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2011年8月11日 (木)

感情の起源

感情にまつわるできごとで、最近印象に残ったことが2つある。

ひとつはある組織における私のレポートに対するメンバーのひとりの反応。
納得できない、というより十分理解したい(たぶん)、という意図を
よく言えば雄弁、悪く言うと一方的な雰囲気でまくしたてられたおかげで
こちらはハトが豆鉄砲でも食らったような感じになってしまい、
どこが食い違っているのか分からないままミーティングが終了してしまった。
私にしてみたら、なんでこんな基本的なことがワカンナイのかわかんないわけで。
さいわい、そのときの議事録を元に再度レポートを依頼され
おかげでそれまで相手を慮ってオブラートに包んで書いていた問題点を、
極めて鮮明にシビアに指摘する羽目になってしまった。
それは、その組織の根幹に関わることだから、まともに受け止めたら
なかなか大変なことだろうと思うが、まあ、この先も続くことだけにしかたがない。

もうひとつは、海江田経済産業大臣が泣いたという、あれである。
大の男が(女でも同じだけど)公共の場で、自分を憐れんで泣く
というのがよく分からない。
こっちは放射性物質がいつ、どこに降ってくるのかも
はっきりしない状況に置かれているというのに
大臣が泣いてる場合じゃないだろ、と言いたいが、
人目も憚らずに泣くほど大変なことが、きっと彼に起きているのだろう。

これについて内田樹さんが興味深いことを書いている。
http://blog.tatsuru.com/2011/08/10_0940.php

感情の抑制が利かなくなっていることと、
感情を抑制する必要がないと考えることは同根であり
幼児化と関係があるというのである。
そして、こう書いている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だから、他人の内面をダイレクトに操作しようと願う人間
-つまり、「政治的な人間」-は、演技的な怒りや
演技的な悲しみや演劇的な苦悩に熟達するようになる。
政治家が「過剰に感情的になっている」ように見えるのは、
当たり前なのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

感情表現によって相手を自分の思うとおりに動かそうとする
というのは分かる気がする。
私たちは、ふつう対面では過度に感情的にならないように気をつける。
相手を感情的にさせて、お互いの間にマイナスの事態が生じると困るからである。
昨今は、そういうところに配慮がない人が多くなっている感じがして、
それは相手に対して無頓着(鈍感)な人が増えてきたからだと思っていたが、
そうではなくて、相手を思うとおりに動かしたい人が増えてきたということなのか。

なるほどそう考えると、
感情を捉えるということが相手の意図を捉えることに直結している
というのが、よく理解できる。

しかし、内田さんの言うように、感情が内部に根拠を持つものではなく
外形的(模倣によって作られていく)だとすれば、
幼児化の起源は、前の世代、その前の世代と遡っていかなくてはならず
前の世代はどう成熟していたと考えればよいのだろう。
いったいどこで成熟という抑制装置がはずれてしまったのか、
それとも、幼児的とか成熟というものの現れる側面が変わってきたのか。
感情の起源に興味がわいてくる。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic

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