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2011年1月27日 (木)

『ソーシャル・ネットワーク』

ジェシー・アイゼンバーグという俳優が気になっていたので
平日の朝一で丸の内ピカデリーへ。

今までマイ衝撃的デビューを果たした俳優は2人いる。
ひとりはジェイク・ジレンホールで、
彼に初めて『ドニーー・ダーコ』で出会ったときは、
物語の筋書きもさることながら、何より容貌が衝撃的だった。
こういう容貌でも俳優になる得るのか!と思ったのである。
もちろん別にイケメンが俳優の最低条件だと思っているわけではなく、
ジャック・ニコルソンとかトミー・リー・ジョーンズとかジョン・マルコヴィッチとか
そうじゃなくても好きな俳優はたくさんいる。
でも、ジェイク・ジレンホールはどう考えてもその範疇には入らないし
かといって、いわゆるブラピとかジョニデとも違ったために
自分の中でどう位置づけたらいいのか面食らったのである。
しかし今や彼は「世界でもっともセクシーな男優」に選ばれるまでになっており
基準が変わるとはこういうことだったのか、と今になると分かる。

で、もうひとりがジェシー・アイゼンバーグである。
彼を初めて見たのは『イカとクジラ』。
4人家族の中でひとりだけ異質な、もさっとした雰囲気なのに
どこか繊細な部分を秘めており、現実世界では決して自分を
曲げない役どころを実にリアルに演じていた。
もちろん彼もブラピやジョニデにはグループ化できず、
かといってジャックやトミーやジョンでもない。

そのジェシーが『ソーシャル・ネットワーク』で
マーク・ザッカーバーグというフェイスブックの創設者を
どんな風に演じるのか、これは楽しみだった。
前評判によれば、この映画の中でザッカーバーグは結構嫌味な
人間として描かれており、決して賞賛一辺倒ではないという。
そこも興味深かった。

映画の中のザッカーバーグはたしかにあの年齢(ハーバードの学生)に
ありがちな生意気さに満ちているが、しかしず抜けて傲慢というわけでもない。
あの程度の生意気な学生は、私の学生時代にも当たり前のようにいて
当時接触が多かった名門といわれるT大の学生たちにも同じように辟易したものだ。
多くのオトコは(もちろんオンナにもいるけど)世界は自分の思うように回る(したい)
と思っており、他者はそのための素材という程度にしか思っていないように見える。
というか、他者はほとんど目に入っていない、と言ったほうがいいかもしれない。
この映画(というか、この成功物語)の面白いところは
この生意気な学生が、図抜けた情報技術の才能を持っており、
しかも、周りにそれを評価できる人間がちゃんといて、
それがフェイスブックというワールドワイドなSNSの設立を後押ししたところだろう。
ハーバードにも階級があり、フェイスブックが、
ある意味エリート集団によって排他的に始まったことを指摘する人もいるが、
まさにブランドとはそういう風に成立する。
そしてフェイスブックは、今や全世界で5億人ものメンバーを抱えるSNSとなり
SONYやルイ・ヴィトンと同じように大衆に受け入れられて
ザッカーバーグは巨万の富を得るまでになった。
それなのに、まだ彼はたったひとりのガールフレンドを
振り向かせることができていない、というところで映画は終わる。

そのやるせなさがジェシーの演技からにじみ出ているために、
この映画のザッカーバーグはただの嫌味な人間で終わっていない。
実在の登場人物によれば、この映画は立派な「フィクション」だそうだが
ジェシー・アイゼンバーグがそれに一役買っていることは、たぶん間違いないだろう。
それにしてもオトコにこれだけの仕事をさせる
オンナの力のなんと偉大なこと!

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2011年1月24日 (月)

『わたしはじめ』

ディペックスのアンケートを報告書にまとめる仕事を
しなければならないのだけれど、ミーティングの日程が決まらないので
とりあえず先延ばしにして、昨日のバレエのレッスンで
課題になった振り付けを考える。

今年は発表会があるとかで、このところ日曜日のレッスンは
先生が選んだ曲にめいめいが振りをつけて
踊ってみるということをやっている。
曲は植村花菜の『わたしはじめ』
最初は音に合わせて体を動かすだけだったのが、
だんだん動と静のコンビネーションになっていき、
歌詞が表現している気持ちを表現するようになり
踊りもなんだか物語のようになってくる。

