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2010年7月22日 (木)

とうとう日傘を買う

土日は「消費生活アドバイザー」の更新研修で、代々木のオリンピックセンターへ。
代々木公園駅を降りてからセンターまでの、公園脇の通りが暑くていやだ。
更新研修がおこなわれる毎年この時期は、土砂降りの雨か、
くそ暑いかのどちらかなのだが、今年は尋常じゃない暑さの方なので、
さすがの私も日傘を買う決心をする。
紫外線を吸収するから、という理由で黒い日傘をさしている人を
見かけるが、あれだと頭の上にホッカイロを乗せているみたいで、
私には耐えられないので、白くてちょっとフリルがついているのにする。
雨でもないのに傘をさすというのは、邪魔臭くて何となく納得がいかないが
雨とは違うもの(日差し)が降ってくる、と思えば同じことだと思いなおす。
で、日傘にサングラスで歩いてみたら、いくらかしのげる感じがして
なんとか倒れずに会場まで行き着いた。

土曜日の講師は、野田幸雄さんという元(?)日経新聞社会部記者で
タイトルは『消費生活アドバイザーに求められる視点』
企業と消費者が対立関係にあった30年前、企業を変えなければと
生活者発想を企業に送りこむために作られた資格が消費生活アドバイザーである。
私が生みの親です、と言うのを聞いて、へえー、そうだったんだと驚く。
私は第4期生だけど、そんな話は聞いたことがなかった。
昔のことなので忘れているのかもしれない。
でも、この資格に日経新聞が絡んでいることは知っていた。
ひとりの記者さんの発想が、こんなに大きなシステムになったのか
と思うと、ちょっと感慨深い。
アドバイザーも今では12000人にまでなり、組織の消費者部門だけでなく
家裁の調停員など、さまざまなところで資格を持った人が活躍している。
ここ数年は、女性より男性の合格者が多い逆転現象が起きているのだとか。
そのことと、トヨタのブレーキ問題や花王のエコナなど、
さまざまな企業の不祥事は、何か関係があるのではないか
というのが、今回の彼の問題提起である。
組織では力関係がものを言うから、たとえニュートラルなアドバイザーといえども
なかなか思うような働きはできないだろうけど、男性が多くなることによって
かえって組織の論理が強固になってしまう、ということはあるのかもしれない。
トヨタはアドバイザー雇用がもっとも多い企業だそうだが、
お粗末な対応をしておいて、「『消費者目線で』というのはなんなんだ」
というのが彼の嘆きであった。

翌日は、九州大学医学系大学院教授の尾形裕也さんによる
『医療制度構造改革の動向』
この十年の医療制度構造改革の概要をおさらいし、
どこが問題で、これから何がおこなわれようとしているかについて。
この先生の講義はたしか2回目だが、毎回よく整理されていて分かりやすい。
OECDによると、日本の医療の問題は
Lack of differentiation and standardization
(機能分化と標準化の欠如)だそうである。

病院と診療所といった医療機関による機能分化がおこなわれておらず
かつ、医療の標準化もなされていない、というのは日常的にもよく経験する。
大きな病気でもなければ、近場の診療所で済むはずだが
なかなかそうならないのは、医療の質が玉石混交だからである。
これは診療所と病院の差というより、医療者の個人差のように思える。
患者はなかなかいい先生にめぐり合えないので、
たいしたことがなくても、とりあえず病院へ行く。
たいしたことがあったときのために、保険をかけざるを得ないのだ。
建物の構えとか、「大学病院」というブランド力に
かすかな望みを託して、ということもあるかもしれない。
病院の医師なら(勤務医だし)、金のために余計なことをする
ことはないだろうという推測も働いているかもしれない。

日本の医療が資本集約的=労働節約的である、ことが
医療崩壊の要因のひとつ、というのが尾形先生の説明だが
このことと、機能分化の欠如とは、どこかでつながっている感じがする。
おそらく標準化の欠如も関連しているだろう。
医療は本来労働集約的(人手が必要)なサービスだが
日本ではやたらに病床数が多く、そのために常に人手が足りない。
病床数が多すぎるので、諸外国に比べると、
病床100床あたりの医師数は1/4から1/6である。
これをもって医師が足りないという向きもあるが、
病床が多すぎる、と考えた方が合理的ではないだろうか。
前提を間違えると対策は大幅に的外れになるはずである。

たしかこの先生の前回の講義では、日本の病院経営が苦しいのは
過剰な設備投資に原因があると聞いた記憶があるが、
何かにつけてハード優先になるのは、日本が技術大国だからというより
ハードに頼れば、つまり医療の質ではなく、患者の数をこなせば
経営が成り立ってしまうような医療制度になっているからだろう。

