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2012年2月 2日 (木)

通りすぎる言葉、残る言葉

WOWOWで『クレアモント・ホテル』を観る。
http://www.crest-inter.co.jp/cl-hotel/
最近は映画館で見逃しても、ほどなく
ギンレイかWOWOWで観ることができるから嬉しい。

自分の家で独り暮らしをするのと、ホテルでの一人暮らしは
どういう風に違うのだろうと考える。
ホテルでの一人暮らしは食事や洗濯など
身の回りの世話はしてもらえる反面
食事は他の人たちと一緒、バスルームの使用も共同だったりして
(たまたまこのホテルがそうなのだろうが)
独り暮らしのように気ままにはいかないだろう。
でも面倒くささは元気でいるためのコストのような気もする。

孫のような青年に偶然助けられて、作家を目指している
彼のために自分の人生経験を役立てる、というのは、
なにやら新しいおとぎ話のような感じもするが
若い世代には、祖父母世代の慈愛は不可欠なのだろう。
青年役のルパート・フレンドはちょっと美形過ぎる気もするが
高齢のササが気持ちを許すための舞台装置
として必要だったのかもしれない。

一方97歳の私の伯母はマンションで独り暮らしである。
暮れにちょっと電話で話したこともあり、
久しぶりに帰国した妹と彼女の息子と一緒に訪ねることにする。
伯母の記憶があやふやで、ダブルブッキングしてしまい
危うく流れそうになったが、近くに住む叔母が
アレンジしてくれたので、近くのデパートで
「なだ万」のお弁当を人数分買って行くことに。

伯母は元音大教授で、昔は私にとっても怖いピアノの先生だったが
知的で前向きな生き方は、いつもお手本だった。
今では骨粗鬆症で歩行もおぼつかないが、
頭ははっきりしており、短期記憶が若干怪しいことを除けば、
話はふつうに展開する。
若いときにドイツに留学していたこともあり、
語学から文学、映画の話へと、お喋りははずむ。

現在も何人か生徒を教えているとのことなので、
生徒はいくつなのかと訊いたら、月1回来る生徒は81歳だとか。
他の生徒も60代とか、その辺のようである
「80になっちゃうと、数を数えるのとかはもうできないわね。
注意しても翌月来たときにはすっかり忘れているし」と相変わらず手厳しい。
81歳の生徒を97歳の先生が教えている図は
コメディっぽくて、ちょっと覗いてみたい気もする。

アレンジしてくれた叔母は元ビジネスウーマンの82歳で
2時間以上滞在すると伯母が疲れるからと
気づかって付き添ってくれたのだが、結局時間が経つのも忘れて
一緒にお喋りに没頭してしまっていた。
82歳が97歳を世話する図は、よくある老々介護だが
両方が元気だから言えることだとしても、想像するとほほえましい。

伯母の話はなかなか含蓄があり、
われわれ世代にとっては貴重である。
一方われわれの言葉は、おそらく伯母にとっては
過ぎ去る風のように流れていき、来訪の事実は残ったとしても
話の内容はほとんど記憶には残らないだろう。
しかしこういう会話も案外捨てがたいような気もする。

孫の世代が祖父母世代と一緒にいようとすることの中には
何を言っても受け止めてもらえるということ、言い方を変えれば
何を言っても水や風のように流れて去っていく安心感
というのがあるんじゃないだろうか。経験的に言っても。
私たちの言葉は伯母の中を通りすぎ
伯母の言葉は私たちの中に残る。
そういうアンバランスは、案外心地よいのである。

でも、自分たちが発した言葉は
それぞれ自分たちの中には残る。
高齢者は、案外自分が言ったことは覚えているものだ。
そう考えると、人が話をするのは相手に伝えるためというより、
自分の中に留めるためなのかもしれないとも思う。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic


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