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2011年4月16日 (土)

そうだったのか!

「ハリウッド映画で学べる現代思想」というサブタイトルに惹かれて
『映画の構造分析』内田樹著(文庫本)を購入。
著者がどこかで「ややこしい部分は飛ばしてもいいけど、第三章の
「アメリカン・ミソジニー」だけは読んでね」と書いていた気がするが
どの章もたいそう面白かった。

映画の本質は見る人によって異なる感想を抱かせるところにある。
私たちは国語の授業などで、作者の意図は?なんていう風に考える習慣が
ついているので、映画の場合も、つい監督の言いたかったことは何だったのか、
などと考えがちだが、これは実に一神教的な考え方だ。
著者やバルトが言っているように、
映画というのは「映画についての解釈」を込みで売られている商品である
という考え方は、私のような電話相談の仕事をしている人間には
たいそう分かりやすいが、一般的にはこういう考え方は
まだまだ浸透していないと言ったほうがいいだろう。
ただ、つい最近まで「解釈の多様性」なんて、特に科学の分野でも
ほとんど顧みられることはなかったけれど、
質的研究などに光が当たり始めたところを見ると、
時代もだんだんそうなりつつあるといっていいのかもしれない。

そうした前提を踏まえた上で、何が前景化(作者が意図的に発信)していて、
何が背後に沈んでいるか(これを著者は鈍い意味と呼んでいる)を
見つけていくのが、映画の楽しさだが、もちろんそれだって
私たちに解釈の可能性を示してくれるだけで、
確定的な答えをくれるわけじゃない。

バルトはこの「鈍い意味」のうちに一種の開放性と生産性を見た、のだそうで
エンドマークへ向かって直線的に収斂してゆく中央集権的、予定調和的、
中枢的な物語の中に混ざり混み、それを挫折させようとする「反ー物語」の力、
脱ー中心的、非中枢的な力を、バルトはあえて「映画的なもの」と名づけた。
すごいね。バルトって。

今まで、観ていてよく意味が分からない映画は、ほとんどお手上げ状態で
そのままスルーしていた感じがするが、そういうときの楽しみ方を
ここで教えてもらった気がする。

何が表現されていて、何が表現されていないか
ってことを考えながら観るのも映画鑑賞上では必須だけど
ここでは西部劇が例に挙げられている。
南北戦争後の開拓時代の西部には5000人の黒人のカウボーイがいたが
西部劇に黒人のカウボーイが出てくるのは1985年頃だそうである。
そういえば1960年制作の『アラモ』にも、黒人の召使はいたが
黒人のカウボーイはいなかった。
2004年のリメイクはどうだろうと興味がわく。
表現されていないことから、その時代に伏流している社会的感受性を
くみ取るというのは、逆システム学的映画の楽しみ方といったらいいだろうか。
ただ、この辺になってくると、だれにでも可能ってわけでもないかもしれない。
他人の無意識は、ほとんどダダ漏れで見えるものだが、
自分の無意識を意識化するのは非常に難しいからだ。

とまあ、こんな感じで実に刺激的な言論が展開されている。
そして待望の第三章「アメリカン・ミソジニー」は
「アメリカの男はアメリカの女が嫌いである」という一文から始まる。
う~ん、やっぱりそうだったか、と思うことしきりである。

アメリカ映画(テレビもそうかもしれないが)に出てくる女の人は、
どうしてみんな非常時になると泣き喚き、オロオロするしか能がない
ようなタイプばっかりなんだろうと、ずっと不思議だった。
一番最初にそう感じたのは『わらの犬』だったかもしれない。
ダスティン・ホフマン演じる夫の妻が、ずばりこのタイプだったのである。
それ以後、同じタイプを見るにつけ、アメリカの女の人のほとんどは、
いざとなるとこんな風にしか振る舞えないのか、ととても不思議だった。
で、こういう(一見)弱い性のために、レディファーストという習慣が定着したのか
とつじつまを合わせていたのだけど、レディーファーストといって女性を大事にし、
しかし一方で、アホな女性ばかりを並べるというところに、ずっと違和感があった。
それがミソジニー(女嫌い)という言葉で一気に視界が開けたのである。
ただ、なぜそれほどアメリカの男性が女嫌いなのかは、よく分からない。
その起源が、男と女の比率からもたらされたというところは同意できるが
「選ばれなかった男たちのトラウマ」を癒すのは「選ばれた男の不幸」
ではなく「選んだ女の不幸」である、というのはアメリカ特有というより
そもそも男という生き物はもともとホモっ気があって、
何かにつけて群れたがる(男たちの共同体の原初の秩序を回復させたがる)
ところがあるからなんじゃないだろうか。
だとすると、なぜ男にはホモっ気があるのか、私にはそちらの方が気になるが
アメリカがカップル社会なのは、案外このホモっ気を抑圧しているからかもしれない
と考えると、話は俄然面白くなってくるのである。

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