そこから生まれたのがメディカル・ツーリズムだとしたら、
ひょうたんからコマ、とは笑っていられないかも
と思えたのも、この研修講座の成果だった。

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2010年7月14日 (水)

人間という病

ワールドカップが終わった。
日本がベスト16位まで進出したことも嬉しいが
「無敵艦隊」と言われながら、ずっと優勝できなかったスペインが
やっとのことで勝利を勝ち取った、というのがことのほか嬉しい。
スペインのサッカーを見ていると、パスとは相手ではなく
スペースに出すものだと思えてくる。
スペースに出せば、そこへ滑り込んでくるチームメイトがいる
という風に見える。
これができるのは、彼らが常日頃から同じクラブチームで
試合をしており、イキが合っているということが大きいのだろう。
(とオシムも言っていた)
それを支えているのがパスの技術だ。
スペインのサッカーが美しいと言われるのは、
そういうイキの合い方の心地よさとともに、
パスの技術の美しさもあるに違いない。
日本はスペインサッカーを目指しているのかもしれないが、
チームワーク以前のパス技術をもっと上げなければ無理、だとも思う。
これからしばらくは、日本国内ではチームワーク礼賛のオンパレード
になるだろうが(そうやって、個を埋没させるのは日本人の得意技である)
問題はそれ以前にあるんだからね、勘違いしないでね。

1ヶ月の睡眠不足の蓄積を感じながらも
ギンレイに『ハート・ロッカー』がかかったので行くことにする。
『ハート・ロッカー』はアカデミー賞を取ったことで、
早くから観た感想が耳に入ってきたが、あんまり高いものではなかった。
なので、失望するかもしれないけど、もう1本の
『月に囚われた男』が面白そうだから、
ダメだとしても相殺されるだろうと思いながら行く。

あいにく『月に・・・』は最初の15分間に間に合わなかったせいで
肝心の部分を見逃したかもしれないのだが、なかなか面白かった。
タイトルの「囚われた」ということろがミソだと、観終わって分かる。
主人公が精神に異状をきたしてしまったのではないか
(そもそも3年も一人で月に赴任するなんて、できっこない)
と思わせつつ、落としどころはもっと現実的である。
脚本、監督のダンカン・ジョーンズは、あのデビッド・ボウイの
息子だそうだが、この映画で新人監督賞を手にしている。

『ハート・ロッカー』は今年度のアカデミー作品賞受賞作である。
冒頭「戦争は麻薬である」というメッセージが流れる。
これが、この映画のすべてだろう。
死と隣り合わせの極限状態を生き延びるような
過酷な経験を積んでいくと、シリアルだけでも目がくらむような
多くの種類が売られている日常生活の方が
なんだか異常、と思えてくるのは分からなくもない。
「大事なものは、ひとつだけなんだ」と幼い息子につぶやく主人公は、
見方を変えれば「戦争に囚われた男」でもある。

この映画を好戦的と評する向きもあるみたいだが、
私はむしろ、日常に戻ってこれない主人公というものに
向けた監督のまなざしが、共感を獲得したのだろうと思う。
それは反戦か好戦かといえば、もちろん前者なのだが、
それだけではなく、死と隣り合わせであることによってしか
生を感じることのできない人間というものの、ある種の病、
あるいは、どんな環境にも馴染んでしまう可能性がある
人間という病んだ存在、ということなのではないだろうか。

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2010年7月 6日 (火)

医療対象を拡大しない法

土日はディペックスの合宿定例会議兼勉強会に参加する。
場所は逗子。駅に降りると爽やかな風が心地よい。

お昼はどこかで魚料理が食べたいなと探してみるが、
駅の周辺は意外とないみたいで、なかなか適当な店が見つからない。
京浜急行の踏み切りを渡ったところに、マクロビオティっクと
書いた看板が見えたので、そこに入ることにする。
蕎麦屋でもあり、飲み屋でもあるような作りだ。
すでに12時を回っているが、戸を開けたらお客が一人もいない。
一瞬足が止まったが、玄米定食を食べようと決めていたのでそのまま入る。
給仕のおばさんが、こちらの戸惑いを感じて、努めて愛想良く接してくれる。
テレビはNHKの昼番組で仁鶴が出ている。
この時間のNHKは見たことがないので、なんだかものめずらしい。
でも、コロッケ、ひじき、きんぴら、酢の物などの玄米定食は
薄味だったが結構おいしかった。

待ち合わせ時刻に駅に戻り、
途中みんなで「マーロウ」のプリンを買い、今夜の宿の松汀園へ。
すぐに会議室へ移動し、会議を始める。
おやつは、そのプリンだったが、大きすぎて持て余す。
どう考えても200mlはデカすぎ。せいぜい100mlがいいところだ。
定例会議はもっぱらニュースレターの話に費やす。

