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2011年3月28日 (月)

事実にたどりつくバロメーター

被災地ではない地域は少しずつ日常に戻りつつある。
スーパーの棚は少しずつ埋まり始めていて、
慌てなくても物資は十分に供給されていることが実感できる。
一時期は、なかなか手に入らなかった牛乳は
1店1本ずつなら苦労なく購入できるようになった。
お豆腐も、いくらか並び始めた。
一番寒いときにまったく手に入らなかったカイロも
ちょっと暖かくなったら楽に買えるようになった。
我が家のように郊外の畑が点在するような地域には
野菜はいつもどおり、いやいつも以上に豊富にある。
ほうれん草なんかバカ安でかわいそうみたいだ。
でも今日は無洗米はどこの店にもなく、これはきっと
被災地に優先して送られているのだろうと、ふつうのお米を購入。
何でも無ければ無くても済ませられるような生活をすれば
いいだけのことだし、そこでこそ生活者の腕が試されるというものだ。
中越地震の時から新潟県産品を愛用するようになったが
これからは、それに青森とか岩手とか宮城とか福島の物産も加わるのだろう。
ちなみに今日買ったお米は岩手産だ。
ただ、ものが少しずつ高値安定になっていきそうな兆しは懸念する。

地震後の1週間は、さすがに表に出る気になれなくて
バレエのレッスンも2回続けてお休みした。
読書も集中できなくて図書館の本も延滞気味だ。
でも、テレビで地震のニュースを見ながらお菓子をつまむという
もっとも不健康なカウチポテト生活も、さすがに1週間続けると
体が警戒信号を発し始めたので、日曜からレッスン開始。
やっぱり体は動かし続けるに限ると実感する。
少し気分が上向いてきたのを機にお気に入りの古着屋へ足を延ばす。
だんだんわかってきたのは、後で後悔するような買い物は
往々にして自分の精神状態がいまいちのときにしている、ということだが
掘り出し物をうまく見つけられたところを見ると、
肉体だけでなく精神も普通に戻りつつあるみたいだ。
今や買い物は自分を判断するバロメーターなのだ。

今回のいろいろな事象について、ネットを通じて情報交換することが多くなり
既存のメディアには流れない(流れてこなかった)情報も
手に入るようになって、ずいぶん勉強になった。
福島の原発事故では、原発について不勉強だった自分を痛感させられたが、
同時に、既存メディアがいかに肝心なことを伏せてきたかということも見えてきた。
どの人が何と言ったか、どのメディアがどんな情報を流したか、ということは
極力記憶しておき、後々の判断に役立てたいと思うが、
流された情報の内容は、そのメディアが権力とどのように結びついていたか
を表す指標と考えておいた方がいいのだろう。

たとえば地震が起きた当日、菅さんがまっさきに福島の原発を視察した
というニュースを聞いて、何か重大な事象が起きているのかもと予感した。
今(3月28日現在)になってみると、すでに当日の時点で今の状況は
相当程度予想できていたのだろうと思われる。
つまり、あの時点で放射性物質が流れ出るような事故が起きそうなこと
は分かっていたのであり、その収拾方法が、なかなか見つからない、
ということもあらかた見えていたのだろう。
しかし、この視察が対応を遅らせた、と報じるメディアもあったのである。
何か重大事件が起きたとき、現場を見るのは責任者にとっての鉄則だと思うが
そういう鉄則を不要と断じたメディアがあったということは忘れてはいけない。
そういうメディアは、まず信用できないと思ってよいだろう。

「撤退なんかできない!」と菅さんが東電を怒鳴りつけた、というニュースも
あたかもトップにあるまじき振る舞いとでもいうような口調で報じられた。
私は菅さんのいつものスタンドプレーかと思った口だが、
「撤退」という言葉に、ちょっと引っかかった。
東電が撤退できないのは当たり前なのに
なんでわざわざそんなことを言うのだろうと訝しく思った。
そしたら今になって、東電の側が「撤退したい」と申し入れており
それに対して菅さんが怒ったことが分かった。
でも、少なくとも私が購読している2紙は、どちらもそういう事実
つまり東電がそのように申し入れた、ということは報じていなかった。
故意からか、怠慢からか、一部分だけを報じることで、
一国の総理に対する信頼を損ねようとした裏には何があるのだろうか。
とても興味深い。
東電が事態の収拾に責任を取るのは当たり前のことだが
事実を正確に報じないメディアは、どのように責任を取るつもりだろうか。
自分が感じた違和感を突き詰めていくと、案外事実が見えてくる
ということが分かったのも、今回の地震の副産物として挙げておこう。

