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2012年3月23日 (金)

『ヒューゴの不思議な発明』

初めて3D映画を観に行く。
スコセッシ監督の『ヒューゴの不思議な発明』

3D映画にはどうも食指が動かなかったのだが
一度くらいは見ておこうと思い、それにはこれがいいかもと思ったのだ。
でも、やっぱりダメだった。

ひとつには慣れの問題もあるのだろうが、
メガネから覗く映像がどうしても不自然なのだ。
上下の落差に関しては、臨場感があり
雪が上から下へ降る様子とか、予告編で
スパイダーマンが塔の上から飛び降りる場面なんて
とてもエキサイティングでほんとにドキドキする。
でも、前後の奥行きになると、どうもよくない。
自分が感じるのとは違う距離感で無理やり見せられている感じなのだ。

ふつうの2Dの映画では、私たちは自分の脳で修正しながら
それを3次元の物語に解釈し直して観ている。
その3次元の距離感は、おそらく個々がそれぞれに感じている
現実の距離感の延長にあるのだろう。
3D映画の場合、この距離感はどうもあらかじめ
誰もが同じに感じるように決められている感じがする。
だからそれが自分と合わないと、違和感を感じて
集中が削がれたり疲れたりしてしまうんじゃないだろうか。
なので、もっぱら普通の場面はメガネをはずして観た。
画像はぶれて見えるし、字幕なんか読めたもんじゃないが、
それでもメガネを通して観るより快適である。
特に最後にメリエスが舞台に立つところなどは、
メガネを通して観ると必要以上に奥行きがありすぎて
かえって現実感が削がれてしまうので外しっぱなしだった。

話の内容は世界初の職業映画監督といわれた
ジョルジョ・メリエスの話で、メリエスが映画を
手品と同じようなものと捉えてさまざまに創意工夫するのだが、
時代の流れの中で挫折して映画の世界から遠ざかってしまう。
それを、ヒューゴがメリエスの作った機械人形を修理し
引き戻すという話である。
「不思議な発明」という邦題(原題)は何かを意味して
いるのだろうが、脚本のせいか結局分からず
機械人形を手に入れた父親役のジュード・ロウは
すぐ死んでしまいちょこっとしか出てこない。
もっともだから父親はヒューゴにとって大きな存在なのだが
メリエスの話と父と息子の話の二兎を追いかけて
中途半端に終わった感じはする。

それにそもそもこれは駅の中のふつうの生活の話だし、
ほんとに3Dの必要があったかどうかも疑問だ。
プロデューサーにジョニー・デップの名前があったところを見ると
スコセッシもジョニデも、3Dのおとぎ話を
作ってみたかったってことなのか。

3次元の現実生活を2次元に落とし込んだ「映画」を
もう一度3Dという3次元に復元することの意味は、
どうもよく分からないが、これがSFチックな物語に
向いているだろうということは分かる。
つまり3Dが与える臨場感というのは、リアルな感覚というより
むしろ非現実感覚といったほうがよくて、
そういう新しい感覚を今、経験しているということかもしれない。
メリエスが映画を作っていたときも、きっとこんな風に思われていた
に違いない、とスコセッシは言いたかったのだろうか。

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