あっという間に夕食の時間になり、食堂から催促の電話。
夕食は和風フレンチで、なかなかおいしい。握り寿司もついている。
プリンが大きすぎたので、食べられないかと思ったがほぼ完食。
でも、さすがにデザート(小さいムースみたいだったが)には手が出なかった。

夕食後は先にお風呂に入ることにして、8時半から勉強会兼宴会再開。
テーマは「メディカリゼーション」。
近年、高血圧の薬の売り上げが増大しているのは、
何を意味しているかという話から入る。
ディペックスの前立腺がんの患者の語りでは、
PSA検査を受けたという話が沢山出てくるが、
ビデオを編集している隈本先生は、ディペックスが
この検査にしたがって治療することを勧めていると
誤解されるのではと懸念している。
患者の語りは、現在生きている者にしか語れない、
という点でバイアスがかかっているのだが、
そのことはなかなか表面には出ないし、だから理解されにくい。

日本人は、新聞やテレビ、インターネットなどのメディアから
提供される情報を、正しい情報と考える傾向があるといわれる。
ひと頃、医師を取り込むことで市場を拡大して製薬会社は、
近年は患者会を通して市場拡大に動いている。
そういう時代であることを、私たちは強く意識しておく必要がある。
患者の語りは、あくまで個人の体験(事実)に過ぎないのだが
時代の流れは、それを真実だと思わせてしまう可能性があるということだ。
語りのデータベースを読みこなすのもワザが必要なのだろう。

勉強会は次第に盛り上がり、どうやってもっとDBを知ってもらうか
どうやって活動資金を稼ぐか、という話から、
EBMやガイドラインが万能を捉えられがちな、このご時世に、
どのように語りというNBMを対置させるか、という方向に展開する。
途中メチャクチャ眠たい時間を通り過ぎて、終了は午前2時。
何とか観戦をと目論んでいたアルゼンチン×ドイツ戦は、結果も分からず
布団に入ったらあっという間に寝ついてしまった。

翌日は、さくま事務長宅へ場所を移して続き。
群馬の木村先生がサイモン・シンの『代替医療のトリック』をネタに
ホメオパシーの評価のあいまいさをプレゼン。
彼は、これをメディアカリゼーション(医療対象の拡大)の問題に
結びつけようと考えていたみたいだが、議論は思わぬ方向に進む。
ホメオパシーがプラセボ効果しかない、という事実は
むしろ医療の効果とは何かが明確になっていない、ということであり
それはホメオパシーのインチキ性にはつながらない、という流れになっていく。
このあたりが、医療者も多いとはいえ、
社会学系、人文系、患者などのメンバーも含まれている、
ディペックスという集団の面白いところだろう。
多様性が担保されることによって、医療者の常識が覆されていく。
これはメディカリゼーションを解くカギでもあるだろう。
医療崩壊を避けるためには、まずメディカリゼーションを阻止する
ことを考えたらどうかと思うが、そのカギは多様性の担保にあって
チーム医療や、連携は、それには沿っているといえる。
もちろん電話相談の導入も然りである。

木村先生の話から見えてきたことは、
現在のリハビリの効果測定は、医学モデルでしかおこなわれておらず
実は、それは不適当な評価方法であること、その解決には、
リハビリという分野が、医学と生活の両方にまたがっていることを明らかにして、
自らが評価基準を作るしかないのでは?ということで、しかしそれが
なかなか難しいことが、理学療法が専門の木村先生の悩みだということであった。
リハビリの効果測定は、ヨーロッパとアメリカでは目指すものが異なっており、
当然のことながら、それは文化差によっている。
であれば、日本独自の基準があってもいいはずだが、
西洋医学を基本に据えている日本の医療界では、
そこから抜け出して、創造的であろうとすることが難しいらしいのである。
医療界の中の階級(ヒエラルキー)というのも関係しているのだろう。

何かを評価するときには、誰のために、何を目標とするか、
という視点が欠かせない。
どういうものさしを持ってくるかで、ホメオパシーも単なるインチキではなくなる。
今回の勉強会は、ものさしの重要性を考えさせてくれた、という意味では
小児救急電話相談の評価基準を作成しようとしている私にとっても、
示唆に富んでおり、なかなか実りが多かった。
小児救急電話相談は、メディカリゼーションとは対極にある(はずだ)が
これを分かってやっている相談員は、果たしてどれだけいるだろうか。
電話相談は、まさに不確実性そのままの世界であり、
それは医療そのものでもある。
でも、医療の確実さだけを学んできた人たちには、
そこはなかなか理解できない。
電話相談をおこなう人には、まずそういう自覚を持ってもらう必要があるのかも。

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2010年7月 2日 (金)

あれって本気だったの?

