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2011年12月29日 (木)

暮れの行事

昨年に続いて、今年も義兄(夫の姉の夫)の家で餅つきを敢行する。

義兄は数年前に佐原の農家を買って移り住み、
定年後もIT企業勤務と日曜農家の兼業をこなしていたが
手術を機に退職し、農業一本になった。
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久しぶりに訪ねてみたら温室が建っている。
冬にこの中で過ごすのは、至極快適そうである。


農業といっても、身内が恩恵にあずかるだけだが
ジャガイモ、玉ねぎ、かぼちゃ、にんにく、ニンジンなど
収穫物は多彩である。
ビワや柿、キウイなんかもおこぼれにあずかれる。
来年あたりはベリー類も期待できるかもしれない。
義兄は昨年餅つきを企画しながら、
仕事で参加できなかったので今年は人一倍力が入っている。

どういうわけか昨年はもち米の蒸けが悪かった(芯が残った)ので
今年は、まずその改善に手をつけることから始まった。
義兄が振り水の回数や量を変える実験をして
これならOKという方法を確定。
今まで自分流にやってきた義姉は、そんなことで改善するだろうか
とやや不満気である。

義兄には
「昔の人がやってダメだと分かったことだからさあ、それは除外だよ」
と言われたが、蒸すのではなく、炊く方法を試したいと主張、
やってみた結果、この方法では米が柔らかくなりすぎることが分かった。
焚く方法だと水分の調節が難しいのである。
蒸す方法は、蒸け具合を時間で調節することができる。
餅を搗くには、米を蒸すのがよいということに落ち着いたのは
これが理由だと分かる。
昔の人は、ちゃんと不確実性に対応するための方法を
編み出していたのである。
何でも追試験は大事である。

当日は夫の兄弟姉妹が全員集合し、賑やかなことこの上ない。
前日から水浸しておいたもち米と蒸かし鍋も各地から集合し
義姉の台所のガスコンロを2台使って、1度に約4kgを蒸かす。
こういう伝統行事は、一番上の義姉が主導権を握っているが
昔やった行事とあって、みんな楽しそうである。

用意しておいた臼に蒸した米を移し、搗くのは男の役目である。
蒸す時間に比べれば、搗くのはあっという間。
こうして4時前には約15kgを無事搗き終わり、10数枚ののしもちができる。
結局振り水をしてもしなくても米は無事に蒸しあがることが分かり、
結構歯ごたえがある蒸け具合が搗くのに最適であることも分かった。
昨年のあれは何だったのだろうという疑問だけが残る。

コメを蒸している合間に男たちは義兄に促されて
キウイの棚の支柱を組み立てる。

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「このタイミングを合わせるのが大変だったのよ」と義兄。
夫は「事前に言ってくれれば道具を持ってきたのにー」
成果をいただく都合上、協力は必須である。

一番上の義兄は糖尿病で悪化した足の傷がまだ完全に治らず
歩行もままならないが、強力に参加表明し
彼の息子が病院から送迎を担当する。
お正月に夫の実家へ行くと、いつもなんとなく身内じゃないという
疎外感があったものだが、今や舅も姑も他界し、
集まっているのは義姉の家ということもあって、和気藹々である。
一番上の義姉は両親に継いで、最近配偶者も亡くしているが
娘たちと家を建て直し、近所のグループホームに介護士として
勤め始めて、生き生きしている。
1月1日の朝9時に「日本で一番早いニューイヤー・コンサート」
を聞きに行くのだそうである。
70歳をとうに過ぎているが、片道50kmを今回も車で往復した。
親と夫という枷が外れて、今が一番いい時期なんだろう。

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2011年12月23日 (金)

宴のあと

今年のクリスマスは家族全員の都合が合うのが23日昼しかなく
結局全員で家でランチということに。

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ほんとは金)に宅配で届く材料を使って
(といっても鴨のローストとか豚タンのスモークとか
切ればいいだけのものだけど)メニューを構成
するはずだったのだけど、何を頼んだか忘れてしまったのと
宅配の時間がちょうど昼にかかって、
料理が間に合いそうもないので、
急遽以前に買っておいたローストビーフと
夫が食べたいと言い出して買い出しに行った蟹に、
シーフードスパゲティというごくふつうのランチになってしまった。

