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2010年6月19日 (土)

弱いものたちの連帯

ギンレイで『フローズン・リバー』を観る。

家を買うために貯めていた金を持って夫に逃げられた白人の母親レイと、
義母にこどもを連れ去られた先住民の母親ライラとが、
それぞれの生活を取り戻すために違法なビジネスに手を染める。
凍りついた川は、違法な非日常と貧しい日常は
地続きだと言っているようでもある。
その地続きのふたつの世界を行ったり来たりする時間に
亀裂が入るのは、ある密入国者を運んだ時である。
爆弾だと思って川を渡る途中で捨ててしまった荷物が
実は赤ん坊だったと知って、二人は慌てて引き返す。

レイは、夫と喧嘩して拳銃をぶっ放すような
瞬間反応タイプの、決して考え深いとはいえない女性である。
一方のライラは、違法なビジネスのおかげでカネは貯まっていくのに、
そのカネを数えるためのメガネを買おうともせず
連れて行かれたこどもへのために、突っ返されるのを承知で
貯めたカネを義母の家の玄関に置く、ということを繰り返している。

ところが捨てた赤ん坊が、まったく幸運にも息を吹き返したことで、
いわば腐れ縁とでもいうような絆に結ばれた
二人の中のそれぞれに、何か変化が起こる。
絶望の中に一筋の光を見てしまった、といえばいいだろうか。
ライラは、メガネを買い、まともな仕事につく。
レイは、新しい家を買うメドがつく。もう少しカネがあれば。
そのレイの求めに、ライラはしぶしぶ応じて最後の仕事に手を染める。
そして筋書き通り失敗するのだが、
その決着のつけ方が、この映画の価値を決めている。
合理的といえば言えないこともないが、それだけではない何かがある。
でも、それが何かということを、まだうまく言語化できないでいる。
winwinでもなく、みんなが少しずつ損をするという決着のしかたでもない。
でもハッピーエンドである。
生き延びるために、どれだけ必死になるかが、
その後のシアワセを決める、というような括りもできるが
それもちょっと違うかもしれない。
法律や人種などといった人為的な垣根の無意味さ、への共感もある。

それは、映画を見る前にあっという間に読み終わった
『風待ちのひと』の読後感と似ているかもしれない。
主人公の喜美子は悲しみを抱えて、でも表向きは明るく生きている。
その悲しみの部分が須賀との絆になる。
こちらも結末はハッピーエンドだが、
悲しみでお互いがつながっているところに、絆の強さを感じさせる。
弱いもの(フラジャイル)同士の連帯の強さに胸を打たれるのは
もともと私たちが弱い存在だということを
自分たちもよく分かっているからだろう。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic

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コメント

先年、欧州で取材をしていた時。

フランスの三色旗。
私たちは、自由・平等・友愛、の象徴という。
でも、今、フランスの人々は、
自由・平等・連帯
だというのだそうな。

友愛という言葉と、連帯という言葉の持つ意味は、似ているようで大きく違うと思います。
内面的な意味合いが強いのが友愛。
他者に積極的に手を差し伸べるのが、連帯。

違うかな。

投稿: ママサン | 2010年6月19日 (土) 18時01分

ママサン

友愛と連帯って、何となく
鳩山さんと菅さんって感じの違いですね^^
でも、昔は「友愛」だったのが
今「連帯」になったとしたら、
なんとなく分かる気がします。
たぶん、昔は何も言わなくても
誰もがつながっている感じを
持てたんじゃないかしらん。
今は、つながりを確認するには
手を差し伸べるという積極的な行動が
必要なのかもしれません。
で、案外それを待っている人が
多かったりして。

投稿: pinoko | 2010年6月19日 (土) 18時34分

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