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2008年12月29日 (月)

年の瀬の楽しみ

今年のクリスマスは、息子はバイト、娘はなにやら忙しくて
帰ってこれないというので、夫婦だけで地味に過ごす。
もはやクリスマスだからってご馳走を食べる、という気もないが
目利きの夫が久しぶりに手に入れたマグロの刺身には舌鼓を打った。

ごちそうも沢山は必要なく、ごく少量で足りる、
なんて言うと、すごく年寄りじみているが、
もちろん自分のことを年寄りだと思っているわけではない。
でも若いと思っているわけでもないから、本当のところはよく分からない。
そもそも、若いとか年寄りという概念ではヒトは分けられないだろう。
誰だって、未熟なところもあれば老成しているところもあるし、
男みたいであって、女みたいでもある。

暮れに近くなってやたらに相談の電話がかかるようになってきたので、
クリスマスの翌日の忘年会は仕事もあって失礼し、
部屋の片づけをしながら、でれでれと過ごす。
夫はトイレや風呂場、台所の換気扇の汚れなどに、
趣味が高じたプロ並みの技術を発揮している。
換気扇は大きな容器にお湯を入れ、アルカリ洗剤を入れて
しばらく漬けたあと、金具でこそげ落とす。
窓は洗面所からノズルのついた長~いホースを
ベランダまで引っ張って、外から網戸と一緒に洗う。
これは洗車機みたいに威力がある。

娘はクリスマスの翌々日に帰ってきたが
息子はその日はバイトだったりして、
夕食もなかなかフルメンバーにならない。
夕食後、娘からクリスマスプレゼントをもらい
3人で全日本フィギュアを見る。
ウオーミングアップでは村主と安藤がぶつかるアクシデント。
「アクシデントがあった相手に負けるわけにはいかないから
意地でもがんばるはずだよね」
「アクシデントが起こるっていうのは、結局相手を意識していない
からだから、つまり集中力に欠けているってことよ」
「ショートで2位っていうのがフリーでは1位になるようになってる」
などとたわいないおしゃべりをしているうちに、真央ちゃんの番に。
トリプルアクセルの2回目には「えらい!」の掛け声。
「この曲(仮面舞踏会)はほんとにいいよねー」と3人の意見が一致。
結果は真央ちゃんが優勝して、まずまず順当といったところか。
「安藤はすべりが楽しそうじゃない」
「中野は表現に集中してなかった」
「村主のすべりも、固かった」「あの人は体硬いんだって」
などと外野から好き勝手なコメントで盛り上がった。

息子は10時過ぎにやっと帰宅。
「ロスト見ないの?」のひと声で
ご近所さんが貸してくれたDVDをセットする。
このところ毎晩10時以降はロスタイムならぬ「ロスト」タイムで、
ホットカーペットの上に3人で寝転がって1話ないしは2話を見る。
「ロスト」も「冬のソナタ」と同じで、
次が見たくなるようにうまく作られている。
「おいおい、なんでそうなんだ?」
「そこでそんなことするかねー」
などと、好き勝手なヤジを飛ばしながら見る。

毎日宴会芸ばかり見せられて、テレビにはいいかげん辟易だけど
感性の確認を楽しむのには適した媒体かもしれない。
茶の間にテレビが入ってから50年くらい経つのだろうが
テレビとともに人の感性も変わってきた感じがする。
私自身は、この変化を好ましく感じているが・・。

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2008年12月26日 (金)

みんな痴呆

来年は日記をつけることを習慣にしようと密かに考えている。
日記といっても備忘録程度のもので、できればカレンダー形式で
簡単に書き込めるものがいいとネット上で探しているのだが、
まだ気に入ったものが見つからない。
SNSのカレンダー機能が使えるかと思って試してみたが
スケジュール管理はできても記録は残せないようなのだ。

手帳に書き込めばいいようなものだが、手帳を開かない日もあって
そうすると立てておいた予定を忘れることがある、ということが分かり、
スケジュール管理はWEB上でするようにしたら、
必ず通知が来るようになり、それからは約束を忘れることはなくなったが、
これは、過ぎた内容を後から思い出すのには使えない。
クレジットの決済報告が来たときに、あれは何に使ったんだっけ、とか
この間行ったのは、どこの店だったんだっけ、などというときには
やはり記録がないとダメなのだ。

