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2009年3月26日 (木)

患者は眼中にない?

日曜日は午前中は外来小児科学会の某研究会、
午後はディペックスの定例会議に出る。
どちらも東京駅周辺だったので1日有意義に使えてちょうどよかった。

この研究会に出るのは2回目。
1回目は自分たちの研究についてアピールするためだった。
この研究はリーダーの先生が亡くなってしまったので頓挫したが
私自身は方法論的に問題があると思っていたので特別残念な気はしない。
亡くなる直前まで、先生のご自宅へみんなで伺い意見交換しながら
前へ進めようと努力はしたが、根本的な部分で
考え方が折り合わないことが分かったので、取りやめは幸いだった。

2回目の先日は、クライアントの先生から誘われたこともあって
まったくフリーな立場で参加し、それなりに面白かった。

「溶連菌感染症の治療における抗生物質の投与期間は
7日でいいんじゃないかという仮説を検証する研究をしませんか」
という議論では、1日に3回飲ませるか、2回にするか議論が続いた。
どっちでもいいなら2回にすれば、と喉まで出かかったが、
先生たちがそのことについて、あまりに真剣なので
何か議論の根拠があるのかと思い口に出さなかった。
どちらでもいいなら、保育園や幼稚園などの集団生活に入っている
子のことも考えれば、2回がいいに決まっている。
あんまり新参者だと意識しないで言えばよかったなあと、今になると思う。
その方が議論を前に進められただろう。反省。

「ワクチン接種を推進するための因子を研究したい」というのもあった。
因子といいながら、ワクチンを勧めるはがきを出して、
その結果が「夜間・休日ワクチン外来」にどの程度反映するか見たい
というものなのだが、「夜間・休日ワクチン外来」というのが
どこにでもあるものかどうかが分からないのに、
全国規模で研究協力を呼びかける、というのが最後まで???だった。
対象となっているワクチンは1歳6ヶ月までに受けることになっている
6種だか7種だかのワクチンで、ほとんどの地域では
公的援助の対象になっているものだ。
公的なお知らせが届いているものに、さらに知らせを出して
その効果を見るというのが理解できないし、
その属性調査のためのアンケートに親の収入項目を入れる
というのが、そんなに大事なことかねーという感じで聞く。
先生たちは一様に、収入の多さが親の行動を左右している
というのだけど、公的援助が出ているワクチンの接種率と
親の収入が、どう関係しているというのだろうか。
収入が少ない親は普通なら、無料のものはありがたく受けるだろう。
そう考えないとしたら、そこに何が影響しているのかを考えるのが
研究なんじゃないかと思うのだが、企画した先生とは、
一度だけ別の研究会で会ったことがあり、そのときはお腹が大きくて
今は出産を経て、大学院生と小児科医の二束のわらじを履いている
忙しい状態なので、まあそういう大変さもあって詰めが甘いんだろう、と黙っていた。
でも参加者としては、これも反省の部類には違いない。

「スリングという抱っこ紐を上手に使わせるにはどうしたらいいか」を
研究したいというのもあった。
「うまい抱き方というのをどう評価するのか」という意見が出て
やっとなんだかまともな意見を聞いた感じになった。
「母親が一番心地よいと感じる抱き方」という観点が必要じゃないか
という意見もあって、そうそう、と思わずうなずく。
小児科医というと、とかくこどもだけを相手にしがちだが
こういうまともな男の先生もいるんだ、とちょっと嬉しくなった。

「麻疹含有ワクチンの発熱率は、それほど高くない」ことを証明するのに
接種後28日間、7度5分以上の発熱を親に報告してもらう。
接種しなかった対照群のデータも同様に取り、差し引きして
統計処理をし、結果を出す、というのもあった。
こういうのを科学的というのかどうかよく分からないが、
なんだか靴の上から足を掻いているような変な感じがする。
ふだんから疑問に思っていたので、ここで一応確認しておこうと
「副反応の熱とそうでない熱は区別できないのか」と質問。
答えは、できないのだそうだ。
それなのに、こんな方法が何かの証明になるんだろうか。

なんだか不思議な内容の研究会だったが、それはどれもが
目的ではなく、方法を優先(目的化)して考えているために、
対象(患者)についてはすっぽり抜けてしまっている、という印象が強いからだろう。
やっぱり同じ職種の人ばかりが集まっても発展性がない。
私が誘われた意味はよく分かるが、な~んか大変そうな感じがする。

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2009年3月21日 (土)

特権階級じゃなくても

世間では木曜の夜あたりから連休モードだが
こちらは木曜の午後から、連日お仕事モードである。
木曜の午後は休診のところが多いので、もともと電話が多いのだが
今年に入ってクライアントが増えたせいか、尋常じゃない数の電話が入る。
都会はヒブワクチン、地方はインフルエンザがトピックといったところ。
翌日の休日になっても、電話は相変わらず。
やっているかどうか、とりあえずかけてみる、というのは分からなくもないが、
休日であることを忘れて電話をしてくるというのは、どうもよく分からない。
時間外の相談ができる、と告知していないはずなのに、
当たり前のように電話をかけて、話をして切る、というのも???である。
「今すぐ受診したい」という雰囲気でかけてきたのに
「明日の受診」ということになったとたんに、意気込みは弱まる。
こっちは内心、朝一番で予約しなくていいのか?とつぶやくが
「じゃ、明日の予約は11時で」という具合だ。
まあ、こちらの説明がよかったのかと喜ぶべきかも。

