも熟したやつばっかりだ。
あと、我が家で、あるいは誰かにあげられそうなものと言えば梅ジュースくらいか。
梅ジュースは青梅で作るみたいだけど、思い切って熟し梅で作ることにする。
梅の1.5倍の砂糖が必要なので、途中で砂糖を大量に購入しに。

朝から大量の梅と格闘し、ようやく終わったのは午後遅く。
夕方の授業に出る息子に早めの夕食を食べさせたら、
もうEURO2008のスペイン-ドイツ戦の再放送の時間。
今朝はさすがに3時半には起きられず、5時に起きたときには
すでに後半戦が始まっていたので、これで前半戦をチェック。
スペインが優勝したこともあり、ライブのときほど心臓に悪くなくて嬉しい。
今年のEUROは、全部見たわけではないけど、いい試合が多くて楽しかった。
特にトルコのあの粘りは、ほんとに驚異的。
トルコという国ににわかに興味がわいてきた。

自分で糧を手に入れ、それをいろいろ加工して食べられるようにする。
こういうプロセスを、何か無駄で価値のないことと
見なすようになったのは、いつごろからだろう、と思いながら
今週末の勉強会に向けて作業を急がなきゃと、ちょっとあせる。

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