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2010年5月18日 (火)

花束の行方

何かと話題を持ち帰ることの多い娘が、
今年の母の日に提供してくれた話題。

久しぶりに実家へ帰ろうとしていた母の日、ドアをノックする音が。
独り暮らしなので、ドアのノックには
一切出ないことにしているから、この日も無視する。
さて、そろそろ出かけようと玄関を開けたら
床にハンカチが敷かれ、その上にカーネーションの花束が。
ドアに挟んであったらしい紙切れがパラッと落ちて、そこには
「○○号室の隣人です。母の日にカーネーションを買ったが、用事は済んだ。
自分が持っていても枯らしてしまうので、もらってくれませんか」という文面が。
気味が悪いので、とりあえず花束は部屋に入れ
そのまま出てきた、という。

久しぶりに家族4人で卓を囲んだ夕食の話題は
これは下心のあるアプローチなのか、ほんとのことなのか、
カーネーションはどうするべきか、という話題で盛り上がる。
ピンクのカーネーションの花言葉を調べてくれる友人、
返しにいくときは一緒に行ってあげるよ、というボーイフレンド。
わが家では、「何もしないで無視」という夫に対して
「男がアプローチするときは、そんな稚拙なことはしない。
それは手紙どおりだけど、もらう筋合いはないから返すべき」という息子。
平和外交主義者の私は
「お母さんに渡せなくて残念でしたね。いただいておきます」
と挨拶して、相手の顔を確認しておく、という意見。
娘は、「こういうやり方をしたら、相手が引くんじゃないか
っていう風に思わないのが、おかしい」と憤慨している

なんで、母親に渡せなかったんだろう
親が要らないって言った?
息子があげるっていうのに要らないっていう親なんている?
いや、要らないって言うことはあると思う、と
4人で息子が初めて買って来た母の日のケーキを食べながら、
喧々囂々、侃々諤々。
とにかく帰宅したら写真を送ってもらうことにして、娘は帰宅。
しばらくして写メで送られてきた写真には、ピンクのかわいい花束が。
数えたらカーネーションは20本もあったらしい。
ハンカチも娘が言うほど変じゃない感じがする。
ひとまず、とてつもない危険は回避できたかも、と息をつく。

素直に考えると、
何かの事情で母親に花束を渡せなかった男の子が
「あ、そうだ。隣に若い女の子がいた」と思いつき、
娘に花束を託した、という話は別に不思議でもなんでもないのだが、
物騒な事件をいろいろインプットされているうちに、わたしたちの中には、
自分たちと常識を共有できない、コミュニケーションが下手な危険な若者
という虚像が作り上げられていき、それが無意味な恐怖心を形成し
相手の関わりを拒否して、結果的に更なるコミュニケーションの
不全が形成されていく、という循環が起きている
ということは考えられないわけではない。

独りで食べているところを見られたくないという若者が、
密かにトイレで昼食をとる、という話題がニュースになるのは
それがニュースになるほど珍しく少数である、ということだけれど、
ニュースに接した私たちの捉え方は、むしろ逆で、
ああ、そういう若者が増えているんだ、と短絡してしまう。
だが、自分が若い頃を考えてみれば、自分たちだって若い頃には
どうやって仲間はずれにならないか、はずれていることを悟られないかと
腐心したのであり、たまたまそういうことはニュースにならなかったから
そういう実態があるとは知らなかったに過ぎないのだ。

そう考えると、隣人の玄関先に花束を置くなんて
出会い系サイトで知り合うより、遥かに健康的な
関係構築のしかたかもしれないとも思える。
ちなみに、その後娘は「ありがとうございました」という手紙を
相手のポストに入れて、花束は二つに分け、
勤め先のトイレに飾ることにしたらしい。
「あの花束、どうしたの?」と上司に聞かれたので
「あ、それは聞かないでください」と答えておいた、とのことである。

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