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2010年8月14日 (土)

『乖離』という成熟のしかた

今年も終戦記念日に向かって、戦争を題材とした番組が次々と放映されている。
中国でおこなった戦争犯罪に対する追求を逃れるために
被爆者の治療はそっちのけで、被爆の実態をレポートにして
アメリカに伝えていたという事実を伝えた番組もあった。
日本は、このことをこれまで一切公表しておらず
上層部の責任を回避するために、国民をないがしろにしたという事実が、
戦後50年以上経ってようやく明らかにされた。

今年は戦争がどのように始まり、どのような経過を辿って
どのように終結したかを通り一遍ではなく、
より詳細にあからさまに伝える番組が多いような気がする。
戦時の白黒映像をカラー化して放映するという試みもあり
現実を直視しようとする姿勢が強くなっている感じがする。

一連の番組から伝わってくるのは、
日本の戦争の仕方の無謀さもさることながら
人間は、つい最近まで(といっても65年前までだが)
こんなにも熱く、感情的に振舞っていたのだという、何か遠い感覚である。
人と人が殺しあうことや、領土を広げることに対して、
いったい何がこんな風に熱狂的にさせたのだろうか。
もちろん、実際の生活場面で近しい人に対して、
さまざまな負の感情を抱くことはふつうにあるだろうが、
それは勘違いにせよ、独りよがりにせよ、直接的な関係に基づいたものだ。
でも戦争では、ほとんどの場合相手は見も知らない人だし、
自分が実際に手を下すことも少ない。
だからこそ、どんな感情も抱くのだといえばそうなのだが
そこに経済的な必然が強調されればされるほど
日本の戦い方は、目的達成には程遠く、
鬱陶しいほどの濃い感情に囚われて身動きのとれない、
まるで合理性を欠いた戦い方に見える。

今を生きている私から見ると、そこに大きな違和感を感じるのだ。

一方最近周囲の人間を見ていて感じることは、
部分的には感情的な振る舞いが見られるにしても
全体として多くの人たちは冷静で、物事を多面的に捉えることに
慣れて来ており、無用な諍いは避ける傾向があるように見えることである。
秋葉原で無差別殺人をおこなった若者に対して、
当初は幾分かの同情を持っていたものの、
彼がネットの中にしかリアルがなかった
と言うのを聞いたときは疑問符だらけになった。
ネットは相手と対話をするシステムではなく、
むしろ自分と対話できるシステムであって、
その意味で完璧なバーチャルであるはずなのに、
ネットを使いこなしているように見える若者でさえも
それが分からないことがあるのだ、と意外だったのだ。

もちろんネットの世界でも(この場合はSNSのような対話システムだが)
妙に熱くなる人というのはいるものだが、文字の世界では
書かれた字面からは、それが相手の本音なのか、演出なのか、
はたまたこちらが過剰に読み込んでいるのか、ということは判然としない。
だから(しかたなく)文字に起こされた事実だけをつかみ、
それに対して自分の意見を表明する、ということになる。
これが無用なトラブルや、感情の波立ちを抑える方法だというのは
いわばネットの処世術であろう。

で、現代の若者たちが覇気がないと言われるのは、
ある意味当たっているのかもしれないが、たぶん豊富なネット経験の中で
きっとこういう振舞い方を自然に身につけ、それが彼らの
ある種の穏やかさにつながっているのではないかと思うのだ。

そんなことをつらつらと考えていたら
昨日のプライムニュースがタイミングよく『日本人と宗教』を論じていた。
お盆の時期だからだそうだが、しかしこれが存外に面白かった。
前半のスピリチュアルの部分は見逃してしまったのだが、
現代の宗教は、かつてのように何かを信じ、
集団の力で自分たちをシアワセにしようとするものではなく、
自分と向き合い、心を豊かにしたい、という個人化した動きに変わりつつある。
仏像ブームは、その象徴であるというのだ。
仏像を眺めることで、人は自分が何者かを自問する。
そこには、濃すぎる人間関係を逃れようとする力が働いている。
とりわけ面白かったのは、島田氏が宗教における重要な役割として
「乖離」を挙げたことだった。
つまり自分を見るもう一人の自分、というものをいかに育てるか
これが「成熟」ということで、宗教とは本来そういう成熟を目指すものなのである。

秋葉原での無差別殺人の若者や、
第二次世界大戦を実行した軍部がなんだか幼く見えるのは、
そこに、乖離という成熟のあり方が感じられないからなのだろう。

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