年を追うごとにハンディキャップの度合いが高くなり、
さまざまな外部機能に能力を補完してもらうようになっている。
メガネでしょ、ホッカイロでしょ、エアーテックの下着でしょ・・。
洗濯機とか掃除機、ガスコンロなんていうのは、すでに論外。
ウエアラブルで、すぐメモできて(できれば音声入力できて)
あとから文字で検索できて、ついでにアマゾンみたいに
「これってやっとかなくていいの?」なんて通知をくれる
重たくない記憶媒体があったらいいなあと思う。
でも、これも自分の能力評価が適切にできてこそ、だ。

たとえば、高齢ドライバーのもみじマーク表示は
努力義務に変更されたが、罰則は行きすぎだとしても
何らかの表示はあった方がいいのではないかという気はする。
もちろん高齢者は個人差が大きいから、
運転技術の高い高齢者もたくさんいるだろうが、
外から「この人は判断が遅れるかもしれない」と分かることは
本人にとっても回りにとっても安全確保に必要なことだろうと思う。
もみじマークも初心者マークと同じでいいと思うが、
年齢が絡んでいることが反発を買っているのだろうか。

でも60歳になれば映画の入場券は1000円になるのだし
運賃が無料になる高齢パスもある。
何かにつけて高齢であることのメリットも享受できるのだから
ものは考えようじゃ?と思うが、
能力を評価されるようなイメージがあるのだろうか。

大井玄さんは著書「『痴呆老人』は何を見ているか」の中で
認知症(痴呆)が病気と認定されるかどうかは、文化によっており、
痴呆を発症するかどうかは、まわりとのつながりを
本人が感じとれるかどうかにかかっている、と述べている。
つまりどのような人間関係が周りにあるか、が
知力の衰えや情動不安につながり、
さまざまな精神症状を引き起こす要因になるというのだ。
その結果として、多くの痴呆老人は
自分だけの世界に生きるようになり(多くは過去の世界)、
ますます周りとの隔絶が大きくなる。

しかし、30年以上前に岸田秀さんが、
そして近年では養老孟司さんが、
そしてここで大井玄さんも述べているように、
自分だけの世界に生きているのは、
なにも痴呆老人に限ったことではないのだから、
それぞれが「そうかもしれない」という自覚を持つだけで
ずいぶん世界は平和になるんじゃないか、って気もする。

そうか、あの先生は痴呆状態だったんだ、
それを知っていたら、もうちょっと接し方を考えられたのかもしれない
とも思うが、だとすると痴呆だと分かることが必要だったのだろうか。
でも認知に問題がある痴呆老人は、
相手も痴呆かもしれないという意識は持ちにくいだろう。
自覚のある人が、自覚のない人と通じ合うことの難しさ
という問題は、永遠に解けないってことかもしれない。

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2008年12月19日 (金)

アルコールも飲みようで

なんだか世の中とは違ったばたばたの毎日が続いている。
仕事が立て込んでいるというわけではなくて、単に気持ちの問題なのだけど。
メディわのオフ会が終わり、あとはレッスンだけだなと思いながら
某医療系出版社からの依頼原稿をとりあえず下書き。
晩御飯にホワイトソースを作っていて、突然
ホワイトソースは、どういう原理でできるんだっけと思い立ち
アマゾンで調べてみたら、物理学者が書いた料理の本があったので注文。
それが中古の地味な包装で届いたと思ったら、
アマゾンが岸田秀さんの新刊案内を送ってくれたので、また即注文。
これは翌日、たった1冊なのに不釣合いに大きな箱に入って届く。

読みかけの本がほかに2冊あるので、あとの2冊はゆっくりお正月に読もうと
楽しみにしていたら、予約しておいた大井玄さんの
「『痴呆老人』は何を見ているか」が入ったと図書館から連絡。
ああ、こっちが先だ、と思いながら取りに行くついでに、
DIPExの勉強会で講読予定の本を予約する。
これで読まなきゃなんない本は5冊になり、シアワセではあるが
年内は2回を残すまでになったレッスンの後はワインの試飲会だし、
こういうときに限って「華氏451」なんて映画が放映されて
ついつい見てしまうと、本を焼かれても人が中身を暗記して、
次世代に伝えていく、「人が本になる」という発想にガツンとやられる。
日記の返事も考えなきゃなんないし、
ガンバとマンUの試合も見なきゃなんないし、
そのあとは「風のガーデン」の最終回もあるし、
翌日は「流星の絆」も見なきゃなんないしー。
年賀状は出し終わったので、そこだけ少し余裕。