相談を受けていると、基本的な知識が伝わっていないのがよく分かる。
発熱、風邪、インフルエンザなどなど。
説明は受けているけど理解できていないのか、
説明のしかたが悪いので理解できないのか、こればかりは何とも言えないが、
電話は視覚情報がないので、集中して聴くことができ理解が深まるのだろう。
診察における説明のあり方を考えるときには、情報源の多さが与える影響
という点も考慮しなければならないのかもしれないが、
まずは、相手に何がどう伝わったかということを
当の医療者が知ることから始めるべきだろう。
というエッセイを、『病院』という雑誌の3月号に書いた。
医療における問題の多くは患者から医療者への
フィードバックシステムが整備されていないところにあるのだと思う。
診療は、本来なら双方向だから患者からのフィードバックも
期待して然るべきだが、実際にはほとんど片方向といってよいだろう。
患者が必死に訴えても、それにどう対処したらいいか分からない医療者も多い。
これは共通言語がないからではなく、生活背景が違うからだ。
もっと正確に言えば、生活背景の違いが意識できていないからである。
電話相談というのは、そういう片方向を双方向にするシステムなのであり
患者からもたらされる疑問は、とりもなおさず医療の側の問題でもある。
というような、一般企業で、やっと理解が浸透してきたことが、
医療においては、今、ようやく理解の緒についたというところだ。

フィードバックが一番遅れているのは政治の分野だろう。
昨日の「スパモニ」ではスウェーデンの政治のあり方を特集していて面白かった。
スウェーデンは国土の大きさは日本と同じくらい、人口は日本の10分の一である。
人口が少ないので、みんなが働かなくてはならず、
そのために教育、医療は無料、失業給付、育休制度なども充実している。
突発的なことが起こっても、国(みんな)が何とかしてくれる
という意識があるので、貯金もしないし、
消費税が20%以上でも文句は出ない。
お財布を国に預けているような感じなのだそうだ。
私が一番気に入ったのは、スウェーデンの政治家はみんな
当たり前のように電車やバスで通勤するというくだり。
政治家が特別な生活をしていると、一般の人の状況が
理解できなくなるので、それはよくありません、と当の政治家が言っていた。
有識者会議で一般人の生活が分かると思ったら大間違いってことだ。

日本では、政治家になるということは、
いまだに特権階級になることと捉えられている節がある。
特権階級になることで、なぜいい仕事ができるのか分からないが
そう思わないと仕事に取り組めないとしたら
それはずいぶん貧しい心理だという気がする。
横並び意識が強いので、とにかく外的要因で差別化しないと
自分の価値が感じられないってことなんだろうか。

スウェーデンは人口が少ないことに対する対策を講じて
経済成長を確保しているのだそうである。
だったら日本は、人口が多いことを逆手に取ればいいと思うが
政治家が特権階級にこだわっているようでは、
日本という国の持つ特性を明らかにした政治なんて望むべくもないのかもネ。

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2009年3月14日 (土)

数は力?

医療者とメディア関係者が参加している某SNSで
地域の医療機関を成り立たせるためには
どうすればいいか、という議論を読む。

自分の住んでいる地域の医療機関ではなく
地域外を受診する住民が多いために、
地域の医療機関が病院から診療所へと改変されたり
つぶれそうになったりしているそうである。
地域の病院を存続させるためには
地域外ではなく地域内の受診率を上げることが必要なのだそうだ。
「でも、もともと病院を受診しなくて済めば
それに越したことはないんだしー」と書き込んだら
「いや、誰でも病院には必ずかかることになるんだから」と。

そりゃ、たしかにそうなんだけどー。
でも問題の設定のしかたがちょっと違うような気が。
医療は一般のビジネスのように、沢山売れたり
沢山利用されることを誇るような仕事じゃないだろう。
患者が引きもきらないってことを、どこかで恥じる気持ちがない医療
というのは胡散臭いと考えた方がいいんじゃないか、と思うのだ。
医療のレベルが上がるということは、患者が少なくなることを意味する。
もちろん、医療レベルが上がることで
以前は助からなかった命が助かるようになり、
その結果さらに医療を必要とする人が増えるということはある。
だけど、これがいいかどうかは、まだ医療界の中でも決着がついていない。
長生きをする人が増えるほど医療費はかかると言われているから
医療費削減のために予防医学を普及させる、というのも論理矛盾だろう。

今の時代、良心的なお医者さんほど自分が万能だとは思っていない。
患者が賢くなればなるほど受診率は減ると考えている。
だけど制度は患者の数で病院経営が左右されるようになっている。
だから、無意識のうちに患者を減らさないような方向へ走る。
これが、今の医療の問題だろう。
だから、受診率を上げなければ経営が成り立たないような
しくみそのものを問題にすべきだと、私は思うのだけど、
これは、なかなか医療者には理解してもらえないみたいで、
話は住民の意識を変える必要がある、なんて方向に行ってしまう。

