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2010年1月24日 (日)

指揮者 曽我大介

育ちのいい人にだけ許される行儀の悪さというものがある。
と言ったのは誰だっただろう。

行儀の悪さとか無作法な振る舞いというのは、
通常は人を不快にさせるものだが、
同じ振る舞いでも人によっては許される場合がある。
たぶん、振る舞いとかしぐさというのは、
それ自体に問題があるわけではなく、
振る舞う当人とこちらとの関係の中で、
その是非が決められていくということなのだろう。
無作法と感じるかどうかは、相手との関係によっていて
相手を受け容れていれば、たいていの振る舞いは許すことができ
多くの場合、人は相手の価値を高く見積もっている時は、
相手を受け容れているというわけだ。

今年初めて新響と競演した指揮者の曽我大介さんは、
のっけから、そんな言葉を思い出させてくれた。
もちろん、彼の指揮が作法をわきまえていないとか
常軌を逸しているなどという意味ではない。

つかみは、バーンスタインの『キャンディード』序曲。
そして「ウエストサイドストーリー」から『シンフォニック・ダンス』
このプログラムのために、団員は思い思いの小さなオシャレをしている。
色鮮やかなスカーフだったり、赤い花飾りだったり。
曽我さんは赤いネクタイとカマーバンドのタキシード。
それにフィンガースナップ(指パッチン)と「マンボ!」のシャウトが加わる。
警官が吹くホイッスルは、指揮者が代行。

クラシックの演奏者が演奏するモダンミュージックというのは
往々にして行儀がよくなりすぎて、つまらないことが多いものだけど
曽我さんの指揮は、シャープで自由闊達で、
クラシック特有の重々しさを突き抜けた楽しさに満ちている。
音楽を身体で表現するという意味で、指揮もバレエと同じだ
ということを教えてくれたのは小澤征爾氏だけれど、
曽我さんは、小澤征爾氏が私たちにもたらした衝撃を
軽々と超えてしまったような感じがする。

こういうのは努力して身につくというものではないはずだけど
と思いつつ、帰りの電車でプログラムを読んでみたら
キリル・コンドラシン国際指揮者コンクールで優勝した際の評は
「劇的なドラマを生み出し、形式の異なった音楽に個性を与える
能力を持っている」というものだったと書いてあった。
最後の方のインタビューには、彼が8ヶ国語を話せる
とも書いてあって、言葉と同じように、彼の中では
音楽が血肉化されているということに納得する。
ほんとはコントラバス奏者になりたかったのに、どういうわけか
途中で指揮者になってしまった、というあたりに
あの自由闊達な指揮の秘密が潜んでいるのかもしれない。

休憩を挟んだ最後の曲はバルトーク『管弦楽のための協奏曲』。
自分の中に沈潜していくような曲だったが、
これを作曲してまもなくバルトークは亡くなったのである。

それを引き継ぐかのように、アンコールは
バーンスタインのミサ曲から『シンプル・ソング』
そしてジョン・ウイリアムズの『スター・ウォーズ』
フルオーケストラで聴く『スター・ウォーズ』に
まるで宇宙と一体化するみたいな気分になる。
ほんと、音楽は偉大だ。

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2010年1月22日 (金)

誰が立場をわきまえないって?

鳩山さんの発言が波紋を呼んでいる。

小沢さんに「どうぞ戦ってください」と言ったのが不適切だとか
政治資金規正法違反事件で逮捕された石川知裕容疑者に関し
「起訴されないことを望みたい」と言ったのがよくないとか
民主党政権を潰したい側は、チャンスとばかりに騒いでいる。

でも、これはそんなにおかしな発言なんだろうか。

小沢さんがどんなことをしでかしているのかは知らない。
たぶん、民主党の中で一番自民党的な人みたいだから
今までの自民党と同じようなことをやっているのかもしれない。
でも、そういう人がいたから民主党が選挙に勝てたのだろう。
選んだ側は、そういうことは清濁併せ呑んで織り込み済みのはずである。
まあ好みから言うと、小沢さんのような上から目線の人は
私はあんまり好きじゃないけど、ここはとにかくあのいい加減な
自民党政治から脱却するまでは、とにかく小沢さんにとことん
がんばってもらいたいと、一国民としては思う。
鳩山さんはそういう点では育ちがよすぎる。
鳩山さんに途中で投げ出させないためにも
小沢さんというブルドーザーは必要悪なのだ。

と思うからかもしれないが、
鳩山さんが「戦ってください」と言ったのは同士の小沢さんに
言ったので、それのどこがいけないというのだろう。
そんなことを言われたくらいで、検察がびびるだろうか。
だいたい、昨今の検察の自己顕示的な取調べは、
自分たちの権力を充分意識しているからで、
表向きは公正な反権力のつもりかもしれないが、
実際にやっていることは実に権力的である、ということは
菅家さんのケースを見れば明らかじゃないだろうか。
つまり、誰だって一旦権力を持ってしまうと、
自分ではなかなか歯止めをかけられないってことだ。

