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2011年1月24日 (月)

『わたしはじめ』

ディペックスのアンケートを報告書にまとめる仕事を
しなければならないのだけれど、ミーティングの日程が決まらないので
とりあえず先延ばしにして、昨日のバレエのレッスンで
課題になった振り付けを考える。

今年は発表会があるとかで、このところ日曜日のレッスンは
先生が選んだ曲にめいめいが振りをつけて
踊ってみるということをやっている。
曲は植村花菜の『わたしはじめ』
最初は音に合わせて体を動かすだけだったのが、
だんだん動と静のコンビネーションになっていき、
歌詞が表現している気持ちを表現するようになり
踊りもなんだか物語のようになってくる。

課題は曲の前半半分で、時間にすると2分程度なのに
最初の頃はこれが長くて長くて、なかなか埋まらずしばしば立ち往生。
ひとつには、スタジオで聞く音質が悪く、
歌詞がよく聞き取れなかったからでもある。
でも発表会で披露することがはっきりしたので
ネットで曲と歌詞をダウンロードし、歌詞を理解しながら振りを考える。
振り全体が固まってくると、今度は曲がやけに短く感じられて
踊っているとあっという間に終わってしまい、
うっかり振りを忘れるとすぐさま置いて行かれてしまう。

あらかじめ決まっている曲とか振り付けを習得して表現するのを
たしか複製芸術と言ったような気がするが、たぶん先生としては、
そこに留まっていないで、さらに一歩先へ進みなさいと言おうとしているのだろう。
高度な振り付けを覚えて踊るのだって決して簡単なことではないが
あらかじめ振り付けられた踊りというのは、
結構論理的にできているので、慣れてしまうと案外頭に入りやすい。
振り付けというのは身体言語の組み合わせみたいなものだから、
詩や文章を暗記するのと、よく似ているのだ。

ところが自分で振りを考えるとなると、まずは音に合わせて
勝手に体が動いてしまい、身体言語はランダムな言葉の羅列として始まる。
しかたがないので、それを忘れないように紙に書きつけておくのだけど
それを意味のある文節として自分の中に修めるには
何回も繰り返して体に筋書きとして覚えさせないと
無意識に体が動くというまでにならない。
まるで新しい文法に体を慣らしているみたいな感じだ。

私の中高時代にはダンスコンクールというのがあり、
学年別クラス別で創作ダンスを競い合ったものだった。
体育の授業でも創作ダンスの授業があり、
あがり症の私にとっては人前で踊りを披露することからして
最高に苦痛に満ちた授業だったが、ただひとつ目からうろこだったのは、
複雑な振り付けでなくても充分に表現になり得るという事実を知ったことだった。
今ごろになって、それが役に立っているなんて。
これも『わたしはじめ』なんだろうか。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic

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