« とうとう日傘を買う | トップページ | 『乖離』という成熟のしかた »

2010年8月 7日 (土)

絆の問題なんだろうか

なんだか朝からむうっと暑い日が続くので、いっこうにしゃきっとしない。
毎日しゃきっと過ごせるかどうかは、ほとんど習慣の力に拠っているから
夏の間は、まあだらだらと言い訳がましく過ごすことにする。
昔、大学の先生が、江戸っ子らしいベランメエ調でインド人を評して曰く
「ああいう暑い中で毎日を過ごしているから、あいつら妙に哲学的なんだ」と
語っていたが、暑くて身体を動かせないと、
頭の中をアイドリングさせるしかないのだろう。
日本もだんだん亜熱帯化しているから、
「勤勉を旨」というのもそのうち変わるかもしれない。
暑い地域にはそれなりの生き方というのがあるだろう。

ところで、100歳以上の高齢者の行方不明が続出している。
私は今回の事件で、100歳以上が4万人もいるということを初めて知ったが
そんなに多いなんて、誰も今まで不思議に思わなかったのだろうか。
私の感覚では、100歳以上は「稀」、110歳とか113歳なんていうのは、
「ごく稀」の代名詞という感じで、そんな年齢が実在しているなんて
ほとんど信じられないから、その多くが行方不明と聞いても
別に不思議な感じはない。
行政の手が回らなくて生死の確認ができていなかった、らしいが、
100歳を越えているようなめずらしい人には、まずは会いに行く
というのが普通の感覚なんじゃないかって気はするから
行政マンにとってはめずらしいことではなかったのだろう。
まあ、普通の感覚じゃ仕事なんてやってられない
ってことかもしれないので、そうだとしたらお気の毒というしかないが。

誰にも知られないで死んでいく、といっても死ぬ時はどうせひとり
だと思うから、それ自体は別にどおってことはない。
死んでもなかなか見つからなければ、そのうち土に還るだけである。
それのどこが問題なんだろう。
絆があろうがなかろうが、人はいずれ死ぬってだけのことだろう。
100%の確率で起こることに対して、あんまりドラマチックな
味付けはしない方がいいような気がする。

BSフジの『プライム・ニュース』で、遺品整理の会社を運営している人が
「捨てられるのは、捨てる側だけじゃなくて捨てられる側にも問題がある」
というようなことを言っていたが、そういうものだろう。
やっかいなことばかりやっていて、うんざりっていう親はいるものだし
(もちろんこどもにもそういうのはいる)
親の心なんてこどもには分からないし(逆もまた真だけど)
放浪の旅に出て野垂れ死ぬっていう方が
「これが家族だ!」という堅苦しい家族像を押しつけられて死ぬより
よほど自由で快適だとは思う。
どうやって生きてもいいのなら、どう死んでもいいはずである。

ちなみに、このBSフジの『プライム・ニュース』は
数あるニュース番組の中では、なかなかいいレベルである。
地上波のフジテレビは、妙に古い保守臭さかおふざけ路線の
どちらかに二極化していて、最近はドラマにも見るべきものがないが、
BSのこれは、キャスターの突っ込みもなかなか的を得ていて
8時から10時という長丁場を飽きさせない。
地上波とBSでは別会社かと思うほどである(そうなのかもしれないが)。

で、死ぬのはどこでどうやって死んでいただいてもいいのだけれど
問題は、それによって不公正な分配が起きないような手立てを考えることだろう。
「即身成仏」を見守るのはいいが、仏さまのお金を横取りしちゃいけないってことだ。
でも、そもそも社保庁というところは、もともと他人の金を横取りすることに
長けていたところだから、そういうところに策を講じろ、
という方が無理なのかもしれないけど。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic


|

« とうとう日傘を買う | トップページ | 『乖離』という成熟のしかた »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 絆の問題なんだろうか:

« とうとう日傘を買う | トップページ | 『乖離』という成熟のしかた »