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2010年2月16日 (火)

オリンピックの効用

バンクーバーオリンピックが始まった。
始まるまで、なんだかちっとも盛り上がらず、
バンクーバーは暖冬とかで雪がない、というニュースだけが
散発的にメディアに流れて、「ふ~ん、どうすんだろ」
と思っていたが、気がついたら開会式が始まっていた。
政治的にはいろいろあるのだろうが、オリンピックは祭典
などとものものしく表現しなくても、充分お祭りである。
だからといって夢中になって応援したりしていると
終わってから、なんだか穴があいたみたいに寂しくなったりする。
なので、あんまり入れ込まないように注意するのだけれど
日本人が出ていると、やっぱり「ガンバレ!」と思ってしまう。

かつて私の絵の先生だった人は
「オリンピックになると国粋主義者になっちゃうんだよね」
と言っていた。
でも今は、日本人だけどロシア国籍をとって
フィギュアスケートでメダルを狙う選手もいるし
アメリカ人なのに(正確には日本人とのハーフだが)
日本国籍をとって、やはりフィギュアに参加している選手もいる。
自分の夢を実現させるために、一番有利な環境を求めると
国境などやすやすと越えてしまえるということだろう。

女子モーグルの上村選手のように、
一段一段上って行く選手もいれば
ジャンプのアマン選手のように、
風に乗るために生まれてきたような選手もいる。
女子のモーグルも感動的だったが、
男子のモーグルはもっとすごくて、
あの膝は、どうなっているんだろうと
テレビの画面を凝視してしまった。

事前の予想では、日本はせいぜいメダル1個ということのようだったが
男子モーグルでは、オリンピック初出場の選手が入賞し、
スピードスケート(500m)では早くも銀と銅をとった。
昔は初めてのオリンピックというと、まるで国を背負ったみたいに
がちがちになる選手が多かったものだが、
近年はそういうメンタルな部分も鍛錬されるようになったせいか、
実力を出せる選手が多くなってきたのが楽しい。
メンタル面での強さは、特に個人競技ほど要求されるから
ある意味で、日本人は少しずつ変わり始めている
と言えるのかもしれない。

スノボの國母選手も、そういうひとりに見える。
制服の着こなしがだらしがない、態度が悪い、
と多くの日本人は思っているのかもしれないが、
そう見えるのは、彼が単に今までの基準に
合わなくなっているだけかもしれなくて、
そういうときに、基準の方を考え直してみようか
と考えないところが、いかにも日本人である。
これで、彼がメダルでも取ったら
コロッと手のひらを返すように態度が変わるはずである。
まったくいい気なものである。
あるスキー場のオーナーは、スキー、スノボ人口の減少で
経営が苦しくなっているところへ持ってきて、
「國母のバカがスノボの評判を落として、ますます経営が苦しくなる」
んじゃないかと心配しているらしい。
自分の無能を顧客のせいにするようじゃ、
スキー場は、これからも立ち直ることはないだろう。
世界は自分たちと違うロジックで動いていることを
教えてくれるのも、オリンピックの効用である。

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2010年2月 9日 (火)

負けざる魂<インヴィクタス>

クリント・イーストウッドの監督30作品目は
ネルソン・マンデラを主人公にした『インヴィクタス』。
モーガン・フリーマンがマンデラを演じている。

マンデラが27年の監獄生活から解放されて
南アフリカの大統領に就任した翌年、
南アのラグビー代表チーム”スプリングボクス”は
南アでおこなわれたラグビー・ワールドカップで奇跡的に優勝する。
南アのアパルトヘイトの象徴として、
長い間国際試合から追放されている間にすっかり弱体化し、
国内でも期待されないチームになっていた”スプリングボクス”。
この映画の面白さは、これが実話だというところである。
つまりマンデラの天才的な政治家としての手腕がなければ
この映画も生まれなかったのだ。

「選挙に勝つだけでは何も達成できない」というセリフは
何やら鳩山さんやオバマさんを連想させる。
行く手に難題が山積しているところもよく似ている。
この話は1995年のことだが、今年南アフリカで
サッカー・ワールドカップが開催されることを考えると、
南アにとっても、最高のタイミングじゃないだろうか。
モーガン・フリーマンは、この映画でプロデューサーも
務めているが、目の付け所はなかなかである。

”スプリングボクス”の主将フランソワ・ピナールは
あの、ボーンのマット・デイモンが演じている。
トレーニングで筋骨隆々の身体づくりをしているが
彼でなければ、この繊細さは出せなかっただろうと思わせる。
無垢で素朴な中に繊細さを秘めたキャラクターは
彼の最大の持ち味である。

