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2011年3月 5日 (土)

おわりとはじまり

ディペックスの報告書のメドがついたので久々にギンレイへ。
『トロッコ』と『冬の小鳥』の二本立てで最終日のせいかめちゃ混みである。

『トロッコ』は芥川龍之介の原作を元にしている(らしい)。
台湾で日本軍が材木を切り出すために敷設したトロッコ鉄道が舞台で
台湾人の夫と死別した妻が2人の男の子を連れて里帰りするという設定。
芥川の原作はたぶん読んでいるはずだが、ほとんど忘れており
(こんな話だっけ)と思いながら観る。
ただひたすらトロッコに乗りたくて、台湾人の若者に乗せてもらうが
山奥まで行ってしまい、急に心細くなった弟が
泣きながら走って帰っていくのを兄が追いかけて家までたどり着く。
(トロッコ道だからね、辿って帰ればいいんだよ)と思いながら観る。
戦争中の同化政策や戦後の国際結婚などが絡んだ
一見ワールドワイドな作りだが、どうにも情緒的で深まりがなく途中居眠り。

一方の『冬の小鳥』はとても芯が強い作りになっている。
父に捨てられた孤児が、そのことになかなか向き合えないまま
孤児院(1975年のソウル近郊)で友人を得、
その友人も養子としてもらわれて行き、死んだ小鳥を埋めたように
自分も土の中に埋まって死のうとする(8歳のこどもの切実さ!)。
死ねない(自分の本心は生きたい)と分かったとき、
自分も里親を探して養子になろうと決心し旅立っていく
というところで映画は終わる。
必ず父親が迎えに来る、と信じている女の子の葛藤だけでなく
養子先で必ずしも幸福にならないかもしれない、と思いつつ
過去を振り切って孤児院の門を出ていく年上の子、
自分の未来を思い描き、それに向かって突き進んでいく子、
それを取り巻く大人などが淡々と描かれる。
韓国人の芯の強さ、と一般化してしまうのは間違いだろうが
現実を受け容れるとはどういうことかという普遍的なメッセージを
受け取ることができる優れた作りになっている。

この2本、何が共通項なんだろうと思っていたら「小鳥」だった。
片方はケガが治って飛び立っていき、片方は死んで埋められるのだが
死は再生という意味が如実に伝わるのは後者である。

閑話休題

大好きだったテレビドラマ『ER』の最終シーズンもいよいよ来週で終了。
商標にERを使わせてもらっている身としては、なんだか寂しい。
このドラマは私が知る限り、たくさんのエピソードを早い場面転換で見せる
という演出の先駆けだったように思う。
医療現場の医療者の人間臭さも垣間見えて面白かった。
マイケル・クライトンが途中で亡くなったのは、かえすがえすも残念だ。
そして4月からは『ミディアム6』が始まる。
何かが終わると何かが始まる。

またまた閑話休題

ヒブと肺炎球菌ワクチンの接種も一時中断になった。
同時接種の翌日に亡くなった事例が複数出たからだそうだ。
ちょっと前までは2種類3種類の同時接種なんてほとんどなかったのに
あっという間に広がり、そしてあっという間に中止が決まる。
何かが終わり、何かが始まるのは人生の常だけど
この早さはどんなもんだろうか。
イワシの群れがサメに追いかけられて巧みに方向転換するイメージではあるが。
死亡の原因が予防接種ではないとしても、
そもそも予防接種のように免疫系を人為的に刺激するものは
もともとそんなに安全なわけじゃない、
と考えた方がいいいんじゃないだろうか。
まあ、過ち手改めるに憚ることなかれ、ではあるけど
改めることだけが習慣化するのも・・・ね。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic

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