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2010年10月 4日 (月)

FC東京を生観戦

新響つながりの連中と、国立競技場で初めてサッカーを観戦する。
国立競技場もサッカーの生観戦も初めて。
手入れの行き届いた芝生の緑が美しい。
上のほうから俯瞰して見ているせいか、テレビで見るより狭い感じがする。

FC東京と湘南ベルマーレの試合は、どちらもJ2降格寸前とあって
特にアウェイのベルマーレは応援に力が入っている。
FC東京は大人しいめだが、数では圧倒しているから
観客席はユニホームの青と赤が混在して、すみれ色に見える。
試合は、どうにももたもたしていたが、
ベルマーレ側のゴール近くに陣取っていたおかげで
FC東京の前半2点得点シーンを堪能することができた。
1点目に大黒の足が貢献したかどうかは定かではなかったが、
2点目の平山のアシストによる石川のシュートは美しかった。
ただ欲を言えば、練習どおり、教科書どおりのことをやって
成功しましたって感じで、それ以上のプレーがなかなか
見られなかったのは少し残念ではある。

誰かが書いていたが、前監督の城福氏は理論家だったそうで
でも勝てないままここまで来てしまい、とうとう監督交代、となったそうである。
城福氏の成果が出るのがこれから、ということかもしれないが、
どうも、ここにも日本のサッカーの特徴みたいなものが
現れているんじゃないかという気がする。
サッカーに限らず、医療やビジネスなどさまざまな場面で、
マニュアル教育の弊害ということを耳にすることが多い。
マニュアルを教科書と言い換えてもいいと思うが、
教科書で学んだことを、その通りなぞる傾向というのが
学ぶ側に強すぎるんじゃないだろうか。
あるいは、そういう風に教える側が仕向けているのかもしれない。
教える側の美学が強すぎるのかもしれないが、
それが学ぶ側の自発性や創造力を阻んでいる可能性もありそうである。

試合後の祝勝会でも、似たような話題が出た。
そこでは、横断歩道で信号が変わるまで、じっと待っているようじゃ、
これからの時代は生きていけない、というところで意見の一致を見たのだけれど
これは外国人が驚く事実でもある。実際
「夜中の2時に、全然車が通っていないのに信号が変わるまで
じっと待っている若い男性がいて、日本人って真面目だなあと驚いた」
という旅行者の話を耳にすると、
われわれが知っている以上に、若い世代は真面目(融通が利かない)で
決められた規則は、状況がどうであれ守らなくてはならない
という風に刷り込まれており、状況に応じて自分で考える、
なんて想像もしていないのかもしれないと考えてしまう。
そしてどうもそれが、サッカーで象徴的に
起きているのではないかという感じがするのだ。

ところでFC東京の試合が楽しみだったのは、
今や社長となった村林さんと久しぶりに会えるかもということもあった。
かつて東京ガスがスポンサーの仕事をしていた頃
面白い企画をいろいろ考えては2人で実現させていったものだ。
その後、2人ともガス本体から離れて随分年月が経った。
今回は間に入った友人や彼女のお嬢さん(FC東京勤務)が
いろいろと尽力してくださって、いざとなったら携帯で連絡をとる
ということになっていたのだけど、それは予感したとおり、
携帯の力を借りることなく、あっけなく実現してしまった。
携帯が「すれ違い」という物語を失わせた、
というのも祝勝会で話題になったことだが、
もちろん「すれ違い」がなくなったとすれば、
それは携帯ではなく意志の力による。
「すれ違い」物語を私たちがを愛しむのは、
私たちに、意志の力が及ばないものへの郷愁があるからなんだろう。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic


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