課題は曲の前半半分で、時間にすると2分程度なのに
最初の頃はこれが長くて長くて、なかなか埋まらずしばしば立ち往生。
ひとつには、スタジオで聞く音質が悪く、
歌詞がよく聞き取れなかったからでもある。
でも発表会で披露することがはっきりしたので
ネットで曲と歌詞をダウンロードし、歌詞を理解しながら振りを考える。
振り全体が固まってくると、今度は曲がやけに短く感じられて
踊っているとあっという間に終わってしまい、
うっかり振りを忘れるとすぐさま置いて行かれてしまう。

あらかじめ決まっている曲とか振り付けを習得して表現するのを
たしか複製芸術と言ったような気がするが、たぶん先生としては、
そこに留まっていないで、さらに一歩先へ進みなさいと言おうとしているのだろう。
高度な振り付けを覚えて踊るのだって決して簡単なことではないが
あらかじめ振り付けられた踊りというのは、
結構論理的にできているので、慣れてしまうと案外頭に入りやすい。
振り付けというのは身体言語の組み合わせみたいなものだから、
詩や文章を暗記するのと、よく似ているのだ。

ところが自分で振りを考えるとなると、まずは音に合わせて
勝手に体が動いてしまい、身体言語はランダムな言葉の羅列として始まる。
しかたがないので、それを忘れないように紙に書きつけておくのだけど
それを意味のある文節として自分の中に修めるには
何回も繰り返して体に筋書きとして覚えさせないと
無意識に体が動くというまでにならない。
まるで新しい文法に体を慣らしているみたいな感じだ。

私の中高時代にはダンスコンクールというのがあり、
学年別クラス別で創作ダンスを競い合ったものだった。
体育の授業でも創作ダンスの授業があり、
あがり症の私にとっては人前で踊りを披露することからして
最高に苦痛に満ちた授業だったが、ただひとつ目からうろこだったのは、
複雑な振り付けでなくても充分に表現になり得るという事実を知ったことだった。
今ごろになって、それが役に立っているなんて。
これも『わたしはじめ』なんだろうか。

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2011年1月13日 (木)

『マイ・バック・ページ』

暮れから体調がいまひとつすっきりしないので、
ホットカーペットの上でゴロゴロしながら、
カタログハウスから送られてきた「通販生活」に目を通す。
ときどき大きな買い物をするので、そのたびに
しばらくカタログを送ってくれるのだ。
いつも「後で読もう」と思ってそのままになってしまうのだけど
今回は後回しにする元気がなくて、
おかげでゆっくりのんびり目を通すことになった。

川本三郎さんと落合恵子さんの対談が載っている。
川本三郎さんが新聞や雑誌に書かれた文章は読んでいるが
今まで特別に気に留めたことはなかった。
映画は好きだが映画評論にはそんなに関心がなかったからかもしれない。
でも、この対談で初めて川本氏が大学卒業後、
朝日新聞に入社し、しかも3年で懲戒免職になったことを知った。
そのことを綴ったのが
『マイ・バック・ページ』~ある60年代の物語~という本である。
対談を読んでいるうちに急に、川本氏が朝日に入社し辞めるまでの
あの時代を振り返ってみたくなり、図書館で借りて読み始めた。

当時の私は、大学入学時に判明したある私的な問題を消化するのと
やむを得ずの独り暮らしに慣れるのに精一杯で、
大学紛争に浸かっている余裕は全くなかったが、
身近にあの熱気のようなものを感じることはできた。
今風に言えば、うざいほどの東大生はまわりにうじゃうじゃいたから
あれが政治行動ではなく思想行動だった、という表現はとても腑に落ちる。
川本氏が

なにか具体的な解決策を探る運動というより
「お前は誰だ?」という自己嫌疑を続けることが重要だったのだ。ー略ー
現実レベルではあらかじめ敗北が予測された運動だった。

と書いているように、おそらく無意識に敗北は予想されていたのだろう。
実際、東大生たちとのセツルメント活動に夢中だった同級生のほとんどは、
その後どうということはなく、ふつうの専業主婦になってしまい
ただのノンポリだったこちらの方が拍子抜けしてしまった。
思想行動にさえ至っていなかった連中が大半だったのだろう。

川本氏は、そういう時代の中で入りたかった朝日新聞に一浪までして入社し、
ジャーナリストのあり方を自問しながら、運動家と職業人の間で
宙吊り状態のまま、ある男に裏切られる格好で朝日を懲戒免職になる。
それはひりひりと痛々しく、後悔に満ちた年月だけれど
「これが若さだ」と賞賛したくなるようなまぶしいものでもある。
ほんとは、映画や演劇やジャズが好きで文化部配属が嬉しかったのに
異動とともに、やっぱりメインステージに惹かれて政治ネタを追いかけ、
それに手ひどい仕打ちを受けて挫折する。
こんなのは若いときじゃなければできない経験だろう。