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2011年3月19日 (土)

学ぶチャンス

今回の東北関東大地震では、地震と津波だけでなく
原子力発電所の事故も重なって
被災地の救援と原発事故への対処という
2つの難題を抱えた状態が続いている。

被災地にいなかった者としてできることは、今回の地震から
いかに多くのことを学ぶかということだろう。
その最たるものは、地震と原子力発電所についてである。

地震については石橋克彦先生がすでに15年以上前に
予見されていらしたことを今回初めて知った。
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/2011touhoku.html

6年前には衆議院予算委員会の公聴会でも
日本列島が地震の活動期に入っており、それに応じた国土政策と
社会経済システムへと根本的な変革が必要だと述べておられる。
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/050223koujyutsu.pdf
このことについては自分が聞き逃したのか、それとも政治家は知っていたけど
一般国民には知らされなかったのかよく分からないが、
ここまでたいした関心を払わないまま来てしまった自分自身に怒りを感じる。

原子力発電所については、平井憲夫さんという人の手記が衝撃的だった。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/index.html

これについては本人が書いたものではない、とか
聞き書きした人が扇動的に書いているという批判もあるようだが
発電所の勤務実態を垣間見ることができる、という意味で価値があると思う。
原子力発電所がどのようなリスクと隣り合わせで運営されてきたか、
その恩恵を享受する側は、「それも仕事」という括りで
実態を見ようとしてこなかったのではないか。
そのようなリスクを負って(負わせて)まで利便性を享受するのか
ということを考えるのには、いいきっかけだろう。

福島原発の事故が最悪の経過をたどったとしても
空気中に飛散する放射性物質の量は、過去に比して
心配するほどではないという説明にも一理はあるだろう。

http://search.kankyo-hoshano.go.jp/food/dekigoto.html#03
http://www.kankyo-hoshano.go.jp/01/0101flash/01010221.html

私の年代は放射性物質が含まれた雨をさんざんかぶってきた世代だが、
とりあえず今のところ無事に過ごせている。
だから、いたずらに慌てる必要はないと思うが、
(というより腹を括ることの方が大事だと思うが)
もちろんそのことは原発の安全性を保証するものではない。
私たちは危険と隣り合わせの生活をしているのに、
その恩恵の大きさに目を眩まされて、危険性の評価については
すこぶる甘くなっているのだと思う。
今回の福島原発事故を、何とかやり過ごせた後の安堵が怖い。

私たち日本人は順応性が高い(単におとなしくて権威に弱いだけかもしれないが)
ために、計画停電だってなんだって、うまく乗り越えてしまう。
それが無批判な原発建設などの実態から目を背けることになっていなかったか、
なんでも政治にお任せで、政治家をきちんと監視しない
という依存性につながっていなかったか
せめてこの大地震を貴重な学習機会にしたい。

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2011年3月15日 (火)

相手の思いをうけとる強さを

被災地の状況が刻々と入ってくる中で気持ちを落ち着かせて
おくことはなかなか難しいかもしれない。

地震直後に出回ったデマメールは、ある意味私たちの動揺を
表していると考えればいいのだろう。
化学薬品を含んだ雨が降るから気をつけろ、とか
電力が足りないから節電しよう、など、
どれも善意を装った内容だけに信じられやすく拡散しやすい。
身近な人からのメールほど伝わりやすいのは、
公的情報より口コミ情報に信頼が置かれがちな現代に
典型な現象と言ってもよいだろう。

経験のない事態に遭遇して、いろいろな意見が飛び交う。すると、
「今はそんなことを言うべきではない」とか
「他人事だと思っているから、そんなことを言うんだ」などと言って
言論を封じようとする動きも出てくる。
ある意見が受け取る側の何かを刺激すると、
自分が耳を塞ぐのではなく相手を黙らせようとしてしまう。
聞くことに耐えられない自分、というのがあるのだろうが
なぜ耐えられないかを考える余裕がないので
勢い、発した相手を責めて黙らせようとする。

