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2009年6月29日 (月)

リタイヤしたら学会へ行こう

ディペックスのさくまさんが発表するというので
今年度のディペックスでの研究の下調べも兼ねて
初めて「日本女性学会大会」というのに参加してみる。
今年は母校での開催ということで、茗荷谷下車も久しぶり。
卒業以来数十年経つが、数年前に幼稚園のホームカミングデイで
クラス会をやっているから、まあ懐かしいというほどではない。
この間は気づかなかったが、校門の前にあった
「スウィートコーナー」という小さな喫茶店とも
ミルクスタンドともいえないひなびた店は
小さなこじゃれたカフェになっている。
昔、この店は白髪の顔の長いおじいちゃんがやっていて
背の高い双子みたいな兄弟がいた。
だからというわけではないが、高校生だった頃は、
よく入り浸っていたものだ。
校門から講堂へまっすぐのびている並木道のイチョウは
一段と大木になったような感じがして年月を感じさせる。

講堂で受付を済ませるが、事前のインフォメーションが違っていたのか
目指す部屋がなかなか見つからず、散々ウロウロして、
やっと講堂の奥にある部屋がそうだと分かる。
生活科学部の教室みたいで、こじんまりとしているが
それでも60人ぐらいは入るだろう。
受付でわたされた「入会のお誘い」というのには
「日本女性学会は、あらゆる形の性差別をなくし、男性視点で構築された
既成の学問体系をこえた女性学の確立をめざし、そのための研究と
情報交換をすることを目的とした学会」と書いてあって、
女性学というのがあるなら男性学もあればいいのになんて考える。
現実を端から当たり前と考えていると、
そういう発想はなかなか出てこないのかもしれない。

ひとつの分科会の持ち時間は1時間40分で、発表者は3人。
ひとり20分に質疑応答が10分あり、このゆったりさはなかなかよい。
提出されるいろいろな演題は、ざっくりとした共通項でくくってあって
極めてアバウトだが、ここから何を得るかは聞く側の感性ということだろう。
さくまさんの演題が出ている第2分科会は、彼女の
「がん治療における性ホルモン抑制とジェンダーの揺らぎ」のほかに
「科学技術とリプロダクティブ・ライツ」
「日本を再び男性化する:国家的理念の表象としての太陽の塔」
といった具合で、司会者曰く「身体でくくってみました」
座長なんて偉そうな言葉を使わないのもよい。

「がん・・」も「科学技術・・」の発表も面白かったが
この分科会でもっとも衝撃的だったのは最後の「日本を男性化する:・・」だった。
大阪万博のために岡本太郎が制作した太陽の塔が
八紘一宇のイデオロギーを再生させるものだったというのである。
八紘一宇とは八方の方位をひとつに統一するという意味で
「世界をひとつの家にする」と唱えられて大日本帝国の国是として使われた。
大阪万博では、男の頭と女性の身体で構成させた太陽の塔を
巧みに配置させることで、八紘一宇のイデオロギーを再生し
家父長制イデオロギーを補強した、というのがこの発表の要旨である。
太陽の塔の表象は、敗戦、占領体験で、日本と彼らのマスキュリニティ(男性性)を
去勢されたと感じていたナショナリスト達が、
その屈辱感を象徴的にくつがえし、日本を男性化する方途だった、というのである。

大阪万博は遠いし特別に興味もなかったから見に行くことはなかったが、
国家的イベントというのは、多かれ少なかれ国家の何らかの意図がある。
それをどのような視点で読み解くかによって、見えてくるものは異なる。
どれが正しいとかいうことではなく、どのような解釈の可能性があるか
ということが分かることが大事なのだろうと思う。
岡本太郎は一般的にはアヴァンギャルドな芸術家として知られている。
質疑応答でもこの点からの疑問が出されたが、当時の制作グループには
小松左京や黛敏郎などさまざまな人間が関わっており
それが、さまざまに作用していたのだろう、と発表者は解釈していた。

