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2009年8月31日 (月)

宇宙人に違和感がない時代

予想通り民主党が圧勝。
マスコミがあんまり「勝つ、勝つ」と事前報道するので、
それじゃあ、かえって逆効果じゃ?と心配したが杞憂だった。
財源が明確じゃないとか、一度も政権を担当したことがないから
任せるのは不安だとか、いろいろ言われるけれど、
何だって初めてということはあるのだから、やってみればいいのだ。
いつもいつも景気回復なんていうカネの話ばっかりで、
それ以外に心に響く言葉が発せない人には、政治なんてやってほしくない。
そりゃあ、ご本人はお金に執着があるのかもしれないが、
私たちは、前へ進むエネルギーがほしいので、
それはお金じゃ難しい、と思っているのだ。
夢や幻想で食えるか、ということかもしれないが、
どんなリアリストだって、幻想とか想像力をかきたてることができなければ
リアリストでいることさえできないのだから、そこを勘違いしてもらっちゃ困る。
宇宙人である鳩山さんは、そういう点で得をしたのかもしれない。

9月5日に、平成21年度厚生科研
「小児救急電話相談の実施体制および相談対応の充実に関する研究」班が、
市民公開シンポジウムを開催することになった。
どういうわけか、今年から参加している私がシンポジストに選ばれて
資料を事前に送れというので、慌てて作成して事務局の先生に送る。
私の仕事は、小児科開業医の時間外の電話相談なので
小児救急電話相談とは直接の関係はないのだけれど、
『外来小児科』という学会誌に
「小児救急電話相談に利用者が求めること」
「保護者はなぜ不要な救急外来受診をするのか」
という2本の論文を書いたので、それが目に留まったということかもしれない。
電話相談をしてくる保護者は、基本的に「受診は不要」と考えているから
そういう人たちの相談に乗って、「受診を減らすのに役に立った」
と喜ぶのは少々ナイーブじゃない?
救急受診を減らしたければ、「受診が必要」という人をなんとかしなきゃ
意味ないでしょ、というような論文と重なる内容を、
昨年のデータをまとめたのと一緒に送る。
ついでに電話相談の存在意義についても触れておく。
おそらくここが、医師かそうでないかで発想が大きく異なるところだ。

資料を作成し終わったので、土日は少しリラックスして
外来小児科学会年次集会のワークショップへ。
1日目は「小児科外来教育の評価方法」。
お医者さんたちは、学生や研修医の時代に実地研修として
診療所や病院に行くらしいのだが、そうやってどんな小児科医が
育てられようとしているのか、今年「患者の語り」を研究テーマにしている者として、
知っておきたい内容なので参加する。

参加者は私以外は全員、小児科医ばかり。
リーダーの先生は、私ひとりだけが医師じゃないということで
役に立たないんじゃ(もちろん私にとってだけど)と心配なさったみたいだが、
参加した本人にはすこぶる満足できるものだった。
何が面白いって、どうやらあるべき医師像という国が想定したものは
あるみたいなのだが、それは現役の医師にも、これから医師になる人にも
共有されているとは言い難いみたいなのだ。
研修生を迎える医療機関の側から共通して上がっている声は、
何をどう評価したらいいのか分からない、というものなのだが、
これって、ちょっと考えれば、何のために研修をしているのか
という目的がはっきりしていないからだろうってことはすぐ分かる。
行き先が分からないまま飛行機を飛ばすってことは普通はないだろう。

2日目は「外来での医療事故を根本原因分析により解析する」。
医療現場でのヒヤリ・ハットを減らすための対策の立て方を
根本原因分析という方法で見つけていこうというもので
簡単に言えば、「なぜ」を繰り返すことで答えを見つけるというものである。
名前だけリーダーに載っている都合上参加。
直感的に見つかる答えを、わざわざロジカルに表現するのは
誰にでも納得できるようにするためだけれど、
論理だけで答えが出るわけではなく、結局は発想がものをいう。
「こういうことを患者に要求しても無理かも」という意見に対して
「患者のような素人にも、事故が防げるシステムが大事」
という意見を強硬に主張する。
どうも専門家は、自分を守るために素人を素人扱いするので困る。

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2009年8月15日 (土)

お盆の1日

世の中はお盆休みとかで、民族大移動がおこなわれているみたいだけど
私はもともとふるさと(のすぐ隣の県)に住んでいるわけだし、
別に行くところもないので、家で仕事をしながら過ごす。
どこのクリニックも夏休みに入るところが多いので、
朝からそれなりに電話は多い。

地域によっては、奇特にもこの時期休診にしていない医療機関があり、
怪しい事例は、せっせと回す。
こういう医療機関があるとないとでは、こちらの安心感も全然違う。
かかりつけ医に義理立てして
「月曜日まで待って先生を受診しようと思うが、それまでどうしたら?」
なんて恐る恐る聞いてくる保護者もいるが、
そんなのには全然構わず必要なケースはどんどん回す。
せっかく開いているところがあるんだから、遠慮しないで受診すればいいのだ。
その方が開けている先生だって、読みが当たって嬉しいだろうし。
でも、地域によってはどこも休診というところもある。
一番近いところで車で30分かかったりする。
こういうのは、普段は医療機関が豊富だとしても
医療過疎地に入れるべきだろう。

退屈しのぎに、ちょこっと駅前などへ行ってみるが、
期待したほど人出は少なくない。
デパートなんかはがらがらを期待したのだけど、普段より混んでる。
みんなあんまり遠くへは出かけていないみたいだ。
東名の道路の崩落もまだ直らないし、出るのを止めたのだろうか。
あんなに大規模な崩落を、とりあえずにしても
4,5日で立て直すっていうのがすごい。
本格的な修復は、もっと後からやるらしいが、
どうせならちゃんと時間をかけて1回で終わらせる方がいいような気もする。