しかし番狂わせというのはあるもので、
今日食べるために注文したわけじゃなかった
殻つきのマカデミアナッツで、宴は思わぬ盛り上がりを見せた。

殻つきのアーモンドというのもなかなか美味だけど
殻つきのマカデミアナッツというのはハワイでも食べたことはない。
外見は、まさにハワイ土産のマカデミアチョコレートである。

どうやって殻を割るか、みんなで知恵をしぼる。
以前はくるみ割りがあったのだが、クルミの殻を割る機会はそうないまま、
そのうちに紛失してしまったので、まずペンチを探すが
こういうときに限って見つからない。

料理用のハサミには、何かを割るのに向いていそうな部分があるが歯が立たず。
ドライバーでつつく人もいるが、これも全くダメ。
修理好きの夫はウォータープライヤーを持ち出してきたが、
これだと粉々になりすぎる。
殻が大きく割れて、大きな実が取り出せないと味わえない。

「こんなに固いのに、ちゃんと芽が出てくるんだから不思議だよね」とは
理屈が先行しがちな息子。
見ると、ちゃんと小さな穴が開いている。
芽はたぶんここから出てくるのだろう。
トンビの才能がある娘は、もっぱら成果が上がるのを待つのみである。

サルはこういうときどうするだろうか、と考えてひらめいたのは金槌。
ベランダに転がっていた石を台にして、その上にマカデミアナッツを置き
金槌でたたくと、これがバッチリだった。
上手に力加減をすると、指で割れるくらいのひび割れで実が取れる。
苦労して割った中身の味は格別である。
結局大盛り上がりの中、この方法で全部食べつくしてしまった。

写真は
「2011年のクリスマスは殻つきマカデミアナッツで盛り上がりました」
という記録です。

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2011年12月22日 (木)

ネットワークとは言うけれど

薄型液晶テレビはずいぶん前に購入したものの、
我が家のDVD再生機には録画機能がついていなかった。
多彩な録画機能のある機器が安くなるまで待っていたからである。
でも、地上波デジタルに加えてBS、CSとテレビ電波の種類が
増えてきて、やはり録画機能が必要よ、ということになり
ようやく価格ドットコムで評価がよく、かつ安いP社の機器を購入。
ふだんP社の家電は敬遠している夫にはめずらしいことである。
これで好きな番組を見逃さずに録画できると喜んだのだが
そう簡単にはいかなかった。

配線はいつものように夫がおこなったのだけど
テレビから録画予約をしようとしてもできない。
で録画機から予約をしようとしたが、これもできない。
配線の仕方が悪いんじゃ?とここでまずひと悶着である。
たまたま録画をしようとしたのがWOWOWだったので、
WOWOWのHPの中をいろいろ調べまわってみて
ようやく、録画機のB-CASカードも契約しておかないと
録画ができないと分かった。
へえ、録画機にもB-CASカードがついているんだと
ぼんやりと思っていたのだが、こういうことだったのである。
でも追加契約がいくら1000円弱/月とはいえ、
録画のためだけに払うのはいやである。
録画の度にテレビのB-CASカードを差し替えるという人も
いるらしいが、それは面倒でしょ。

で、結局テレビのB-CASカードを録画機に差し替え、
地上波はテレビで、BSとCSは録画機を通して見ることにした。
録画機で見るときはテレビ画面を切り替えなければならない
という手間が面倒だが、しかたがない。
で、無事に録画できることも確認できた。

でもテレビからは録画予約ができないのである。
BS、CSに関しては、録画機からしか見られないから
これはまあ仕方がないことにしよう。
でも地上波についてもテレビから録画できないのは不便じゃないか?
我が家のテレビはS社製で、
息子に言わせると、これは両社のアルゴリズムが違うからだそうだ。
「なんでテレビはS社なのに、録画機はP社にしたんだ」と
息子は不満そうである。
今の時代は、そこまで考えなければダメなんだそうである。
ちなみに彼のパソコンは、BS、CSどちらのチャンネル設定も
できるようになっているが、今のところ必要性を感じていないらしい。

