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2012年1月27日 (金)

無料体験

友人が、エ○○○トロンの無料体験招待券というのを
くれたので、行ってみることにする。
「全身が電界に包まれて、ポカポカと暖かく体調がよくなる」らしい。
前日のレッスンで多少の筋肉痛はあるが、
特に体調が悪いわけではない。
でも面白そうなので純粋に好奇心から行ってみることにする。

場所は以前リサイクルウエアを売っていた店があったところ。
それが無料体験ショップに変わっている。
2列に椅子が並んでおり、お年寄りがちらほら。
前の方にはホワイトボードがあって、若い男性が何か講義している。
催眠販売か何かみたいな、ちょっと怪しい感じがして
ドアの所で躊躇していたら、饒舌に招き入れられた。

椅子の上には薄い湯たんぽのようなものが
置いてあるみたいで、座ると柔らかく暖かい。
若い男性営業マンは、親し気によくしゃべり
こちらの緊張をほぐそうとしている。
電位差を利用して細胞を活性化するとかで
小さな器具を使って電気が通っていることを体験させたりする。
血液ドロドロをサラサラにしてくれるという、ウソっぽい話も
電気と絡ませるといかにも信憑性がありそうに聞こえるのだろう。
厚労省の認可を取った、純然たる医療用治療器具だそうである。

すぐに効く人から効果が出るまで時間がかかる人まで
いろいろあるらしいところは、よくある誇大広告販売と似ていなくもない。
ホワイトボードを裏返すと、体験者が述べたと言う
効果効能がボード一杯に羅列されている。
曰く
便秘、飛蚊症、肩こり、花粉症・・・エトセトラ、エトセトラ

何にでも効きそうな雰囲気である。

お尻の下が暖かいのは確かに気持ちがよく
なんとなく筋肉のコリもほぐれてきたような気もしないでもない。
科学的説明はともかく、お年寄りたちが
具合がよくなった、という気になるのも無理もないかもしれない。
私の後から入ってくる人もいて、営業マンを中核に
部屋はサロン化し、体験者はお友達化している。
病院がお年寄りのサロン化するのとほぼ同じ構造だろう。
営業マンは饒舌なだけでなく、顔もいかにも
怪しい感じなのだが、なれなれしいトークは
お年寄りには案外心地よいのかもしれない。

別に器具を売りたいわけではなく
無料で体験してもらって、効果を知ってもらいたい
ということのようだが、そのあとがどうもよく見えない。
帰って調べてみたら、ド○○ートロンというのもあり
ほとんどこれと同じだった。

年を取ると誰でもさまざまな身体と心の変化に見舞われる。
それにどう対処するかは、いくつかのタイプに分かれる気がする。
変化があっても感じない鈍感タイプ
これは周りは苦労するが、本人は結構タフである。
変化を元に戻そうと、さまざまな対策を取ろうとするタイプ
こういう人が病院通いをするのかもしれない。
変化を受け入れて適応しようとするタイプ 
適応の中には誤魔化しの要素もあるが、これはこれでたくましい。 

トロンの無料体験などに来る人たちは、
3番目の適応型といえるだろう。
変化が元に戻らなくても、同年代とのお喋りとか
若い男性とか、別の次元で成果が得られれば
よしとしているようにも見える。

高齢化社会のビジネスチャンスは
案外こういうところに潜んでいるのかもしれない。

帰宅しようとバスに乗ったら若い女性がバスから降りられないほど
動けなくなっているのに遭遇した。
立っているのもおぼつかないほどふらついて、
財布からお金を出すことさえできずにいる。
運転手が心配そうに「これからどこかへ行く予定なの?」と聞いている。
救急車を呼んだ方がよさそうだし、内心、
今日の外出は取りやめた方がいいんじゃ?という感じだが
ようやくなんとか時間をかけてバスを降り、
ふらつく足取りで駅へ向かって行った。
さしずめ、こういうのは変化を感じない鈍感タイプだろう。
傍から見ると、とても遠出はできそうにないが
本人は出かけると決めた以上、初志貫徹するつもりのようである。
鈍感タイプはつまり、若いということなのかもしれない。

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2012年1月16日 (月)

不確実性の座標

年が明けてもう半月経ってしまった。

年末には何本か映画を見た。
『フィフティ・フィフティ』はがんで生存率50%と告知された青年の物語。
ハッピーエンドでホッとする。
『永遠の僕たち』は両親の死を受け入れられなかった青年が
死んでしまうガールフレンドを見送れるようになる話。
加瀬亮の自然な英語がとてもよかった。
日本人の俳優がハリウッド映画で英語を喋ると、
妙に演技っぽくなるのが気に入らないが、
加瀬クンは、洋画でも邦画でも同じ味のところがいい。
こういうのをコスモポリタンというのではないだろうか。