鳩山さんの発言は、行政の長という立場にふさわしくない、と言うが
じゃあ、どういうのがふさわしいというのだろう。
当たり障りのない、八方美人の発言ならいいのだろうか。
でも私たちにとっては、行政の長が何を考えているか
本音がどこにあるかを知ることは、とっても大事なことだ。
公的立場をわきまえていないと言ったって、
そもそも公私の区別なんて、そんなに明確につけられるものだろうか。
そうやって無理やり建前と本音を区別するようなことばかりやっているから
どこかの党のように、何を言っているのかちっとも分からない
腹芸ばかりの政治家が増えてしまうんじゃないだろうか。
公的だろうが私的だろうが、どんな発言に対しても揺るがない
プロの仕事人がいればいいだけの話である。

私は政治家には、むしろ思っていること、自分が感じていることを
正直に、率直に述べてもらうのがいいと思う。
それによって、その政治家が何を考え、世の中をどう見ており
どのような価値観を持っているかが分かる。
それが好ましくないと思えば、選挙で落とせばいいだけのことだ。
政治家の口を封じなければ、私たちはさまざまな判断ができる。
メディアは、一生懸命政治家の発言の揚げ足をとって口封じをするのではなく、
彼らにできるだけ本音を語らせるような、
巧みなインタビュー技術を磨いて、もっとさまざまな発言を
政治家から引き出す役割に徹してもらいたい。
価値判断をするのは私たちなのだから。

それより、今メディアがすべきことは、どんな場においても
権力が過剰に行使されないような歯止めのシステムを
どうやって持つかを考えることじゃないだろうか。
そういうことを野放しにしている方が、よっぽど怖いけど
こういうのはメディアの役割じゃないと思っているんだろうか、彼らは。

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2010年1月11日 (月)

成人すると・・・

暮れから年明けが期限のレポートが山ほどあると言っていた息子。
年始年末は「オレが断ると人数が足りないから」とバイトを断れず、
三が日を過ぎたあとの飲み会で風邪を引き、ゴホゴホ咳き込みながら
エアコンを利かせた部屋で、なにをしているのかと思えば、
パソコンで映像を流しながら、ひたすらゲーム器に向かってピコピコ。
あのレポートはどうなったのかしらん、と思うが
そこはぐっとこらえて、口には出さないでおく。

そろそろ大学が始まる、という頃になって突然、
「今日はレポート書きに公園に行くから」と朝から近所の公園へ。
昼食は近くのスーパーで調達したらしく「あそこは高い」
夕方帰宅したと思ったら、そそくさと夕食を済ませてバイトへ。
「成果はあったの?」と聞くと「ありましたよー」

翌日は昼まで寝ていて、やおら起き出し、午後遅くなって
「今から行って来る。晩飯食べたら、また行くから」と。
「なんでこんな寒い日の、しかももう日が暮れそうな時に行くかね」
という母の独り言に「情報を遮断した自然の環境が必要なんだよ」
夕食に時計を合わせたように帰宅し、モクモクと食べ終わると再び公園へ。
この寒空に、ホームレスと間違われなきゃいいが、と余計な心配をするが
こどもも二十歳を過ぎると、到底親には計り知れない。

「男の子ってああいうもんなの?私は初めてだから分からないけど」
と夫に言ってみるが、夫も首をひねっている。
夜ひとりで公園へ行ってパソコンに向かうというのは
いかにも金を使うことが嫌いで貯金が趣味、
車にもドライブにも興味はなく、親がやいのやいの言わなければ、
エアコンもつけないという、いまどきの頑固な草食系、という感じだが
まあ考えてみれば、私が本を読むために喫茶店に
出かけて行くのとおんなじことなのかもしれない。
たしかに、家だと独りでいても気が散るのに
電車の中や喫茶店だと仕事がはかどるのは
前から不思議に思っていることではある。

息子と親が違うところは、親は年をとって
寒いのだけは耐えられないってことだけなのかもしれない。
ようやく10時ごろ帰宅した息子。
「成人式帰りらしいやつらがさあ、酔っ払って
やってきたので退散してきた」
無事、おとなに育っているようではある。

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2010年1月 7日 (木)

ライブ イン ブルーノート東京

夫と息子と娘の家族4人で、「ブルーノート東京」でおこなわれた
ボブ・ジェームスとアール・クルーのライブを聴きに行く。

http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html

こどもたちが小さい頃から、我が家ではボブ・ジェームスのサウンドが
流れていたので、彼らにとってはなじみがあるせいか、
2人とも、この企画には2つ返事で乗って来た。
彼らの音楽を生で聴くのは親も初めてである。
ボブ・ジェームスのコンサートに行くチャンスは
今までにも何回かあったのだけど、都合がつかなかったり
見逃したりで、なかなか実現しなかった。
今回は、それだけ気持ちの余裕ができたということかもしれない。

今年のお正月はそれぞれのスケジュールもバラバラで、
ゆっくりおしゃべりもできなかったので、まずはみんなで乾杯。
スタッフたちは新人も多いのか、
結構緊張していてお盆を持つ手が震えている子もいる。
サービスの最中に、テーブルのランプが突然落ちて割れてしまい、
マネージャーらしき人が、恐縮してお詫びにと、
それぞれに飲み物を1杯ずつサービスしてくれた。ラッキー!

