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2010年11月 2日 (火)

『SP』-フィクションを支えるもの

『SPー野望編ー』を初日に見た人に刺激されて、月曜の朝いちで観にいく。
中高年の女性が結構いるのが意外。
堤目当て?岡田目当て、アクション目当て?
それとも映画デー目当て?

テレビドラマの『SP』に出合ったのは、まったくの偶然で、
たまたまチャンネルをひねったらやっていたのだけど
ちょこっと見ただけですっかりハマってしまった。
話の筋もアクションシーンも緻密にできていて
深夜11時という明らかな若者時間なのに、欠かさず見てしまった。
政治が絡むと中高年の関心もひきつけられる、ということかもしれない。
いえ、別に若者は政治に関心がない、と言いたいわけではありません。

テレビに比べると映画の『SP-野望編-』は、やや大味である。
アクションシーンはさすがに迫力があり見せるが、
迫力を狙いすぎてウソっぽさが強調されてしまう
というところは計算外だったのかもしれない。
トラックの運ちゃんがオペラに酔いながら運転するのはいいが
荷台で起きていることに気づかない、というのは
つかみとしてだけ許してあげられるレベルだ。

テレビドラマの最後は、堤くん扮する尾形が
なにやらカギを握っているらしい、と思わせるところで終わったが
それが何かは映画の中で、少しずつ明らかにされていく。
そうやって尾形と岡田くん扮する井上との間に距離が広がっていく。
というより尾形は井上にとって危険な存在になっていくのだ。
これは同じチームとしては実にやばい。
ただ、何となく尾形は最後は自分の身を挺しても
井上を守ろうとするんじゃないか、という気はする。

野望編のあとには革命編が続くこともあってか
今回の野望編では、もっぱら井上の直感(超能力)とアクションに
重きが置かれていて、話の筋はいささか荒っぽくリアリティに欠ける。
特に政治家の描き方がステレオタイプだ。
いくら出世欲が強いと言ったって、いくら政治家がアホだと言ったって
夜中の3時に官房長官が、自分で車を運転して官邸に向かう
なんてことがあるだろうか。
いくら夜中の3時だからって言ったって、
官邸周辺に車が一台も通っていないっていうのも???だ。
応援を頼むのが遅い、とか、銃を持っているのに、
危険が迫ってもなかなか発砲しない、とか
肩を射抜かれてもマルタイを連れて官邸に向かってひた走るなんて
と、突っ込みどころ満載なのだけど
革命編に向かう前座なのだと考えれば、これも許せる範囲か。
でも、こういうところできちんとリアリティを描いておかないと
井上の超能力が、単なるうそっこになってしまう。
超能力物語大好きな私としては、そこが残念なのだ。
フィクションというのはリアリティに支えられてこそ
ほんとらしく見えるのだから。

ちょっと懸念したのは、制作が、あのフジサンケイグループってことだ。
「なんで、そこで拳銃を抜かないの?」という欲求不満を掻きたてて、
銃社会を容認させようという国粋主義的魂胆がないことを
オバサン世代としては切に祈りたいが、そう思わせたってことは
案外リアリティのある作り方だったってことなのかもしれない。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic


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