岸田さんの「『哀しみ』という感情」は何年ぶりの新刊だろう。
「痴呆老人・・」の方を先に読まなきゃならないので、
とりあえずぱらぱらとめくるだけにしておくが、著者が年を取った分、
穏やかになった部分と、とんがった部分の両方が見えて面白い。
まだまだ元気で、あちこちに書いてくださいね、と心の中でお願いする。

「痴呆老人・・・」は日経夕刊のエッセイでどなたかが
感想を書いていらしたので興味を持ったのだが、
痴呆老人の中に攻撃的になる人がいるのはなぜか、
ということが気になって緩和ケアのコミュニティにも
参加させていただいたので、ちょうどいいタイミング。
読み始めて、たぶん「医療とは何か」という問題になっていくのだろうと予想。
「風のガーデン」の最後もそういうことを言おうとしていた。

「SIGHT」という季刊誌が
「日本の医療はなぜ私たちをラクに治してくれないのか?」
という特集を組んでいるが、医療のあり方は根本的に見直される
時に来ているんじゃないかという気がする。
予防医療が医療問題解決のための最善策と考えられているが、
ヒトの多様性を考えれば、完全な予防なんていうのは
(予防接種にしても)あり得ないだろう。
仮にあり得るとしたら、そこで医療機関は
どうやって経営を成り立たせていくのだろうか。
「小児科開業医は、これからは健診と予防接種が仕事」なんて
言っている人がいるけど、本気なんだろうか。
みんなが健康になったら、医療機関は経営難に陥るってことだけは
確かな真実だと思うけど、そんなことはあり得ないと
思っているってことなのかもしれない。

などと考えながら、毎年、クリスマスのシュトーレンを買っている会社から
ドイツワインの試飲会の案内が来たので、ご近所のワイン好きもお誘いし
夫が休日の日を選んで行くことにする。
試飲会といっても私は下戸だから、目的は試飲の雰囲気を味わうことだ。
それでもいくらかは口をつけることになるだろうと思うと
何かお腹にいれておかないとやばい。
すきっ腹に飲んだら目を回すこと必定だ。
そうぶつぶつ言っていたら、夫が仲間とよく行くモツ屋で
腹ごしらえをしようかということになり、まずは立石にあるモツ屋へ。

ほとんど屋台に近い店の中は飲ん兵衛の男ばかりが肩を寄せ合って座っている。
豚のカシラの素焼きから始まり、生レバー、煮込み、シロたれ、
ガツ生酢、タン生、あぶら生と続く。夫はもっぱら梅割り、私はウーロン茶。
夫はしきりに「生レバーうまいだろ」と言うが、私は牛の生レバーの方が好みだ。
「タン頼んでよ」「この時間じゃ、もうない」「ないかどうか頼んでみれば?」
などという会話を交わし、頼んでみたら運良くありつくことができた。
そこは30分ぐらいで切り上げて、品川駅でご近所さんと合流し
お目当てのワイン会社へ。
品川駅も、しばらく来ない間に大きく変貌している。

試飲会場に着くと、担当者が出迎えてくれてドイツワインから
フランス、ハンガリー、アルゼンチンと赤白、甘辛と次々とトライ。
あちらは売る気満々で、最後にアイスワイン、貴腐ワインも飲ませてくれる。
夫は「これで帰っちゃまずいよな」と、一番安くて気に入ったワインを
ご近所さんと共同購入、私はアルコールですっかり気が大きくなって
3種類のサラミソーセージを買う。
気がついたら16種類ものワインを飲んでおり、グラスに1杯半は飲んだと思うが
どういうわけか目も回さず、モツの効用に感謝し、すっかりご機嫌で
ワンセグで「相棒」の亀山クンの最後を見ながら、
帰路についたのでありました。

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2008年12月 7日 (日)

