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2012年4月 1日 (日)

3Dで味わう無限の大気

『ピラミッド5000年の嘘』を観ても、大昔の人々が、
どうしてピラミッドやマチュピチュのような
巨大な建造物を残したのかは、いまだに謎である。
時間感覚や空間感覚が、現代人とは異なっていたのかもしれない
とは思うが、ではなぜ古代人と現代人では感覚が違っていたのか
という答えは、いまだに私の中では謎である。

でも、3Dの映画を観ていて面白い発見があった。
『ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(於:ヒューマントラストシネマ有楽町)は、
ピナの後継者たちの踊りを3D映像で観せてくれる。

冒頭、舞台に撒かれた黒みを帯びた砂の上で繰り広げられる踊りは、
3Dで観ると、それが舞台上であることを忘れさせてしまうのだ。
カメラが俯瞰すると、たしかにそれは舞台だと分かるのだが
カメラが水平に移動した途端、どこかの砂漠か平原での踊りになる。
すると、表現される感情もにわかに濃厚になるのだ。
そして人間のちっぽけさといったものが強烈に迫ってくる。
これは草の上での踊りでも、モノレールが頭上を走る
街中の踊りでも同様である。
コンクリートの壁に囲まれた建物の中での踊りでも
大ガラスの空間(こんなすごい空間が現実にあるなんて!)
での踊りでも同様である。

3Dは奥行きを感じさせるための技術だから
こういう感じは当たり前と言えば当たり前の話だが
ときどきメガネをはずして観ると異なる感じを受けるから、
製作者側は映像化に当たって、明らかに
ピナのいうところの「魂の踊り」を印象づけようとして
3Dの効果を狙ったのだろうということが分かる。
メガネをはずすと、奥行きは(まあ映像のぶれの問題もあるかもしれないが)
ごくふつうの映画の感じになってしまうのである。

ところがカフェを舞台にした踊りや
大きな岩の周りでの水を浴びながらの踊りは
自分もカーテンのはためきを感じたり
水しぶきをかぶるような臨場感を味わいはするけれども
舞台装置が明確な分だけ、ちっぽけ感は後退する。
これらから受ける臨場感は別のものであり、それはそれで
すばらしい経験だが、奥行き感覚とはまた別のものである。

私たちが奥行きや落差を計算する感覚というのは、
たぶん自動的に周囲の物体との関係によって行われていて
周囲に物体がある空間では無意識に
奥行き感覚を平板にしているんじゃないかという風にも思う。
(計算が難しいから???)
ところが材料になるものがないところでは、
自分と相手(自然)の落差はそのまま、というか
必要以上(?)に大きく感じられてしまうのではないか。
その落差を埋めようとしたのが、あの巨大な建造物、という仮説はどうだろうか。

3D映像の効果は2次元の世界で水をかぶったり、
高いところから落下する恐怖を味わったり、というだけでなく
ふだんの生活ではなかなか経験できない
無限の大気の中に身を置くという感覚を
呼び覚ましてくれるところにもあるのかもしれないと考えると、
ITもあなどれないなあと思ってしまうのだ。

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