マンデラは獄中で「インヴィクタス」という詩に出会った。
それが長い獄中にあって彼を支え、
大統領になってからの彼を支えている。
インヴィクタス(負けざる魂)というのは
詩の中ではunconquerable soul と表現されているが、
ピナールは、マンデラからその詩を教えられ、
チームを率いてマンデラが入っていた独房を訪ね、
インヴィクタスを実感する。
それがどのように発揮されて行ったか。
ニュージーランド代表チーム”オールブラックス”が見せる
決勝戦前の「ハカ」(マオリ族の戦いの踊り)は
私たちにも「インヴィクタス」を実感させてくれる。
イーストウッド監督の腕の見せどころである。

「インヴィクタス」
ウイリアム・アーネスト・ヘンリー

私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
どんな神であれ感謝する
わが負けざる魂<インヴィクタス>に

無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流そうと 決して頭は垂れまい

激しい怒りと涙の彼方には
恐ろしい死だけが迫る
だが 長きにわたる脅しを受けてなお
私は何一つ恐れはしない

門が いかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私は話が運命の支配者
わが魂の指揮官なのだ

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2010年2月 6日 (土)

「品格」という原始心性

朝青龍が一般人を相手に暴力沙汰を起こし
横綱の品格を問われて引退に追い込まれた。
まだ29歳で、いろいろな意味でまだまだ発展途上人
という感じだったから、中高年世代としては
もうちょっと長い目で見てあげればいいのにー、と思うが
マスメディアは連日大騒ぎし、不甲斐ない相撲協会は
どうしていいか分からずにあたふたして、
一番手っ取り早い方法として引退を迫ったように見える。

一説によれば貴乃花だって曙だって過去にちゃんと
暴力沙汰を起こしていて、でもそれをうまく隠しおおせた
結果が今、みたいだから、朝青龍だってうまく立ち回れば
理事にまで上り詰めることもできたかもしれないのに、残念ね。

品格に欠けるから朝青龍には横綱の資格がない、という人もいるが
たかが相撲ごときで「品格、品格」と大騒ぎする方が
おかしいっていう意見はないのだろうか。
国技とか神事などという幻想は、共有されてこそ意味があるが、
そういう幻想がもはや相撲協会全体に共有されていないからこそ、
朝青龍のような力士が出現したのだろうし、
時津風部屋で力士が死亡するような事件が起きたのだろう。
あの事件の時点で、国技とか品格とかという言葉は
過去の遺物として、きっぱりと捨てたと思っていたけど、
まだ未練があるのだろうか。
そのうち、枠に嵌らないと国賊とか、非国民とか
言われるようになるんじゃないかと、ちょっと警戒している。

それにしても、朝青龍の話題といい
その前の小沢さんと検察の話題といい、
マスメディアの情緒的、井戸端会議的傾向は上りエスカレーターだ。
事実を淡々と伝えることもできず、
起こったことを深く掘り下げることもできないメディアに、
料金を払うなんて腹立たしいが、
考えてみれば、これがマスメディアの原理なのかもしれない。
個人と個人をつなぐもの、つまり集団という個人の集合体において
何が集団としてのまとまりの元になるかと言えば、
人間のもっとも原始的な下層心性に働きかけるしかないからだ。

JMMで妙木さんが下記に書いているように

フロイトやビオンといった集団現象を扱った人たちが、
共通して述べていることですが、私たちの個人が集まって
集団を形成すると、それは同調や社会的手抜きという現象が
典型的であるように、原始的なものが噴出してくるのです。
重要なことは、意見や集団の発言、主張ではなくて
原始心性だということです。
ビオンはこれを転移現象とほぼ同じものだと言いました。
言い方を変えれば、私たちは生物としての本能衝動と
社会化のプロセスの中で、いつも欲動の運命と呼ばれるものに
繰り返し翻弄されてきたと言えますが、同時にそれは
今まさに起きていることでもあるのです。

掲示板やブログでの炎上と言われる現象は
まさにこれなんだろうが、匿名という個人が特定されない状況で、
こういう風に振舞ってしまうのは分からなくもない。
けれどもマスメディアは、明らかに受け取る側を意識している。
それによって顧客の目を自分たちへ向かせること、
あるいはある方向へ操作するという意図を持っていると感じる。
私たちは、掲示板に書き込むときと同じような注意深さを
マスメディアに接するときにも発揮しないといけないんじゃ?
「品格」も原始心性にほかならないって意識を、
ことあるごとに自覚しなければいけない時代になっているようだ。

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