でも私はこういう未曽有の状況だから
そういうことを言い合える場では、感じたことを
もっともっと言い合えばいいと思う。
もちろんどこかの掲示板みたいに感情的に罵詈雑言を尽くす
というのは生産的ではないから避けたいが
少なくとも、感じたこと、問題と思うこと、今考えたいことを
できるだけさらけ出してみんなで議論することが、むしろ被災地ではない
所にいる人たちにとっては必要なんじゃないか、と思うのだ。
混乱状態は、自分たち、つまり日本人である私たちの弱点や苦手部分を
直視するいい機会だし、それをじっくり考えることは次につながる。
私たちは知らず知らずのうちに混乱しており、実は無意識にそうやって
精神の安定を保とうとしているんじゃないかと思うのだ。
言論の自由を徹底的に守ること、それが私たちを真に強くするように思う。


世界中の人たちが救援に来てくれている中で、下記のニュースは心を打った。

「アフガニスタンが「400万円」支援表明」

http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yucasee-201...

アフガニスタンのカンダハル州のグラム・ハイダル・ハミディ市長は12日、
東日本大震災の被災者に義援金5万ドル(約400万円)を送ることを表明した。

AFP通信によると、カンダハル州は反政府勢力タリバンとの内戦が
最も激しい地域の一つ。それにも関わらず、これまでに日本がアフガン復興を
熱心に支援してきたことへの恩返しとして、「市民を代表して地震と津波の
被災者を支援したい」と述べているという。

アフガニスタンの生活水準では、国民の3分の2が、
1日あたり2ドルという生活水準だとも言われており、
いかに大きな金額かが理解できる。

コピーここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分に余裕があるときに誰かに何かをすることは難しくないが
苦しいときに他者に手を差し伸べるのはほんとうに難しい。
そんなことしてくれなくてもいいのに、と思うが
思いは規制するのではなく、ありがたく受け取ることが
相手に報いることになるのだろうと思う。

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2011年3月14日 (月)

地震が起きた日

金曜日の地震から2日が経った。
まだ刻々と事態が変化しているので気持ちが落ち着かない。
テレビをつけっぱなしにしていることもあるかもしれないが、
かといってこういうときに情報を遮断する勇気もないし。
地震の被災地ではない所にいた者の記録を残すことにする。

たまたま外苑前にいて、今まで経験したことのないような
強い揺れを経験し、これは電車がストップすると思ったが
復旧までの時間は予想以上に長かった。
揺れの大きさから、長そうな予感がしたのでしばらく時間をつぶそうと
ドトールに入ろうとしたが、店も地震で混乱しており閉店状態。
携帯もラジコもつながらず、まずは家族の安否が確認できない。
地下鉄は
「安全確認をしている。他線は動いていない。復旧の見込みは不明」
と繰り返すばかり。
みんな同じことを考えているようで、近くのハンバーガーチェーンも満員。
外はめちゃくちゃ寒いので、駅の地下へ入ったら
運よくプロントに入ることができた。
さいわいテレビが映っていて、状況がいくらかつかめる。
長丁場になりそうな感じがしたので食事をすることに。
相変わらず携帯はつながらないが携帯メールはどうやら送れるようなので
家族に送ってみるが返事が来ない。
アメリカの妹からは安否確認のメールが来るのに。

そうこうしているうちにやっと娘から家族全員宛のメールが届く。
息子は東西線の途中の駅で止まっているらしい。
車で出かけている夫からは連絡なし。
JRは早々と本日中の復旧断念を宣言したので
頼みの綱は東京メトロだけだけど、動く気配がない。
なにしろ東西線は何本も川を渡るし、大風が吹いただけでストップする
くらいだから今日中には復旧しないかもしれない。
どこで夜を明かしたらいいかと考えてみるが思い浮かぶホテルは
ホテル西洋銀座くらい。
京橋まで行けばビジネスホテルがあるかなあ、とちょっと心細い。