ワールドカップ南アフリカ大会も
いよいよ決勝トーナメントの準々決勝が始まる。
まあ、ブラジルは置いておくとして、
アルゼンチンとスペインがどこまで行くかが目下の関心事である。
巷の予想では、優勝はドイツかブラジルというところだが
ラテン系のサッカーが好きな私としては
ぜひともアルゼンチンかスペインに決勝まで行ってもらいたい。
もちろんウルグアイでもパラグアイでもいいのだけど、
がむしゃらなだけでなく、やぱり美しいサッカーが見たい。
美しいという意味は、驚嘆に値するワザ、という意味である。
でも、そういうのを目指すところは、
たいていもうちょっとのところで負けることになっている。
勝つための策を練る方が強いに決まっているからだ。

日本はベスト4を目指してベスト16で終わった。
私も、決勝トーナメントに行けるとは思っていなかった7割の方だから
初戦のカメルーンに勝った時は心底驚いてしまった。
しかし予選を見る限りでは、FIFAランク19位のカメルーンより
27位のコートジボアールの方がはるかに強かったような気がする。
日本が練習試合でコートジボアールに負けて
予選でカメルーンに勝ったのは当然だったんじゃないだろうか。
FIFAランクもあんまりあてにはならない。

オランダには負けて当然と思っていたので別に何ということもなかったが、
失点を1点で抑えたのは善戦といっていいだろう。
それが自信になったのか、デンマーク戦はなんと3:1で勝った。
これは本当に驚きだった。
デンマークの選手と並ぶと、日本の選手は
ディフェンダーでもやっと肩に届く程度である。
この高さは攻略できないだろうと思っていたら
フリーキックで2点、スルーパスで1点、合計3点も取った。
本田と遠藤のフリーキックが、繰り返し放映されて日本中大騒ぎである。
事前期待が低かったので、私はこれでもう充分だった。

決勝トーナメントで最初に当たるパラグアイは
FIFAランクで31位、日本は45位だから勝ち目はあると思われていた。
ボール支配率を抑えて、ワンチャンスに賭けるんだ、とか
延長戦に持ち込んでPKになったら勝てる、とか
下馬評はうるさかったが、私はパラグアイのガッツには勝てないだろうと思った。
普段からサッカーメールでお喋りしている、仲のいい知人には
「たぶん、ここまでは変に色気を出さずに無心でやってきたはずだから
そのまま戦えれば、延長戦ーPKというのもあるかもね」と書いたら
ほんとうにそうなってしまった。
毎回、後半戦残り20分くらいになると、疲労で動けなくなってしまうのに
このときは、あまりそんな感じはしなかったが、
ただ、どうしてルーズボールを積極的に拾いに行かないのだろう、
疲れているのかなあ、と不思議な感じがした。
PKをはずすとは思っていなかったが、駒野が出てきたときに
「ふけるとしたら、ここだね」と隣で見ていた夫につぶやいたら
ほんとにバーに当ててしまった。
でもまあ、PKなんてくじ引きみたいなものだから、これでいいのである。
ベスト4が現実的な目標だと思った人は皆無だっただろうから
決勝トーナメントに進めただけで充分である。
世界はそんなに甘くない。

ベスト4をめざすという宣言が、本気だったのか、
それとも単に、選手を鼓舞するためのフェイクだったのかはよく分からない。
最初から実力とはちょっとかけ離れたところに、
決して現実的とはいえない目標を設定して、
終わってみたら目標には達しなかったけど、
結構結果はよかった、という展開を狙うという手はある。
このやり方のいいところは、言う方も聞く方も、
阿吽の呼吸で、それを現実的な目標とは思っていないところである。
この宣言は一種の儀式みたいなもので、
達成できないということのカモフラージュとして使われる。
誰も現実的な目標だと思っていないから、責任を追及されることもない。
こんなので戦争に勝てるはずがないのに、
特攻隊に自爆させたというのも、これと同じやり方だろう。
そして誰も責任を追及されなかった。

しかし、もしこのベスト4宣言が本気だったのなら、当然のことながら
なぜ達成できなかったか、敗因が分析されなければならない。
本田が頑張った、駒野もよくやった、勇気をありがとう
(勇樹にもありがとうだけど)、感動をありがとう、
なんていうのでごまかしてもらっちゃ困る。
だいたい、なんでそんなに感動や勇気がありがたいのだろう。
そんなに普段から感動や勇気が欠如した生活をしているのだろうか。
メディアは、政治というと政局、スポーツというとお涙頂戴物語
ばっかり流していないで、少しはしっかり対象を批判してくれなくては困る。
それとも、メシの種になるならサッカーの明日なんて
どうなってもいい、とでも思っているのだろうか。
だとしたら最悪である。

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