うむ。若いやつらはほんとにテレビを見ないのね。
その割には、映画やテレビの番組について
よく知っているみたいだが、いったいどこから情報収集しているんだろう。

インターネット接続ができてパソコン機能もついた
携帯電話があればいいのにと思っていたら、スマートフォンが出てきた。
今やテレビでもインターネットに接続できる。
それはそれで何かと便利だろう。
でも、メーカーが同じじゃないと、
テレビと録画機がつながらないなんて、
お母さんもお父さんも仕事を持って働いているのに
家へ帰ると言葉が違うので話がかみ合わない家族みたいだ。
そりゃ、家族同士で話がかみ合わないというのは
よくあることだけど、これは同じ言語を使っているから
かみ合わないと分かるのである。
国際結婚をしている者同士だって、何とか意思疎通を図ろうと
歩み寄っているご時世だと言うのに・・。

家電メーカーが時代の波に乗り遅れてどうするの。

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2011年12月16日 (金)

医療にとっての聞き耳ずきん

毎週送られてくる新潟のクライアントからのFAXに
1月末からポリオの不活化ワクチン接種を始めると書いてあった。
個人輸入で入手するようである。

数ヶ月前に何回か「ポリオの不活化ワクチンは打ってもらえないか」
という相談が入っていたから、こういう患者の声が
引き金になっていることは間違いないだろう。
電話相談をやっていて、もっとも充実感を感じるのは
こんな風に、かけ手の切実な声に、ちゃんと応える側がいると分かるときだ。

時間外電話相談をどう活用するかは、
クライアントである開業医によってさまざまである。
時間外電話相談はどこか時間外電話診療と勘違いされている節があり
だから、医者でもないのに時間外の電話を受けるということに
多くの医師はいささかの不安を感じつつも、
でも何かノウハウがあるみたいだから
なんとかうまくやってくれるのかもしれないと
恐る恐る始めてみる、といった感じである。

そうやって導入した後はしばらく様子見が続くが、
だんだんどういうものかが理解できてくると、
やっとどう使いこなすかを考えられるようになり
こちらにもさまざまなことを要求をしてくるようになる。
しかし中には地域医療貢献加算が取れれば、
あとはコストダウンが優先というクライアントもおり、
連休などはさっさと留守電にしてしまうということも起きる。
相談自体に価値を認めていない、ということかもしれない。
これはこちらも負担感が少なく、相手の懐具合にもメリットがある、
という意味では一石二鳥だが、仕事のモチベーションは下がる。
他方、全面的に信頼して大型連休をとるというクライアントもいる。
面白いことに、そういうクライアントの患者教育ほど行き届いており、
長期にわたる休診でも、ややこしい苦労はほとんどない

ただ、一般的には時間外かどうかに関わらず、医療者は
電話相談の目的を即時的な問題解決と考える傾向があり、
かけ手の声を聴くのは解決のためのスキルであって
聴くことそのものが問題解決であるという風には理解していないことが多い。
聴くということは、聴きとめた問題を受ける側が引き受ける
ということでもあるのだが、どちらかというと聴きっぱなしが多い感じがする。
日々報告している相談内容が、どのくらい日々の診療や医院の業務に
活かされているのか、こちらとしてはホントはそこが
一番知りたいところだが、そこはなかなかつかめない。
しかたがないので同じような相談が入るか入らないか
といったところで、相談の効果を判定することになる。

始めた当初は、時間外の電話相談がサービスなのか
そうでないのかといった議論もあった。
医師の多くはサービスという言葉を
患者の言いなりになる、患者に奉仕する、というニュアンスで
理解しており、プライドを傷つけられたように感じる人もいたようである。
「医療はそんなもんじゃない」という反発も耳にすることがあった。
部外者からすれば、患者の言いなりになるなんてことは
ありえない話だと思うが、当事者としてはなかなかそうはいかないらしい。

サービスという言葉で私に一番しっくりくるイメージは、ワインソムリエである。
料理に一番合うおいしいワインを勧めてくれる人。(私は下戸だけど)
基本はお客の好みを尊重してくれるが、
よりおいしいワインがあれば、客の懐具合も勘案した上で
そちらをを勧めてくれる人。
要するに、お客にとって一番良いことを考えてくれる人だ。
ワインソムリエは、客の言いなりになることが
必ずしもいいサービスとは言えない、
ということをもっとも心得ている人でもある(たぶん)。
だから時間外電話相談をサービスと表現することに抵抗はない。
しかし医療の分野でこれをを理解してもらうのは、なかなか難儀なのである。