医療機関というのは、本来受診する人がいなくても
「存在する」ってところに価値があるはずだ。
もちろん、これは質の悪い病院でもほっておいてよいということではない。
それは受診率が高いからよい病院とは言えないってことと同じだ。
たぶん大量生産、大量消費という風潮があまりに強固なために、
医療も同じ構造で考えてしまうところに問題があるのだろうけど、
「医療はそういうものじゃない」って、
どうして当の現場の医療者が声を上げないのかが不思議だ。
「医療とは何か」ということを、今一番考えなきゃいけないのは
医療者自身なのかもしれない。

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2009年3月 5日 (木)

ご機嫌の源

寒くなるとレッスンスタジオの床の冷たさがこたえる。
みんなと同じようにバレエシューズや靴下を履いてもいいのだが、
もともと裸足で踊りたいと思って始めたバレエだし、
裸足の方がじかに床をつかめて安定感があるので、たいていは裸足だ。
寒いと体もなかなかほぐれない。
身体の硬さと精神の硬さは相関がある、というのが私の仮説なのだけど
それだと自分の精神(アタマ)は硬いってことになってしまう。
そんなはずはない、と思いつつ、ちょっとぐらついたりする。
でも去年の秋から週2回にレッスンを増やしたら、
少し筋肉がほぐれてきたような気がする。
首と背中がちゃんとつながっている感じが分かるようになってきた。
寒いシーズンは、もっぱらホッカイロを腰に貼るようにしたら
今年の冬は腰を痛めることもなくなってきた。
あんなに鍼灸院に通ったのがウソみたいだ。
つまり、身体も精神も、いかに血行をよくするかが勝負だ
っていう意味では同じことなのかもしれない。
血行をよくすることは、機嫌のよさにもつながっている気がする。

「毎日を機嫌よく過ごす」というのは
生きるコツなんだろうと思うが、これがなかなか難しい。
下手に機嫌よく過ごそうとするあまり、
何も見ない、何も聞かない、何も考えない
という状態に陥っているという例は、案外多いんじゃないだろうか。

先日のETV特集に辺見庸さんが出ていた。
秋葉原の無差別殺人事件を手がかりに、
今という時代をどう考えるかというような番組だった。
衝撃の「もの喰う人々」を読んで、編集者の友人は
「私もこういうものを書きたい」とつぶやいたものだ。
彼女の切っ先の鋭さにはいつも脱帽させられていたが
常に冷静で穏やかな雰囲気からは、
そんな熱さは予想外でそれも衝撃だった。
辺見さんは脳梗塞か何かで一度倒れて足が少し不自由になり、
その後、たしか癌も見つかり現在治療中でもある。
今を、見えないベールに覆われて、生の感覚が得にくい時代と捉え、
それが無意識の荒びにつながっている、
このことを意識した方がいい、というようなことを喋っていた。

こういうふうに要約してしまうと、なんだかすごく飛躍があるけれど
時代が不機嫌さに満ちている、という感じは実感としてある。
ひとつには、すべてが自分の手の届かないところで起きていて
自分には手の下しようがない、という感じが強いからだろう。
もうひとつ、そういう理不尽さは自分だけに降りかかっているんじゃないか、
というような切り離された感じ、というのもあるかもしれない。
でも、世の中が自分の手の届かないところで動いている
というのは、別に今に始まったわけじゃなくて、
昔は単に、そうだと知る手立てがなかっただけじゃないか、という気もする。
そんな風に感じるヒマもないほど生活に追われていたので
自分だけに理不尽が降りかかっているなんていう風にも
考えなかったってことなのかもしれない。
そういう意味では、今は見えてないってことが見えるいい時代なのかも。

「ご機嫌な職場」と題する知人のニュースレターには、

2007年10月まで、日本経済は戦後最長の好景気を続けましたが、
その要因は米中への輸出と設備投資によるもので、
賃金上昇率は頭打ちだったため、生活者には好況の実感はさほどありませんでした。
また、多くの企業が過去最高益を謳歌しましたが、これはバブル期の反省によって
過剰債務・過剰雇用・過剰設備の削減が進み、
利益の出やすい体質になっていたからです。

と書かれていた。
輸出産業が牽引していた好景気が、アメリカ発の金融危機で総崩れになり
今頃になって一斉に内需拡大とか言い出して、
賃金を上げる代わりに定額給付金でごまかそうとするあたりは
いつもながら場当たり的だ。
でも問題は、もはや内需を拡大できるほど
我々の生活は貧しくない、ってところにあるんじゃないのかなあ。
だいたいみんなが買い控えられるってことは、
今までどうでもいいものを買ってたってことなんだし、
フォアグラを生産するガチョウみたいに、
私たちの生活は、そんなに何でも詰め込めるようにできていない。
そういうことがまるで分かっていない総理大臣を
取り替えるのを楽しみに選挙を待っているのに、
民主党の党首は、あのていたらくで、
なんだか悪い冗談を聞かされているみたいだ。
私たちのご機嫌の源を持っていかないでもらいたい。

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