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2011年7月20日 (水)

ハンサム・ウーマンたち

震災後頭の隅から離れないのは、震災で親を亡くしたこどもたちに
どうやって手を差し伸べればいいのか、ということである。
長丁場になると思うと、途中で止めることにならないよう
自分にとって無理がなく、かつ相手にとって有効な支え方を
なんとか見つけ出したい。

なでしこジャパンがドイツで優勝したときも、そんな風に感じた。
サッカーをやるために、アルバイトで生計を立てている彼女たちを、
どうやったら支えていけるだろうか、と考えてしまうほど
今回の一連の試合には心を揺さぶられるものがあった。

ニュージーランドとの試合は、やけにピッチが広く感じられて
なんだかサッカーじゃないものを見せられている感じがしたものだが
メキシコとの試合あたりから、俄然面白くなってきた。
でもイングランドに負けて、2位で決勝トーナメントに勝ち上がったときには
「とりあえずここまでこれただけでも、たいしたもんだ」と正直思った。
だからドイツに勝った時には、ほんとに奇跡が起きたような気がしたものだ。
振り返ってみると、このドイツとの試合が一番怖かったんじゃないだろうか。
そしてスェーデンとの試合では、技だけでなく、したたかさも充分あると分かった。
でも、どの試合でも総じて落ち着きすぎるほど落ち着いていた、という印象が強い。
そりゃ持ちすぎだろ、と思うくらい、いつも同じようにボールを保持して、
決してアタフタしない、というところが男子のサッカーと違う感じがするのは
恵まれた環境にいない、ということの結果だったのかもしれないとも思えてくる。

もうひとつ女子サッカーが男子のそれと違うところは、
頭でやっていない、と感じさせるところである。
もちろんヘディングは頭でやるのだけど、彼女たちにとって、
頭はあくまでボールを飛ばすための道具として使われている感じがする。
いや、ほんとは周到に練られた戦術に基づいておこなわれており
それを感じさせないほど熟達の域に達しているのかもしれないが
観ているこちらには、まるで阿吽の呼吸でボールが回っていると感じさせるほど
臨機応変にいろいろなプレーがおこなわれていたということである。
男子のサッカーは時として、「そこからサイドバックが駆け上がるんだよね」とか
「今、誰かが中へ走り込むのを待っているんだよね」といったことが
見えてしまう部分が結構あって、なんだか教科書片手に試合の仕方を
勉強している感じもあり、実はそこが興を削ぐ一因にもなっている。
ゴールへ向かう以前の、試合の組み立てに
エネルギーを費やしている感じが強いのだ。

それに比べると、なでしこがゴールに向かう気持ちは、もっとひたむきである。
ゴールを狙えれば、そのプロセスは何でもあり、であり、
そのために各自がひとりひとり感じたように動いていて、だから印象としては
常にゴールへ向かって選手たちが走り回っているように見える。
そして、実はそれが彼女たちのサッカーを面白くしているのではないかと思うのだ。

目標に向かって方法を定型化し、
できるだけ効率よく目標に達成しようとするオトコノコと
目標が決まったら、与えられた方法は環境の変化に応じて
自在に自分たちで変えていくオンナノコたち。
なでしこが見せてくれたのは、自分たちの特性を
充分に発揮して勝利を得ることであり、
それは私たちが密かに望んでいることでもあった。
だからこそ、こんなにも心を揺さぶられたのだろう。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic

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