ワインソムリエにとっては、
お客はどこまでも他者(コントロールが効かない相手)だが、
医療者は、なかなか患者を他者とは捉えられない。
コントロールするか、されるか、どっちかになってしまうようである。
特にたくさんの患者をこなして収入を得ようとしている場合には、
患者のご機嫌を損ねないことが目的化してしまう。
「サービス」という言葉に対して抵抗感があるのは
そういうことも関係しているのだろう。

不活化ワクチン接種の希望に応じるということは
患者の言いなりになっているように見えるが、
実は患者を他者と捉えたときに見えてくる問題に対処することである。
それまでのワクチン行政や、患者の置かれた立場を
ほんのちょっとでも考えたことがある医療者なら
誰だってチャンスがあれば、この要望には応じたいと思うはずである。
厚労省に働きかける、とか医師会とは反対の主張を公にする
などというのは、結構な勇気が要るだろうが
個人でワクチンを輸入し、患者と合意の上で新しいことを始めるというのは、
ほんのちょっとの勇気と、いささかの手間を惜しまなければ
そんなに難しくはないんじゃないだろうか。
なによりも心強いのは、後押ししてくれるのが患者だということだろう。

医療の使命は患者の声に応えることだ。
そのためには、聞き耳頭巾をかぶって患者の声を聴くことだろう。
声を聴きとる感受性を最大に磨いておくことである。

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2011年12月11日 (日)

生きているうちに

新聞に『野見山暁治』展が12月3日までと書いてあったので
慌ててブリジストン美術館へ観に行く。
たしか12月の後半までだったはずなのに、と
行ってから確かめたら、別の画廊での小品展のことだと分かった。
最近は、こういう勘違いが多い。
早合点をするタイプということもあるが
メガネをかけないと字がよく見えないせいもある。
目が悪くなると、細かい字をちゃんと読むのは面倒になってしまうのだ。

寒い日だったが美術館には小学生の集団が来ており、ちょっと驚く。
この学校の美術の先生は、なかなかすごい。
小学生くらいの感受性豊かな時期に
野見山さんは最適の教材だろう。

野見山さんは1920年生まれと年譜にあるから
今年90歳を超えているはずである。
写実からキュビズムを経て、自分の好きなように描く時代に
入っていく様子がよく分かるが、気に入った言葉を書き留めておいて
描いた絵のイメージに合わせてタイトルに使っていくそうである。
どうりで、ときどき「うむ、この絵のどこがそういう内容?」
というのに出会うわけだ。

画家の描いた絵を見ていると、つくづく
絵も日記、ではなく月記、でもなく年記なのだなと思わされる。
時間経過が一覧できるところは空間芸術ならではである。

毎年カレンダーを送っている伯母は今年97歳だそうである。
久しぶりに電話で話したが、結構しっかりしていてびっくりした。
大学で音楽を教えていたこともあり、さすがに通して曲を弾くことは
難しいみたいだが、楽譜を出してきて曲の新しい解釈を
考えたりするそうである。
「年をとったから見えてくるというものもあるのよね」と言っていた。
でも身体の方はなかなか大変で骨粗鬆症もあり
歩行がままならないらしい。
外出はサポートがないと難しいが、家の中でも座っているところから
立ち上がるのに難儀するというようなことを言っていた。
高齢者向けのパワースーツみたいなのがあると
いいんじゃないだろうか、と思ったりする

バレエの先生は84歳だし、元気な先達がいると思うと
こっちもうかうかしていられない。

一方で先日届いた欠礼のハガキには友人のご主人が
64歳で亡くなったと言う知らせが書いてあった。
恰幅のよい人で、築地の店では何回か
おいしいとんかつを食べさせてもらった。
若すぎる感じもしないでもないが、
これは個人差なのだろうか、世代差だろうか。
久しぶりに友人と旧交を温めるのが楽しみではある。

ふだん年賀状でしかやりとりしていなくても、
どこかで会う機会がやってくるものである。
でも死んじゃったら会えないわけだから
生きているうちに会っておかなきゃいけない。
と、そんな気がしている。

97歳の伯母にも会っておかなきゃ。
自分だっていつ死ぬか分からないんだし。

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