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2012年4月20日 (金)

医療者が変える医療

2002年に時間外の電話相談を事業化したときは
まあ、これが大事なことが理解されるまで
10年はかかるだろうから、急がずぼちぼちやっていこうと考えていた。
そもそも電話相談のなんたるかなんて、
医療者の間ではまったく理解されておらず
「素人に何ができる」という冷たい視線が突き刺さる日々が続いた。
だから10年を待たずに、地域貢献加算が設定されたときは、
ほんとに驚いてしまった。
時間外の電話相談が診療制度に組み入れられたのである。
たしかに自分なりにデータを集め、学会で発表し論文を投稿して
できることはやってきたつもりではあったが、
どこで誰が、どういう風に動いているかなんて
世間知に疎い私にはまったくわからず、
厚労科研班に加えてもらったのは
世の中が私の考えといくらか同じ方向に歩調を合わせた?
という風には直感的に理解できたから、
まあ自分は、このままこの仕事を続けていけばいいのだろう
というくらいに考えることはできた。

だからポリオの不活化ワクチン導入が決まったというニュースには
http://i.jiji.jp/jc/i?k=2012041900954
驚きというより、決まって当然という思いもないわけではない。
でも、その推進役が患者だけでなく
お医者様自身でもあったというところには感慨深いものがある。

NPO法人ディペックス・ジャパンの語りデータベースで
語りを公開しているがん患者の人たちは
自分の経験がほかの人の役に立つならという思いで
カメラの前で自分のつらい経験を語っている。
それと同じ気持ちが、ポリオの生ワクでわが子にマヒを
起こさせてしまった親にもあるのだ。

「仕事が忙しい」という理由で息子の麻疹の予防接種の
タイミングを逃し、親しい先生から
「麻疹だけはやっておいた方がいいぞ」と言われて
やっと(自費で)打ちに行ったような、予防接種消極派の私でも
ポリオと三種混合だけは「絶対必要」と考えて逃さなかったのは
ポリオのマヒが怖かったからである。

それなのに、マヒを予防するための予防接種で
自分のこどもにマヒを起こさせてしまったら・・・
自分の不勉強を責めても責めきれない。
わが子にマヒが起きなかったのは、
ほとんど奇跡的に運が良かっただけなのだ。
そう考えるとポリオの会の親たちの活動には
ほんとうに頭が下がるのである。

だから政治的なからくりはともかく、
不活化ワクチンを入手する手立てがあるのに
それを怠ってずるずるとここまで来てしまった国には
ほんとに腹立たしい思いがある。
しかし、国が決めたことだからと、患者の思いを知っても
何も行動を起こさなかった医療関係者は、
国以下と言ってもいいのではないかとも思う。
決められた以上のことをやろうとしない人には
権威も権限もないも同然である。
そういう人たちに「啓発」なんて言葉を
軽々しく使ってほしくない。

たまたま昨日
「明日ポリオの生ワクチンを飲みに行くのだが、
咳が出るので受診してから行ったほうがいいか」
という相談があった。
まだ承認可否について審議中のニュースしか入っておらず、
とりあえず不活化ワクチンについては言及しなかったが
言うべきか言わざるべきか複雑な気持ちだった。

少数の勇気あるお医者さまの行動がきっかけになって
地方自治体だけでなく国をも動かしたポリオの不活化ワクチン。
今では相当数の医療機関が不活化ワクチンを打ってくれている。
https://docs.google.com/document/edit?id=1zPeeQTeNXJgX1SfKYqJ-_w1iuT7I3dFlTk1VN3aGPa0&hl=ja&authkey=CPDmvtgJ&pli=1#

患者の思いを受け取る奇特で勇気あるお医者様たちのデータでもある。

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2012年4月12日 (木)

賑わいでつながる世界

久々に渋谷へ出て、
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観る。
ちょっと待っていればギンレイへかかりそうな気もするが、
急に今観ておきたいという気持ちになって、
調べてみたら、もうほとんどどこの映画館も終了していて、
渋谷シネパレスでしかやっていなかったのである。

相変わらず渋谷は若いエネルギーに満ちていて刺激的である。
ハチ公前に常時人が一杯いるのは、待ち合わせが多いというより
なんとなく、そこにたむろしたい人が沢山いるからなんだろうと想像する。
シネパレスの受付でチケットを先に購入し、街をぶらつくことに。
座席表はがら透きで、これで映画館は大丈夫なのか?
とちょっと心配になるが、スタッフは感じよく
映画館自体もこじんまりときれいで気持ちがいい。

映画は9.11で父親を喪った息子の回復の物語だが
そのプロセスにちょっとひねりが効いていて、よかった。
ものすごくうるさくて、というのは息子のことか、
などと考えてみるが、映画そのものはまだ咀嚼できていない。
この回復のプロセスは、仕事柄ちょっと関心があるのだが・・。

映画の前には西武の食品館を冷やかし、
ついでにZARAとFOREVER21にも入ってみる。
FOREVER21では780円なんて価格のTシャツを売っている。
500円のもある。
ほとんど古着屋価格だが、これが立派に新品である。
いかにも大量生産といった感じで、同じものが何枚もあると
あまり買いたい気分は起こらないが、価格に食指が伸びる
という消費者もいるのかもしれないし、
こうやって、どこかの国の誰かの生活は成り立ち
買う側はセンスを磨くチャンスを得ているのかもしれない。
お金で差異を買う時代もあったが、感性がとって代わったということか。
価格の差が決定的な差を生まないという印象は
年々強くなっている感じがする。
デフレが先か、感性が先かはニワトリと卵みたいなものだが
感性の勝負ということになれば、モノの価格は限りなく下がるだろう。
なんとなくユニクロが独り勝ちの理由も分かるような気がする。
安いと財布の紐は緩くなり、数をこなすと気づきも多くなる
というメカニズムはたしかに働いているのだ。