今年最初の買い物は、お正月早々購入した鉄瓶だった。

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今まで使っていた古道具屋で買った骨董品まがいは
錆を取ろうとした夫が穴をあけてしまったので
買い替えることにしたのである。
私はステンレスのケトルでもいいかも、と思ったのだが
夫はどうしても鉄瓶がいいと言い張る。
さんざんオークションを検索した挙句、結局新品の
頭が黒い羊みたいなのをデパートで買うことにしたのである。
鉄瓶は骨董品として結構な人気があるらしくて、
オークションは面白かったが、最初はリーズナブルなのに
終了間際にどんどん値がつり上がるので涙を呑んだ。

鉄瓶は買い替えられるが、身体はひたすらメンテナンスだ。
新年初のマッサージに行ったら
「先週来るのかと思ってました」と言われてしまった。
バレエのレッスンは先週から始まっていたのだが
年末を挟んで2週間も間が空くと、久しぶりのレッスンは
結構疲れて、家で寝ている方を選んだりしてしまったのである。
身体にも骨董的価値というのが出るということは、ないのだろうか。

新年早々の#8000の最終報告会では
小児科医のF先生と連名で演題を出し
発表はF先生にお願いすることにした。内容は、
「これからの#8000の電話相談とはどのようなものであるべきか」
というもので、これまでの3年間、私たちがめげずに
口を酸っぱくして主張してきたことが元になっている。

小児救急医療で、現場を疲弊させないためには、
電話診療まがいのものでトリアージをするのではなく、
ちゃんとした電話相談によって家庭の看護力を上げていくことが大事、
ということを、そもそも電話相談とはどのようなものか、
というところから説き起こした。
これは論文にも書いたし、研究班の中でも主張してきたことだが、
相談をしてくる人は基本的に受診をしようとは考えていない。
「受診したほうがいいかどうか教えて」という一般人の社交辞令を、
しばしば医療者は「受診すべきかどうか判断できない」
という風に捉えるが、これは虫が良すぎる解釈というものである。
そういう対象に向かって、電話相談で「受診の要不要」を
判別したので、受診者を減らすことに貢献できた
と言い募るのは喜劇に近い。
このことは、今回#8000の費用対効果について報告をした
M先生にも拙稿を送り、効果の算出については
注意が必要であると注意を促しておいた。
だからというわけでもないだろうが、今年の報告は、
昨年に比べると随分目配りの利いたものになっていたように思う。
さすがにお医者様というのは優秀である。

発表をお願いしたF先生は電話相談の経験がないこともあり
電話相談のノウハウの部分になると、
ときどき電話診療の感覚が混じってしまうが
その部分は私の方で修正をかけることで、
ずいぶん分かりやすい内容になっていた(と思う)。
「こういう風に比較してもらえると分かりやすい」
という感想をあちこちから聞くことができた。
一般人との対話で医療者が陥りやすい誤解や
医療制度の中における電話相談の位置づけなどは、
さすがに当事者であるF先生のまとめはよくできていた。

F先生とは今年の夏の外来小児科学会年次集会で、
#8000についてのワークショップをおこなうことになり
小児保健学会と合わせて、この成果をなんとか
出版につなげられればと思う。

夏には『小児診療多職種研究会』での講演もある。
電話相談は難しそうということなのか、電話対応についてである。
そのためのデータ分析ができそうなデータを集め始める。
質的データの分析は面倒くさいので、なかなか取り掛かる気に
なれないが、手をつけ始めると面白くなってくる。
私の仕事の場合、クライアント(業務委託者)によって
相談者の主訴が異なる傾向があるのは、
電話のシステムに関連していると思うが、
相談者が「受診が必要」と判断しても
「(相談できれば)受診は不要」と判断しても、
最終的な結論には大きな違いがない。
厳密にはかけ手を尊重するので、若干の違いが出るが
電話のかけ手が見ているこどもの状態には
大きな差はないことは結論を見ると分かる。
違うのは状態をどう判断するかという判断の違いだけなのである。
この判断の違いが何によるのか、というのが実は
私にとってもっとも興味深い部分である。
知識の差や情報へのアクセスなども考えられるが
主には「習慣」だろうというのが私の仮説である。
でもこれは医療の不確実性そのものによると考えるべきかもしれない。
実際喘息ひとつとっても、小児科医のMLでは治療法を巡って
侃侃諤諤の議論が続いている。
医療者にしてからがこれなんだから、
被医療者の判断がまちまちなのは当たり前だし、
これがヒトが関わる仕事の特徴といえるのかもしれない。
日々電話を取っていると、こういうことが体感できるのは
電話自体が不確実性の塊みたいなものだからだ。