せっかく参加したので、引き続いておこなわれた第4分科会の
「第1次から第6次『主婦論争』にみるジェンダー規範の変容」というのも
聞いて帰ることにする。面白い発表だったが、規範が変わったということを
実例を提示して説明するだけでなく、なぜ変わったのかという点まで
踏み込んでもらえると、もっと面白かったなあと思いつつ、学会を後にする。

専門用語のような仲間内の言葉を頻発させて仲間だけで楽しむのも悪くはないが、
それだけだと共同体はひたすら自閉していく。
今回のような実生活から発想していく学会は、もともとはさまざまな人に
開かれていて、それこそ「衆知を集める」のが目的だろう。
新たな知識というより、新たな視点を得るだけで、随分情報化は進む。
下手なシンポジウムより、よほど有益かもしれない。
これで2日間の参加費はたったの500円だしー。
これからの時代は、「リタイヤしたら学会へ行こう」を合言葉にしたらどうだろう。

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2009年6月26日 (金)

ひと足早い誕生日

コンフィチュールのジンジャーシロップをお中元にしようと
日本橋の高島屋へ行ってみたら、先月で撤退したとかで、ない。
東京駅の構内に移ったそうだが、入場料を払うのは嫌なので銀座店に行くことに。
八重洲ブックセンターの前を通り過ぎ、日本橋通りより1本手前の細い通りを
だいたいこの辺だろうと見当つけて歩いて行くと、
突き当りをちょっと左に曲がった最初の通りに運良く見つかる。
84歳のバレエの先生は、ここのレモンジンジャーがすっかりお気に入りだ。

7月になったら届くように頼んで、店を出る。
横の通りに出ると目の前に「天龍」の行列。結構人気があるのねー。
どこで昼食にしようか考えるが、あちこち探すのは面倒なので
伊東屋の9階のカフェへ。ここのオリジナルサンドが銀座での定番だ。
コンフィチュールでピーチの試飲をして、口の中が甘いので
今日は紅茶がいいなあと思い、デザールブレンドというのを頼んでみる。
甘い香りのちょっと変わった味の紅茶で、ポットで出されるのも嬉しい。
何となく今日は正解だな、という感じがする。
この紅茶は、帰宅して調べてみたら、アールグレイの一種だった。
食べながら明日が返却期限の本を読むが、なかなか終わらない。

伊東屋でラミーの万年筆を、しばしためし書き。安いが書き味はなかなか。
もうすぐ息子の誕生日だから、もっぱらボールペン派の彼へ
1度くらい万年筆を使ってみたら?と贈ってみようか。
伊東屋の後は久しぶりに松屋へ。
一階でどんな催し物をやっているか覗いてみたらレイングッズで賑わっている。
知らない間に、上りと下りのエスカレーターの方向が反対になっていたので
いつもとは異なり3階の靴の売り場を抜けて靴下の売り場に。
松屋の靴売り場は、なかなかとんがったデザインのも多いのだが
年配の女性も結構多くて、なんだか嬉しい。
これからますます高齢者が多くなるだろうが、そういう人たちが
奇抜な、明るい色の靴を履いて楽しげに歩いているのを
見ることができたら、こちらもシアワセな気分になれるはずだ。
なんて思いつつ、靴下売り場を冷やかしていると、
顔は日本人なのに、ばかに足のきれいなショートパンツの女の人が
横で靴下を見ている。ボーイッシュで、ちょっとこれからアフリカへ
写真でも撮りに行くって雰囲気で、変に派手派手しくもなく、いい感じだ。
う~ん、これだけ足がきれいだと、
やっぱりショートパンツだろうなあ、と思いながら上へ。

どこも何かしらセールをやっているので、食器売り場で小皿を探す。
半月型の、ちょっといい伊万里風があったが高いのでやめて、
いつものように7階まで上がり、デザインギャラリーを覗き、
隣のデザインコレクションからテーブルジョイへと回遊。
キサの夏のサンダルと手ごろな九谷の小皿を手に入れる。
メンバーズカードを忘れたことを除けば、まずまずの収穫。
やっぱり今日はいい日みたいだと思いつつ帰宅する。

