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2011年3月 7日 (月)

レプリカントという発想

がん患者へのインタビューの質を評価する仕事の都合上
後からDVDを観るということの視聴に与える影響も考えておきたいと思い、
映画について書かれている書物をあさっているうちに
『ブレードランナー』にいきつく。
ハリソン・フォードはともかく、ショーン・ヤングが出ていると分かって
アマゾンでオリジナル劇場版、インターナショナル劇場版、
ディレクターズカット版の3種類が入っているDVDを購入。
1982年制作(ディレクターズカット版は1992年制作)と知って、
ちょっとショックを受ける。
リドリー・スコットは、最近ではテレビドラマ『グッド・ワイフ』の
制作総指揮もしているが、これも見ごたえのある作りで腕の確かさがわかる。

なかなか見ごたえのある映画だったので、
関連して加藤幹郎さんの「『ブレードランナー』論序説」も読むことにする。
大変緻密な論考で、「あそこで猫の声が聞こえない凡庸な視聴者もいる」
とか言われると、
「そりゃ画面にくぎ付けになっているときは耳がお留守になるからね。無理だよ」
と反発心も湧くが、書かれていることにはおおむね納得。
レプリカントと人間とどちらが人間らしいか、
結局、人間とレプリカントには違いがない、ということは
今(現代)になってみるとごく当たり前に感受できるが
公開当時はどのように受け取られたのだろうという興味がわく。
この映画の主役はハリソン・フォードだと受け取った人もいるらしいが
30年前だとしたら無理もないかもしれない。
デッカードがレプリカントかそうでないかという論争もあるみたいだが、
それもさほど重要じゃないだろう。
ただ、人間にしちゃデッカードは強すぎるから私もレプリカントだとは思うが。

加藤氏が書いているようにこの映画のテーマは
「人間とは何か」ということだと思うが、
私は人間がどんな特性を持っているか、ということより
レプリカントという疑似人間を発想した、というところにそれが見えて面白いと思った。
ここにはおそらく神を発想したのと同じ心理が働いているのではないだろうか。
つまり自分の無意識を外在化したのではないかと思うのだ。
だとしたら、どっちが人間らしいかという議論は無意味だともいえる。
これが日本人だと、岩とか樹とか、あるいは自動車とかなんていうのもあり得るが
外形を自分たちに完ぺきに似せて、しかしすっかり自分と同じではない(良くも悪くも)
というあたりは、いかにも西洋人らしい発想じゃないだろうか。
最後にロイがデッカードを救う場面は、死にゆくレプリカントが他者を救う
という崇高な場面で感動ものだが、考えようによっては、自分が自分の都合に合わせて
生み出したものに復讐されつつ最終的には救われるというわけで、
なんとなく虫がいいなあという感じもする。
そうじゃないと人間に絶望しなきゃならないわけで、それは避けたいだろう。

フィルム・ノワールの定番とかで
未来都市だというのに、映画は全体に暗く、ジメジメしていて猥雑な都市風景が続く。
まあそれも解釈のひとつだけど、この風景は好みじゃないなあと思っていたら
原作(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』)は全然違うというレビューが
アマゾンに載っていたので原作も読んでみることにする。
原作をここまで改変した、という点でリドリー・スコットを
再評価することになるのか、そこがちょっと楽しみではある。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic

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コメント

一神教であるキリスト教徒は神に似せて作られた人間とそれ以外を明確に区別しますから、人間が作った疑似人間が「人間」であると定義することに抵抗が大きいのでしょう。

原作も映画も「動物に感情移入できるか」ということを人間と疑似生命とを区別する拠り所としているので、日本人には「どっちも人間でいーじゃん」と感じてしまう人が多いかもしれません。

すでに日本では昭和30年代に鉄腕アトムによってロボットの階級闘争が描かれていたり、権利を主張する反乱ロボットと人間の板挟みになって苦しむアトムを当時の子供たちだった我々は見ています。

ロボットにおけるアンクル・トムの役回りをアトムが担っていると見ることも出来ますが、日本人の宗教観が神様も妖怪も動物も隣人と見なす緩さ(懐の広さ?)で構築されていることも他の国よりロボットや人工知能に対して寛容なことの原因ではないでしょうか。

投稿: nucky | 2011年3月 7日 (月) 15時19分

nuckyさん

コメントありがとうございます。

ますます原作が面白そうに思えてきました。

>神に似せて作られた人間とそれ以外を明確に区別

だからこそ結末が画期的というか
衝撃的だったんでしょうね。

投稿: pinoko | 2011年3月 7日 (月) 17時13分

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