小児救急医療に限らず、医療を考えるときには、
そこを押さえてかからないと、対策でも何でも
誤まってしまうのではないかという気がする。
そういえば昨日のディペックスの会議でも
がんの告知がひとしきり話題になった。
不確実性を確実性に読み替える癖は
案外医療者自身に強いのでは、という気もする。

私自身は、小児医療に欠けているのは
こどもはどのくらい死なないか(丈夫か)という
アナウンスなんじゃないかと考えている。
つまりマイナスの方向に振れている不確実性の座標を
もう少しプラスの方向に振ってあげればいいのではと思うのだ。
どっちに振れても不確実性自体は変わらないが
不確実性の内容をどうとらえるかで
ずいぶん事態は変わってくるのではないか。
医療は不確実性を確実性に変えることができる、
という誤解だけは解いておいた方がいいように思うのだ。

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2012年1月 1日 (日)

以心伝心

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今年の玄関飾りは安房のお飾り。
房総の村で年末に教えてもらいながら作った。
海辺の地方らしく、海老を型どっているようである。

大晦日の夜はアマゾンで3枚3000円で買ったDVDの1枚
『存在の耐えられない軽さ』を見ようとしたのだけど途中で挫折。
気分と内容が合わないのかも、と機会を改めることにする。

で、偶然チャンネルを合わせたBS朝日
「宮崎哲弥の大論争5時間スペシャル」が結構面白く
バイトから帰ってきた息子と最後まで見入ってしまった。
「朝まで生テレビ」は煽られている感じが
どうも好きになれないが、こちらは非常に冷静に
問題を論じていて好感が持てた。
民主党には大塚さんとか原口さんとか
頭脳明晰な人が多そうなのに、
なんでごたごたとまとまらないのか不思議だ。
トーク番組のよさは、断片的な情報をどうつなげばよいかが
見えてくるところにあるのだと思うが、そのためには
コーディネーターの力量もモノを言うということかもしれない。

まだ年が明けないのに宛先不明で戻ってくる年賀状がちらほら。
自分じゃきちんと管理しているつもりだったが、
住所録が訂正できていないみたいだ。
元旦まで待って返事を書けばよさそうなものだが、
それではちゃんと元旦に届くように出したことが伝わらないので
メールで住所を訊くことにする。
手元にあるのは職場のアドレスだけど、
当然自宅に転送されているはずである。
そうしたら即刻返信が。
「掃除が済んで机の前に座ったらメールが届いた。
大学が年末の停電になる寸前に届いたようだ」
とのことで、滑り込みで住所を入手する。
大学も休み中は停電なのか。
「いやあ、絆って運とタイミングですね(笑)」と書いて投函する。

去年は原発事故などもあって、SNSでもさまざまな議論や
情報交換ができ、人とのつながりを強く感じた年だった。
ネットとはいえ、双方向のやりとりができたのは
自分にとって随分勇気づけられることだった。
マスメディアの記事は、所詮マスメディアは何を発信したいか
ということしか分からないが、ネットでのやりとりは
顔見知りではなくても、個人個人が何をどう考えているか、
ということが分かるという意味で井戸端会議に似ている。
人間にとっては案外「みんな、どう考えているんだろう」
ということが大事なのかもしれず、
それは情報が得られるだけでなく、
つながっているという実感を求めているからなのかもしれない。
顔見知りとの濃密なつながりは、
時に鬱陶しかったり傷ついたりもするが、
顔も知らない人との適度な距離があるつながりは快適である。
現代人は昔の人よりはるかに傷つきやすいのかもしれず
こうしたさまざまな距離のつながりが精神的な健康
を保つうえで大事なのかもしれない。

学生時代の同窓会のようなノスタルジックな集まりは、
集団で時間を遡っているようで、どうも性に合わないが
昔の仲間でも、仲のいい誰か会ってゆっくりお喋りをするとか
新しく知り合った気の合う仲間とワイワイ騒ぐというのは
何か先に進んでいく時間を感じることができるような気がする。
今年は、そんな風に埋もれた遺跡を発掘するように
気の合う相手を発掘しては旧交を温める年にしてみようか。
何か自分はそうしたものを求めているような気もする。
誰かが言っていたようにそれが「疑似家族を作る」ということかもしれない。

「バルサ最高!メッシ絶好調!」と
書き送った大阪の友人から届いた年賀状には
「レアルがんばれ」と書いてあった。

疑似家族は以心伝心である。

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