敗因は・・・

同じSNSに参加している同性の若い友人から
「私は忘年会に出席できないけど、後輩の20代の男の子が
初めて参加するので、かわいがってやってください」とメールが来る。
SNSでのオフ会に参加するようになって、若い男性とも接する機会が増えた。
前の会社は、なにしろ99%が女性だったので、男性そのものが少なく、
その前の会社では自分の方が若かったから、
必然的にまわりはおじさんばかりだった。
今、周囲にいる若い男性といえば息子の友達だが、
これは身内みたいなものだから、勘定には入らないだろう。
なので、若い男性に接するのは嬉しいことではあるのだけど、
どうも最近、若い男性に対する自分の評価基準が甘くなっているのが気になる。

それを痛切に感じたのは先日、某大新聞の購読勧誘にとうとう敗北を喫したからだ。
この新聞社が主催している箱根駅伝は、我が家のお正月の定番で
2日にわたる中継は必ず見ることになっている。
その箱根駅伝の、応援用ベンチコートが当たる、というので
思わず、ベンチコート着て沿道で応援する、という姿を思い描いて
(もちろん、お正月のあの寒い中を出かけて行くなんてことはまずないのだけど)
娘の名前で勝手に応募はがきを出した。
そうしたら、忘れた頃になって、
「箱根駅伝の賞品をお届けに来ました」という声が玄関に。
「えー!ベンチコートが当たった?」と思って玄関に出てみると
体育会系らしい男の子が、そのベンチコートを着て立っている。
実は当たったのはタオルだったのだが、
「中継は必ず見ます?あれ、どこからスタートするか知ってます?」
というクイズのような、テストのような会話の末、
「このベンチコート、当たった人に持ってきたんですけど要らないって言われて
持って帰るわけにも行かないしー」というつぶやきに続いて
3ヶ月の購読契約へ至るまで、そう時間はかからなかったという話なのだ。

この新聞社には知り合いの記者さんもいるのだけど
もうひとつ購読する気にはなれず、かといってライバルの大新聞も
なんだか偉そうで私の嗜好に合わないので、
今はもっぱらマイナーな一般紙と経済紙を購読している。
もはや新聞は、何かを教えてくれるものではなくなり、
自分が何かを考えるときの参考文献みたいなものだから
どれでもいいのだけど、私にとってはマイナーというのが好みなのだ。
そうしたこともあって、今までもさんざん勧誘は受けてきたが、
ついてくる景品にまったく魅力を感じないこともあって、すべて断ってきた。
連戦連勝だったのに、それがついにストップしたと思うと実に悔しい。

まあこれは、景品のせいでもあるのだけど、
客観的には若い男性に屈したと考えるのが妥当だろう。
適度にざっくばらんで、適度に礼儀正しく、うそも上手、
というコミュニケーションスキルに、まんまとやられたのだ。
イベントへの応募が勧誘に結びついているのを読めなかった
というのも敗因といっていいかもしれない。
個人情報を取られる覚悟はあっても
(だから、こっちも適当にうそを取り混ぜて書くわけだが)
まさか、それがこういう形でマーケティングに利用されるとは予想外だった。

オレオレ詐欺にひっかからないのは、もはやラッキーの部類なんだろう。
あれは、演技のうまさ、状況の設定の仕方、
相手の心理のつかみ方などが巧みで、そこにひっかかると言われているが、
そもそもが若い男性(息子や孫)と年配女性の関係性を
利用しているってところも大きいんじゃないだろうか。
男の子はなんとなく、いつまでもおぼつかない感じを
母や祖母に与えていて、そこにつけこまれるということなのだろうと思う。

昨日の春日武彦さんの講義は、ファントム・ボーダー(幻の同居人)の事例を
手がかりに、正気と狂気について考える、というものだった。
ファントム・ボーダーとは、一人暮らしの老女が、
いつの間にか見知らぬ人物が自分の家に棲みつき
物を盗んだり、いたずらをしたりしていると訴える、というものだ。
加齢による脳機能の脆弱化に加え、長年の孤独な生活がバイアスとなって
妄想が生じたと思う、と春日さんは述べていたが、
春日さんによれば、最近しばしば報道されるゴミ屋敷も
孤独から生まれる不安を埋めようとした結果だろうとのことだった。
孤独を埋めようとして、同居人を妄想するか、モノを集めるか、
前者が老女で、後者の多くは老人男性というところに
なにやら真相が潜んでいる感じがするが、
自分がそうならないという保証は、どこにもない。

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