7時を過ぎた頃に、やっと演奏が始まる。
メンバーは4人。

Bob James(p,key)
ボブ・ジェームス(ピアノ、キーボード)
Earl Klugh(g)
アール・クルー(ギター)
Al Turner(b)
アル・ターナー(ベース)
Ron Otis(ds)
ロン・オーティス(ドラムス)

ボブ・ジェームスは昨年70歳になったはずだが、
馴染んだサウンドは、相変わらずスマートで若々しい。
アール・クルーの音はこれまで私にはちょっと優しすぎて、
聞き流してしまうことが多かったが、ライブで聴いて納得。
彼自身がとても優しいのだろう。
音は人間性を現しているということだ。
ベースのアル・ターナーはひょうきんキャラで見ているだけで楽しく、
ドラムスのロン・オーティスは、乾いたいい音と何ともいえない
都会的なリズムを刻んでくれて、すっかり乗せられてしまった。
アール・クルーとアル・ターナーと握手できてラッキーだったけど
欲を言えば、『Morning, Noon & Night』に近いサウンドが聴けたら
もっとよかったなあ、というのが正直なところか。
もっともライブではこれは無理な注文ではあるけど。

ジャズ(フュージョン)は小さいところで聴くに限る、ということと、
持っているものは、どんどんこどもに手渡していかなきゃ、ということを
改めて感じた一夜だった。

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2010年1月 1日 (金)

大晦日の『ノーカントリー』

年末はいつもながら仕事の合間に家事をする。
クライアントによっては、やたらに電話が入ることを見越して
留守電にしてくれるところもあり、それはそれでありがたい。
自分が望めばいつでも診てもらえる、と思うのは
ふつうの患者心理かもしれないが、
だとしたらDrはいつ休むと思っているのだろう。
電話を受けていると、その辺の想像力の希薄さが気になる。
まあ、慌てると相手の状況まで考えていられない
というのは誰にでもあることではあるけど。

論駄さんのブログで『夜になるまえに』という映画が紹介されていたので
年末年始はこれを借りて見ようとレンタルDVD店へ。
せっかくなのでもう1本、1週間借りられるヤツはないかと物色する。
『新宿インシデント』が面白いという人もいるが
新作で期間が短いので、これは止めて
「新作だけど1週間」という棚から『ノーカントリー』にする。
何だか痛そうだからと敬遠していたのだけど
『夜に・・』と同じハビエル・バルデムつながりということで。

大晦日もバイトの息子が、休憩で夕食を食べに帰ってきたので
お重の御節を食べさせながら、一緒にダウンタウンの
「ガキの使いやあらへんで」を見て大笑いする。
大西クンは画才もあるけど、ボケぶりもなかなか。
この二つの才能は、明らかにつながっている。
夫はすでにご近所さんたちとの飲み会に行ってしまったので
息子が1時間の休憩を終えてバイトに戻って行った後は私の大晦日だ。

どっちを見ようかちょっと迷うが、『夜になるまえに』は
少し重たそうなので『ノーカントリー』を見ることに。
ところが、これがメチャクチャ面白かった。
もっと陰惨な映画かと思って今まで見ないで来てしまったのだけど
たしかに陰惨な映画ではあるのだけど、
何というか「今」が今の観方で、見事に映し出されている。

映画の舞台は80年代前半で、誰もがベトナム戦争の
後遺症を患っているように見える。
アメリカにとって、ベトナム戦争とは何だったのだろうと思う。
トミー・リー・ジョーンズ演じる老いた保安官ベルは
世の中はあまりに変わりすぎてしまい、
もう自分の出る幕はないと思い始めている。
世の中と自分とのズレを感じ、退場の潮時だと思っているのだ。

でも考えてみれば、そういうズレは誰にでもある。
金を持って逃げようというモスも、
ベトナムで生き延びた彼なら失敗はしないと信じる彼の妻も、
自分ならできると考える賞金稼ぎのウェルズも、
自分と自分が置かれている状況との間にはズレがあるのだけど、
ただ、それに気づかないだけなのだ。
自分のルールに従って状況を巧みに生き抜いてきた
ハビエル・バルデムが演じる殺し屋のシガーさえも、
結局は金を手に入れることはできず、自分のルールどおりに
無意味な殺しをした挙句に、予測不能な交通事故に遭う。
このシガーの持っている何ともいえない喜劇性は、
自分こそがルールだと主張して、周りとのズレを見ようとしなかった
アメリカを象徴している感じがする。
本人は大真面目だが、第三者として見るかぎり、それは喜劇なのだ。

ズレを感じてリタイヤしようと考えるベルは
父親との関わりという2つの夢を語る。
ひとつは父親からもらった金を失くしたという夢、
もうひとつは、父親は灯りをともして自分を
待っていてくれるだろうという夢である。
自分たちは未来を見失っているかもしれないが、
いつか見つけることができる、という風にも読める。

見終わって毎年恒例の初詣に。
おみくじの小吉が、なんだか暖かい感じの2010年の始まり。

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