現代に比べて、あの時代は誰もが無防備だったような気がする。
誰もがまだまだすれておらず、直情的で(ノンポリさえも)
だまされやすかったんじゃないか、という感じさえする。
そんな中で、川本さんをだましたKという男の自己顕示欲は極めて現代的で、
そういう意味では時代は何も変わっていないとも思うが・・。

『マイ・バック・ページ』の初版は1988年だが、
20年経って妻夫木聡主演で映画化されることになり、
今年5月に公開予定だそうである。
60年代というあの時代が、21世紀の今、というメガネで
どのように見えてくるのか楽しみである。

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2011年1月 4日 (火)

うねり

雲ひとつない青空が広がる新年。
2日続けてテレビの前で箱根駅伝を応援し、
東洋大が復路優勝できなかった無念を晴らすために
以前に某新聞社からもらった駅伝応援用コート着て
近所の浅間神社に初詣に行く。
いつもは午前0時の真っ暗な夜道を、懐中電灯の明かりを頼りに
歩いて行くのだけれど(どんだけ田舎!)、
今年は寒そうなので止めたのだ。
さすがに昼間はそれほど寒くなく、怖くもなくて気分がよい。
本堂以外はしっっかり閉まっており、神社もお正月休みなのね。
おみくじは末吉。
人のために力をつくしなさい、と。

クライアントの先生からの年賀状に
「時間外の相談と電子カルテを連動させたい」というのがあった。
時間外の相談をおこなう上で難しいことのひとつに
クライアント医院との情報共有がある。
最新の医学情報は、さまざまなネットワークを使えば
現代では比較的容易に入手できるが、
難しいのは院内で共有している情報を
院外でも共有できるようにすることだ。

院内では特に意識しなくても、
日常的なコミュニケーションが取れていれば情報は共有できる。
たとえばインフルエンザのワクチン予約は
もう一杯なのか、まだ大丈夫なのか、といったようなことは、
院内ならちょっとPCを覗けば済む。
しかし院外では、わざわざ知らせてもらわない限り
そういう細かい情報を把握する術はない。
院内で共有している情報のどれが院外でも必要かは
院内にいると案外分かりにくい、ということも共有を難しくしている。
これは思いやりとか想像力が、経験を切り離してはあり得ない
ということとも関係があるのだろう。

クライアントの多くは必要と思われる患者情報をこまめに
送ってくれたりするが、電話相談の常で
予め用意された情報が役に立つことはあまりない。
もちろん情報を用意しておくことは保険と同じで
備えあれば憂いなし、ではあるのだが、
「事実は小説より奇なり」と言うように、
患者のニーズは、こちらの想像の域を超えているからだ。
だからリアルタイムに院内情報を院外で共有するシステムは
患者が自分のカルテを自由に見るのと同じで
これからの医療では必須だといえる。
これも医療連携の一種である。

電子カルテの導入が始まったときに、まず考えたのは
これで院外でも院内情報の共有が可能になる、ということだった。
でもまだ時間外の電話相談さえ充分に認知されていない状況で
そんなことを考えるのは、遥か遠くにそびえる山の頂めがけて
歩き出すようなもので、どこから登ったらいいのか
どのくらい歩けばいいのか、皆目見当がつかなかった。
そもそも電子カルテが、時間外の対応まで視野に入れて
いるとはとても思えなかったしー。

だから昨年、地域医療貢献加算が導入されたときには
本当にびっくりしてしまった。
どこで誰がどう動いているのか、自分には全く見えないが
時間外対応の重要性は評価されており、
その証拠に制度化されることになったと直感した。
医療には何か大きな地殻変動が起こりつつあるのだ。

さらに、昨年秋の日本小児科学会誌に、
尊敬する小児科医のひとりである西村龍夫先生が、
「小児プライマリーケアにおける抗菌薬の適正使用について
 ―プライマリーケアの治療を考え直そう―」
http://www009.upp.so-net.ne.jp/tatsuo/sho114-09-P1357-1366.pdf
という総説を書いて、私の論文も引用されていたのを知った。
時間外の相談は、小児医療のあり方を見直そうという、
大きなうねりの一環をちゃんと占めているのだ。

自分ひとりだけで孤独にコツコツとやっているだけのようでも
何か大きな力が、それを生かしてくれていると思えるのは嬉しい。
人は決してひとりでは生きていない、と実感する2011年の幕開け。

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