家に着いたら夫が、
「さくらやでジョギング用に買った時計が女性用だった。オマエ使う?
使うんなら、誕生日プレゼントにやるよ」というのでもらうことに。
携帯を持つようになってから、ほとんど時計をしなくなってしまったが
私の携帯は普段は電源を入れていないから、これはこれで不便なのだ。
まあ、デザインは夏向きだから、身に着けるのは夏の間だけだろうけど。

ネットでの無礼な振る舞いに腹を立てるのも、街で元気をもらうのも、
しょせんは自分の心の問題なのだが、実体のないものに
影響を受けるなんて馬鹿みたいだと思えたひと足早い誕生日だった。

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2009年6月25日 (木)

似たもの同士

医療者(主に医師)とメディア関係者が作っているSNSに
参加させてもらっている。
呼んでくれた編集者は、私を呼んでおいて
自分は仕事の都合で抜けてしまった。
雑誌の出版もなかなか経営が大変みたいなのだ。

さまざまなSNSやメーリングリスト(ML)は、
新しい人と知り合ったり、色々な意見を見聞きしたり、
情報交換したりできるので、仕事上でもとても役に立つ。
最新の医学情報は、たいていこれらが情報源だが、
医師の情報収集能力はまったく大したものである。
参加する医師のタイプはSNSによって全然違う(ような気がする)。
参加する職種が多いSNSほど、あたりまえだが話題は広い。
趣味や日常の話題の中で、人間性が見えてくる。
とはいっても、これはあくまでもバーチャルな世界だから
こちらが想像しているだけで、実物は全然違う可能性大だ。
これまでの経験から言うと、バーチャルな世界で偉そうなタイプは、
実物も偉そうだが、バーチャルですこぶる開かれた感じなのに、
実物は偉そう、という場合も結構ある。
どう演じたところで本質は変わらないということかもしれない。

メディア関係者と医師が多く参加しているSNSでは、
日常の話はほとんど出ない。
政治か医療に特化している印象がある。
ここでは当然のことながら、しばしば報道が話題になる。
なかでも医療報道は、ほとんど目の敵である。
まあ、たしかにそういう側面はあるので、
参加している報道関係者も、その辺はよく心得ていて
凄惨なバトルが繰り広げられる、ということはほとんどない。

医療報道に限らず、テレビにしても、新聞にしても
昨今の報道のしかたには問題が多い。
リークされたことや公的な発表をそのまま報道して、
裏を取ったり、観点を変えて掘り下げるということが少なくなっている。
これは実際に報道機関の中にいた人が言っているのだから本当だろう。

情報の伝え方が断片的で一般論に終始し、断定的である
というのはマスコミの特徴だが、実は医師の情報発信の特徴でもある
ということは、以前厚生省の研究班に参加したときの結果である。
この結果は「小児保健研究」に発表した。
マスコミは不特定多数が対象だから、どうしてもそうなる。
説明不足、というのも両者に共通している。

SNSに参加して、もうひとつ共通点があることが分かった。
両方とも「感情的」あるいは「情緒的」ということである。
感情を揺さぶるような報道のしかたは特にテレビに多いが
新聞もそういう物語を作る傾向が強い。
怒りや同情をかき立てるような仕立て方は、
読者や視聴者をひきつけるための戦略なのだろう。

医師が案外情緒的というのは、これとはちょっと違う。
ごく一部のことだろうと思うが、
「自分はこんなに一生懸命にやっているのに、
患者(マスコミ)は全然理解してくれない」という思いが
根底にあるような感じがする。
でも一生懸命さでは、患者だってマスコミだって同じはずだから、
大変さでは共通しているわけで、理解し合うきっかけは
そこにあると思うのだが、彼らにとっては大きな壁があって
乗り越えるのは不可能、もしくは徒労だと思っているようである。
マスコミは相手をひきつけるために情緒を利用し、
医師は自分の感情は見るが、相手の感情は見ない。
似てはいるけれど、相手の感情に配慮しているという点では
明らかにマスコミの方が上手といっていいだろう。
マスコミは叩く相手ではなくて、学ぶ相手なんだろうと思う。

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2009年6月13日 (土)

たぶんネタが多すぎなんじゃ?

