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2010年3月 1日 (月)

共感の先にあるもの

小児救急電話相談の質の評価方法を作成するために
相談のチェックをしていると、さまざまな実態が見えてくる。
われながら、なかなか的を得た提案だったとちょっと得意になる。

看護師を名乗る相談の受け手は、
医師の代わりという気負いがあるのだろうか
やたらに偉そうで、あいづちの打ち方も横柄か、さもなくば
上から目線で「お母さんね」を連発する。
電話という相手が見えないメディアは、
インターネットで成りすましができるように
お互いが何者でもないことによって
対等なコミュニケーションを保証している。
だからかけ手の自己決定をサポートできるのだが、
看護師という資格だけで採用され、
資質のチェックも研修も充分受けないまま
実務に就いているような状況では、
そんな基本さえ教えられていないのだろう。
それに加えて、相談と診療の区別もついていないから
当然のことながら、相手の話もほとんど聴けていない。
各地の自治体や医師会は、それでも
電話相談ができている、と思っているのだ。
まずは、どうやって受け手に自分を省みてもらうか
この1ヶ月間、そればかりを考えているときに
タイミングのいい出会いがあった。

日経新聞の「やさしい経済学」に連載中の
『「個人」の再発見』という短文は
なかなか興味深いヒントを与えてくれる。
筆者の宇野重規さんは、東大准教授という肩書きだから
まだ若い世代に属するのだろうが、
そういう人の視点だけに今後が楽しみである。

彼は、
近代における個人化は、それまで個人同士をつなげていた
規範や価値観から切り離されることで成立しており
その結果が「リキッド・モダニティ」といわれる近代社会だと述べ、
それが社会がさまざまな場面で見せる不確実性の要因に
なっているとともに、社会の問題が個人の問題として
認識されてしまう現状を、近年の失業者問題を
例に挙げながら説明する。
しかし、個人というものをよく眺めてみれば、
そこには「利己心」と「共感」の両面があり、
人間は他者の目を意識せずには生きられないということを、
トクヴィルとアダム・スミスを引用して述べる。
そして、複雑で不確実性に満ちた世界では、
単純なモデルにしたがって、一方的に世界を変えようとするより
異なる価値観に対して「共感」を示すことで、
たえず自分の自己中心的な世界観を修正していく方策が
有効であるということを、ラモの『不連続変化の時代』から述べる。

人間に「利己心」と「共感」の両面性がある、というのは
爆音をとどろかせて暴走する若い連中などを見ていると
実態としてよく理解できる。
あのうるさい音だって、誰かに聞こえると思うから
やっているのに違いなくて、得意の裏には
必ず他者の目を意識する本人がいる。

「共感」が相手とつながるためのものであることは
普通の人間関係ではごく当たり前のことだが、
それが相談やカウンセリング、ビジネスなどといった
仕事がらみになると、とたんにそれは
相手を説得するための手段に変わってしまう。
自分の思うように相手を動かす、という意識が
なかなか払拭できないのが人間の性だと言えないこともないが、
これまで「共感」は、つながるためのもの
つまり、相手の「利己心」を理解するためのものとしてしか
捉えられてこなかった、といえるのかもしれない。
しかし、宇野さんはここで
「共感」という技法を、相互に自己修正し合う機会として
捉える、という考え方を紹介している。

これこそが、ほんとはコミュニケーションと
表現されるものなのだと私は考えている。
彼が言うように
流動化し、不安定になる社会だからこそ、
個人の多様な思いに重きを置き、それを尊重し、
そしてつなぐこと、が必要な時代になってきている。
コミュニケーションの時代、とはそういうことなのだと改めて思う。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic

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