翌日はレッスンの後、みんなで仲間のひとりの息子が
パティシエとして勤めている汐留シティセンタービルの
「フィッシュバンク東京」http://www.fish-bank-tokyo.jp/ へ。
平日限定のスペシャルランチはワンドリンクつきで、
下戸にはきんきんに冷やしたノンアルコールのワイン。
オードブルもパスタもミートプレートも盛り付けが美しくすこぶる美味。
なかでも特別サービスのウニのフランは絶品だった。
新橋のような都心の高層ビル(41階)で、
この価格でこのランチは相当お得である。
雨風予報が出ていたので食後はまっすぐ帰宅。
お腹いっぱいで夕食は食べられそうにないので
簡単な夕食を息子と夫に用意し、私はオレンジジュース。

レッスンで身体は疲れているし、早く寝そうだなと思いつつ
WOWOWの番組表を見ていたら、ドゥダメルとハービー・ハンコックの
「セレブレイト ガーシュイン」というコンサートがあった。
途中で寝てもいいように録画予約をし、見始めたら
これが実にエキサイティングで、最後のラプソディー・イン・ブルーでは
興奮してすっかり目が覚めてしまった。
ドゥダメルとガーシュインというだけでもワクワクするが
冒頭のキューバ序曲、パリのアメリカ人と観客をわしづかみに
したところでハンコックが登場。
「エンブレイサブル・ユー」
「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー」の2曲を弾いた後、
ラプソディ・イン・ブルーへ。
これが見事にジャズとのコラボになっていて、
ハンコックのガーシュインを満喫する。
もともとガーシュインは、ほとんどジャズと言ってもいいくらいだが
ハンコックのおかげで、ふつうのクラシックではとうてい味わえない
土臭さというか人間くさいリズムが加わり、
ガーシュインはきっとこういう世界を作りたかったのだろうなあ
とまで思ってしまった。

調べてみたら、ドゥダメルは2009年にロサンゼルス・フィルの
音楽監督に就任しており、ハンコックは1998年には
「ガーシュインワールド」というアルバムを出している。
今回のコンサートは当然と言えば当然の出会いだろうが、
しかしなによりも感激的なのは、こういうコンサートを
居間にいてテレビで鑑賞できることだろう。

こうやって賑わいながら世界はつながっていくのだ。

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2012年4月 1日 (日)

3Dで味わう無限の大気

『ピラミッド5000年の嘘』を観ても、大昔の人々が、
どうしてピラミッドやマチュピチュのような
巨大な建造物を残したのかは、いまだに謎である。
時間感覚や空間感覚が、現代人とは異なっていたのかもしれない
とは思うが、ではなぜ古代人と現代人では感覚が違っていたのか
という答えは、いまだに私の中では謎である。

でも、3Dの映画を観ていて面白い発見があった。
『ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(於:ヒューマントラストシネマ有楽町)は、
ピナの後継者たちの踊りを3D映像で観せてくれる。

冒頭、舞台に撒かれた黒みを帯びた砂の上で繰り広げられる踊りは、
3Dで観ると、それが舞台上であることを忘れさせてしまうのだ。
カメラが俯瞰すると、たしかにそれは舞台だと分かるのだが
カメラが水平に移動した途端、どこかの砂漠か平原での踊りになる。
すると、表現される感情もにわかに濃厚になるのだ。
そして人間のちっぽけさといったものが強烈に迫ってくる。
これは草の上での踊りでも、モノレールが頭上を走る
街中の踊りでも同様である。
コンクリートの壁に囲まれた建物の中での踊りでも
大ガラスの空間(こんなすごい空間が現実にあるなんて!)
での踊りでも同様である。

3Dは奥行きを感じさせるための技術だから
こういう感じは当たり前と言えば当たり前の話だが
ときどきメガネをはずして観ると異なる感じを受けるから、
製作者側は映像化に当たって、明らかに
ピナのいうところの「魂の踊り」を印象づけようとして
3Dの効果を狙ったのだろうということが分かる。
メガネをはずすと、奥行きは(まあ映像のぶれの問題もあるかもしれないが)
ごくふつうの映画の感じになってしまうのである。

ところがカフェを舞台にした踊りや
大きな岩の周りでの水を浴びながらの踊りは
自分もカーテンのはためきを感じたり
水しぶきをかぶるような臨場感を味わいはするけれども
舞台装置が明確な分だけ、ちっぽけ感は後退する。
これらから受ける臨場感は別のものであり、それはそれで
すばらしい経験だが、奥行き感覚とはまた別のものである。

私たちが奥行きや落差を計算する感覚というのは、
たぶん自動的に周囲の物体との関係によって行われていて
周囲に物体がある空間では無意識に
奥行き感覚を平板にしているんじゃないかという風にも思う。
(計算が難しいから???)
ところが材料になるものがないところでは、
自分と相手(自然)の落差はそのまま、というか
必要以上(?)に大きく感じられてしまうのではないか。
その落差を埋めようとしたのが、あの巨大な建造物、という仮説はどうだろうか。

3D映像の効果は2次元の世界で水をかぶったり、
高いところから落下する恐怖を味わったり、というだけでなく
ふだんの生活ではなかなか経験できない
無限の大気の中に身を置くという感覚を
呼び覚ましてくれるところにもあるのかもしれないと考えると、
ITもあなどれないなあと思ってしまうのだ。

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