そのうちに息子からメールが。
「自分は歩いて帰る。お母さんはマンガ喫茶かインターネットカフェを探しなさいと」
娘からは
「会社から帰宅するべく歩き出したので、途中でママを拾えれば
自分のアパートに泊まれるよ」とのメール。
なんだかたくましい子どもたち。
親が世話をされる側に回っていると思うと、ちょっと嬉しい。
そのうちに銀座線が動くとの情報が。急いで店を出て乗り込む。
娘に連絡を入れるが返事が来ない。
外苑前に向かっていると言っていたが、どこにいるんだろう。
あとで分かったのだが、外苑前にたどり着いていた娘も同じ電車に乗っており
でもリアルタイムにメールが届かないので、そこから別れ別れになってしまったのだ。
とりあえず日本橋で降りてみるが、どんどん人が溜まっている。
「東西線の復旧見込みはなし」とアナウンスが繰り返されるが、それでも溜まる一方。
これだけたくさんの人がいれば、メトロもプレッシャーだろうと思いつつ、
動かないときは地下で一夜を過ごすのだろうかと考える。
外は寒くて、とても歩いて帰る気にならないが
床に座るにしても下が冷たそうだ。
新聞紙か雑誌を持っていればよかった。
そのうちにようやく娘から返事が。
動き始めた半蔵門線に乗って宿にたどり着くことができた。

息子は途中で食事をしながら歩いて11時ごろ帰宅。
四街道にいた夫は7時間も渋滞の中にいたが、これも11時過ぎに帰宅とのことで
娘の部屋から2人とスカイプで話をする。
さいわい、我が家の被害はワイングラス1個と湯飲み茶わん1個だった。

翌日は半蔵門線とJRを乗り継いで帰宅。
本は全部本箱に収納していたので書籍流はなかったが、
ピアノの上の小物が落ちていたり、デスクの小引き出しも飛び出ていて、
やっぱりこちらも結構な揺れだったのだと実感。

それにしても、緊急時に携帯もインターネットも通じないのは計算外だった。
携帯メールは何とか送れても、タイムラグが1時間以上あって全然役に立たない。
出先でどうやって状況把握のための情報を得るか。
どうやって家族と連絡を取り合うか。
家へ帰れないときのために、どこに泊まるか。
少なくともこの3点だけは解決しておかなきゃ。

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2011年3月 7日 (月)

レプリカントという発想

がん患者へのインタビューの質を評価する仕事の都合上
後からDVDを観るということの視聴に与える影響も考えておきたいと思い、
映画について書かれている書物をあさっているうちに
『ブレードランナー』にいきつく。
ハリソン・フォードはともかく、ショーン・ヤングが出ていると分かって
アマゾンでオリジナル劇場版、インターナショナル劇場版、
ディレクターズカット版の3種類が入っているDVDを購入。
1982年制作(ディレクターズカット版は1992年制作)と知って、
ちょっとショックを受ける。
リドリー・スコットは、最近ではテレビドラマ『グッド・ワイフ』の
制作総指揮もしているが、これも見ごたえのある作りで腕の確かさがわかる。

なかなか見ごたえのある映画だったので、
関連して加藤幹郎さんの「『ブレードランナー』論序説」も読むことにする。
大変緻密な論考で、「あそこで猫の声が聞こえない凡庸な視聴者もいる」
とか言われると、
「そりゃ画面にくぎ付けになっているときは耳がお留守になるからね。無理だよ」
と反発心も湧くが、書かれていることにはおおむね納得。
レプリカントと人間とどちらが人間らしいか、
結局、人間とレプリカントには違いがない、ということは
今(現代)になってみるとごく当たり前に感受できるが
公開当時はどのように受け取られたのだろうという興味がわく。
この映画の主役はハリソン・フォードだと受け取った人もいるらしいが
30年前だとしたら無理もないかもしれない。
デッカードがレプリカントかそうでないかという論争もあるみたいだが、
それもさほど重要じゃないだろう。
ただ、人間にしちゃデッカードは強すぎるから私もレプリカントだとは思うが。

加藤氏が書いているようにこの映画のテーマは
「人間とは何か」ということだと思うが、
私は人間がどんな特性を持っているか、ということより
レプリカントという疑似人間を発想した、というところにそれが見えて面白いと思った。
ここにはおそらく神を発想したのと同じ心理が働いているのではないだろうか。
つまり自分の無意識を外在化したのではないかと思うのだ。
だとしたら、どっちが人間らしいかという議論は無意味だともいえる。
これが日本人だと、岩とか樹とか、あるいは自動車とかなんていうのもあり得るが
外形を自分たちに完ぺきに似せて、しかしすっかり自分と同じではない(良くも悪くも)
というあたりは、いかにも西洋人らしい発想じゃないだろうか。
最後にロイがデッカードを救う場面は、死にゆくレプリカントが他者を救う
という崇高な場面で感動ものだが、考えようによっては、自分が自分の都合に合わせて
生み出したものに復讐されつつ最終的には救われるというわけで、
なんとなく虫がいいなあという感じもする。
そうじゃないと人間に絶望しなきゃならないわけで、それは避けたいだろう。