家族がいる家の中だと集中できないので、
中央公論9月号を持って、お気に入りのカフェへ行き
9月に開かれる厚生科研「小児救急電話相談研究」班主催の
公開シンポジウムで発表する内容を考える。
コーヒーを2杯飲んでいるうちに骨子がまとまりメモ。

中央公論の特集は「超・医療格差が奪う未来」。
久坂部羊さんの『国民皆保険が壊れた日』は面白いけど、
どうして医療の行く末というと、みんな自由診療で
金持ちと貧乏人の医療格差という話になるんだろうか。
MLでも、何かというとこどもの医療無料化の是非についての議論になる。
無料でも有料でも私はどっちでもいいけど、
医療万能幻想をなんとかしなければ、どっちにしても医療は崩壊するだろう。
でも、久坂部さんでさえ、そういうところには目を向けないのね。

あと面白かったのは片山義博さんの
「覚悟と準備がなければ即、霞ヶ関のポチになる」
全国知事会の考える地方分権のいい加減さを、よくついている。
宮崎の知事さんは、自民党から出馬するなんて話以前に
徴兵制が何たら、という発言からしてすでに気に入らないから、
このまま沈んでくれて一向に構わない。

夜はWOWOWで「容疑者Xの献身」。
寝転がって見ていたので、途中ちょっと意識が飛んだが
なかなか面白かった。
お金がなくて、くだらないバラエティしか作れないなら
こういう映画でお茶を濁してくれて一向に構わないんだけど、テレビも。

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2009年8月11日 (火)

『最後の赤紙配達人』

まるまる2週間ぶりのバレエのレッスンは、
終わると、ご飯を食べるのも面倒くさいほど疲れる。
家へ帰ってお風呂につかったら、膝に斑点が3つ。
なんじゃこりゃと思っていたら、1日後にはしっかり青なじみに。
3点で膝をついていたという記憶はないけど
身体は行動の痕跡を正直に留めてくれるものだ。
芸術祭で踊るはずだった新しい振り付けは、
「全員が踊るにはちょっと難しい」との先生の判断で、
急遽5年前に踊った踊りに変更。
でも、久しぶりに踊ってみると、全然楽じゃない。
5年前はこんな大変なことをやったんだー!
5年という歳月の大きさが身に染みる。

毎年終戦記念日がやってくると、新聞やテレビでは
さまざまな関連記事や番組が掲載、放映される。
今年は、兵隊のために毛皮が必要、と飼い犬を供出させられたり
ウサギを飼うことが奨励されたりした、という記事が目を引いた。
ウサギは分からなくないが、犬の毛皮が役に立つのか?と
そのあまりの発想の突飛さに、今さらながら
軍部っていったい何を考えていたのだろうかという思いを強くする。
竹やりで突っ込むというのといい、
やっぱり集団で狂っていたとしか思えないが、
それは後世になって見るからそうなので、
渦中にあるときは自分もそうなりかねない、
という自覚が、まずは必要なのだろう。

TBSの『最後の赤紙配達人』では、
滋賀県大郷村の兵事係が見た戦争が描かれていた。
当時の兵事係だった西邑さんという人が残した住民の記録が
戦後60年経ってから発見され、それがドラマの核になっている。
この頃の兵事係というのは、村民の家庭状況を細かく把握しており
各家庭の経済状況だけでなく、個々の性格なども把握、記録していた。

ドラマでは、その把握状況と召集との関係が
いまひとつ、よく分からなかったが、
兵事係は赤紙という召集令状の配達をおこなっており、
当然、戦争を推進する側にいたということである。
しかし同時に彼は村の住民でもあり、親しい住民に召集令状という
「死への招待状」を渡さなければならない、という苦しみがある。
戦争へ行くことは、イコール死ぬことであり、
誰もが決して望んでいないことだからこそ、
それは気高いことなんだと声高に唱えられていた。
現在の自殺者の多さには、案外こういう刷り込みも
関係しているんじゃないかと思うが、
大声で何かが叫ばれる時は、何か個々の意に反した
怪しいことが進行しているという醒めた認識も必要だろう。
西邑さんは、終戦を迎えて全て燃やすようにと言われた住民記録を
密かに自宅へ持ち帰り、それは亡くなるまで誰の目にも触れることはなかった。
燃やすようにという命令自体にも、唖然とする。
なかったことにするって?一体われわれは何なんだろう。

大郷村は、一時代前の地域共同体の姿だ。
戦後、地域共同体が壊れてしまったことの弊害が
あれこれ言われるが、それは地域共同体が、
こんな風に不本意なことを強いる役割を担っていたことへの反発が、
個々の住民の中にあるからではないだろうか。
そんな地域共同体なんて、壊れて結構という気分があるのだろう。
ドラマを見ていると、せっかく大変な思いをして生んだこどもを
こんな風に、いとも簡単に兵隊にもって行かれるなら
国家なんてものも壊れて結構という気分になる。

でも一方で、のりピーの夫が、いとも簡単に
「妻も覚せい剤をやっていた」と言ったというニュースを聞くと
家族という最小単位の共同体のもろさに、ちょっと戸惑うのも確かだ。
家族という共同体が強固だったから、
国家という共同体と一体化しやすかったのか
国家という共同体に一体化しにくくなったために
家族という共同体ももろくなったのか。

のりピーの夫にとっては
「ボクらの結婚はなかったこと」だったのかもしれないが。

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