らっきょうの甘酢漬けを作る。
今年は甘酢に赤梅酢を入れてみることにする。
赤梅酢が入ったらっきょう漬けは、切り口がほんのり赤く染まってきれいなのだ。
これで切り口の褐変がカバーできたら、おすそ分けするときも言い訳しなくて済む。
切り口が茶色く褐変するのは、たぶん鋼の包丁を使っているからだと思う。
別に実害はないのだが見た目が美しくないし、多少味にも影響しているはずだ。
こういうの、昔はどうしていたんだろうと考える。
褐変自体を気にしなかったのか、使う包丁が違っていたのか。
手作りしてみると、市販のらっきょうがきれいにできあがっているのは、
おそらくビタミンCか何かで漂白をしているか、何か工夫があるに違いないと分かる。

某SNSのリンクフレンドでジャーナリストの人のブログの映画評を読んでいたら
彼が書いた本が目に留まり、アマゾンのページへ。
「新聞はこれからどうなるか」という関連テーマの本が結構出ていることを知る。
なかには30人もの人がレビューを書いている本もある。
地味なテーマに、こんなに何かと言いたい人がいるのだ。
ベストセラー小説について、あれこれお互いに言い合いたい
というのなら分からないこともないが。

新聞が衰退しつつある背景には、
新しいことを知らせてくれる手段が、新聞だけではなくなったってこととか
記録媒体として使い勝手が悪いとか、
目に見える情報だけが情報だと誤解されているとか
記事の作り方が旧態依然としているとか
ビジネスモデルとしての経営の仕方が古いとか、
いろいろあるみたいだけど、
一番大きいのは、そもそも毎日そんなにネタがない、ってことじゃないだろうか。
これはテレビとも共通しているだろう。
ネタがないから、内容が薄くなり、
内容が薄いから読者の期待に応えられずに顧客離れが起きるってあれだ。

もちろん世の中には、知るべき事柄はあふれているし、
私たちは、今アフガニスタンで、あるいは沖縄で
何が起きているかを知っておくべきだとは思うが、
新聞自体が、すでに情報処理能力を越えた情報を処理しきれずに、
結果的にネタがない状態に陥っているのではないかと懸念する。

そして問題は、新聞自身がそのことを理解できていないってことだろう。
もちろんこれは新聞に限ったことではないけど・・。
シャワーのように起きたこと(ニュース)をこれでもかと浴びせかける、
というのを無益だとは言わないが
(特に日本のように湿気が強くて汗がこびりつきやすい気候では)
シャワーだって、多くてせいぜい1日2回、
必要に迫られなければ、2日に1回でもこと足りる。
そもそもシャワーは、浴びたい人のためにあるっていうことを
新聞にかぎらずマスメディアといわれる大メディアは見落としているのだと思う。

そういう意味では夕刊を廃止した新聞もあるみたいだが、
どうせならいっそのこと、毎日ではなく、2日おきとか3日おきに
発行するっていう風にサイクルを変えてみたらいいかもしれない。
もちろん毎日の戸別配達には感謝しているし、それを
学費の足しにしている学生のアルバイトをなくしたくはないが、
いくら腕利きのジャーナリストだって、こんなに複雑な世の中に、
毎日短時間で、読み応えのある、痒いところに手が届くような
記事を書けという方が、土台無理な要求なのではないだろうか。

新聞が、自分の情報処理能力に合わせた情報発信の方法を
見出すことは、情報化社会では大事なことのような気がする。

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