フィルム・ノワールの定番とかで
未来都市だというのに、映画は全体に暗く、ジメジメしていて猥雑な都市風景が続く。
まあそれも解釈のひとつだけど、この風景は好みじゃないなあと思っていたら
原作(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』)は全然違うというレビューが
アマゾンに載っていたので原作も読んでみることにする。
原作をここまで改変した、という点でリドリー・スコットを
再評価することになるのか、そこがちょっと楽しみではある。

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2011年3月 5日 (土)

おわりとはじまり

ディペックスの報告書のメドがついたので久々にギンレイへ。
『トロッコ』と『冬の小鳥』の二本立てで最終日のせいかめちゃ混みである。

『トロッコ』は芥川龍之介の原作を元にしている(らしい)。
台湾で日本軍が材木を切り出すために敷設したトロッコ鉄道が舞台で
台湾人の夫と死別した妻が2人の男の子を連れて里帰りするという設定。
芥川の原作はたぶん読んでいるはずだが、ほとんど忘れており
(こんな話だっけ)と思いながら観る。
ただひたすらトロッコに乗りたくて、台湾人の若者に乗せてもらうが
山奥まで行ってしまい、急に心細くなった弟が
泣きながら走って帰っていくのを兄が追いかけて家までたどり着く。
(トロッコ道だからね、辿って帰ればいいんだよ)と思いながら観る。
戦争中の同化政策や戦後の国際結婚などが絡んだ
一見ワールドワイドな作りだが、どうにも情緒的で深まりがなく途中居眠り。

一方の『冬の小鳥』はとても芯が強い作りになっている。
父に捨てられた孤児が、そのことになかなか向き合えないまま
孤児院(1975年のソウル近郊)で友人を得、
その友人も養子としてもらわれて行き、死んだ小鳥を埋めたように
自分も土の中に埋まって死のうとする(8歳のこどもの切実さ!)。
死ねない(自分の本心は生きたい)と分かったとき、
自分も里親を探して養子になろうと決心し旅立っていく
というところで映画は終わる。
必ず父親が迎えに来る、と信じている女の子の葛藤だけでなく
養子先で必ずしも幸福にならないかもしれない、と思いつつ
過去を振り切って孤児院の門を出ていく年上の子、
自分の未来を思い描き、それに向かって突き進んでいく子、
それを取り巻く大人などが淡々と描かれる。
韓国人の芯の強さ、と一般化してしまうのは間違いだろうが
現実を受け容れるとはどういうことかという普遍的なメッセージを
受け取ることができる優れた作りになっている。

この2本、何が共通項なんだろうと思っていたら「小鳥」だった。
片方はケガが治って飛び立っていき、片方は死んで埋められるのだが
死は再生という意味が如実に伝わるのは後者である。

閑話休題

大好きだったテレビドラマ『ER』の最終シーズンもいよいよ来週で終了。
商標にERを使わせてもらっている身としては、なんだか寂しい。
このドラマは私が知る限り、たくさんのエピソードを早い場面転換で見せる
という演出の先駆けだったように思う。
医療現場の医療者の人間臭さも垣間見えて面白かった。
マイケル・クライトンが途中で亡くなったのは、かえすがえすも残念だ。
そして4月からは『ミディアム6』が始まる。
何かが終わると何かが始まる。

またまた閑話休題

ヒブと肺炎球菌ワクチンの接種も一時中断になった。
同時接種の翌日に亡くなった事例が複数出たからだそうだ。
ちょっと前までは2種類3種類の同時接種なんてほとんどなかったのに
あっという間に広がり、そしてあっという間に中止が決まる。
何かが終わり、何かが始まるのは人生の常だけど
この早さはどんなもんだろうか。
イワシの群れがサメに追いかけられて巧みに方向転換するイメージではあるが。
死亡の原因が予防接種ではないとしても、
そもそも予防接種のように免疫系を人為的に刺激するものは
もともとそんなに安全なわけじゃない、
と考えた方がいいいんじゃないだろうか。
まあ、過ち手改めるに憚ることなかれ、ではあるけど
改めることだけが習慣化するのも・・・ね。

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