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2012年7月26日 (木)

イチローという「個」

イチローのヤンキースへの電撃トレードにはびっくりした。

シアトルでのマリナーズとヤンキースとの三連戦の初日の発表で
しかも移籍発表のその日に、ヤンキースの選手として登場する
というあたりは、ドライといえばいいのか、ドラマチックといえばいいのか。
まあ、トレードの噂は以前からあったらしいし、
WBCあたりから調子が落ちてきた様子を見れば、
イチローもいろいろ考えるところがあったのだろうと思う。

そういう「事情」はあるとして、ここではJMMの
冷泉さんのレポートの感想を書いておきたい。

冷泉さんは
JMMNo.698 Extra-Edition2
https://mail.nifty.com/mailer/mailview.html
『BALLPARK OF DREAMS』 第6回
「イチロー選手はヤンキース移籍というチャンスを生かせるか?」で

イチローの会見が英語でおこなわれなかったこと、
通訳がいまいちだったこともあり、決して成功とは言えない会見だった
ことなどを述べている。
アメリカ野球における名誉の概念をイチローが理解していないのではないか
アメリカ文化における振る舞い方を(本人の責任とは言わないまでも)
心得ていないのではないか、とも述べている。

アメリカ生活の長い冷泉さんならではの、
苦言とは言わないまでも、親心だろう。

でも私はニュースでの断片的な会見の模様を見ながら
ちょっと違う感想を持った。

イチローが流暢な英語を喋らない(喋れない)という問題はあるのかもしれない。
しかし、あの涙ぐむほどあふれるような思いを
英語にするのは、なかなか難しかっただろうと思うのだ。
彼がどれほどシアトルのファンのことを考えていたか、
どんなにマリナーズのユニフォームを脱ぐことに悩んだか
ということは、日本語だからこそよく伝わってきた。
あれが英語だったら、内容としてアメリカ人には理解されたかもしれないが
日本人にはいまいち伝わらなかっただろうと思うのだ。
おそらくなによりもイチローが考えたのは、
アメリカにいる人たちに何かを伝えることではなく、
日本人としての自分が何を思ったかを、
日本にいる私たちを介して伝えることだったのではないか。
そういう意味では、「場違い」なのかもしれないが
相変わらず彼らしさを貫いたといえる。

こういうウエットな真情を述べることは、アメリカという文化や
ビジネスの場の中ではマイナスなのかもしれない。
しかしイチローは、そういう外形的なことより
自分とファンとの相互理解を選んだのだろう。
そしてファンは、禅問答と揶揄されようとも、そういう彼を理解するし、
彼にももちろん、理解されるはずという思惑があったということだ。
この辺は、アメリカでのビジネスに成功した冷泉さんにしてみると
ちょっと感覚が違うのかもしれないが、
異文化における振る舞い方という意味では、時代の変化を感じさせる。

こうやって私たちは「個」というものを学んでいるのかもしれない。

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2012年7月23日 (月)

遅い成熟

澤口俊之氏の女性セブンの記事
「成長を遅らせることで高度な脳機能をより発達させるとの分析」
は興味深い。
氏はこんな風に述べている。

 子供の成長の早さは、どんな親にとっても気になるものです。
小児科学や発達心理学でも「成長の目安」があり、
最初に歩く年齢(月齢)や最初に言葉を発する年齢(月齢)などが
タイムテーブル化されています。
そして、このタイムテーブルよりも発達が遅いと、
「問題があるかもしれない」と考えられる場合があります。

 ですが実は、人類進化や脳科学からみれば
「子供の成長は、早ければいい!」というワケではありません。
そもそも、人類の成長速度は遅くなる方向に進化してきたのです。
人類に近縁な化石人類・ネアンデルタールと比べても、
現生人類の成長速度は遅くなっています。

 ネアンデルタールと現生人類の遺伝子の違いは
わずか0.5%でしかありませんが、成長速度は、彼らのほうが
私たち現生人類よりも1.5倍も早かったというデータがあります。

 また、彼らは言葉や芸術(絵画)を駆使し、道具も使用していたため、
かなり知能が高かったといえます。
ところが、彼らは2万~3万年前に絶滅してしまいました。
ネアンデルタールよりも学習能力や知能が高かった現生人類に、
生存競争で負けてしまったのです。

 この観点からみると、現生人類においても、
むしろ成長速度が遅いほうがより優れた能力を発揮するようになる
という推論が成り立ちます。
脳レベルでも、進化的に新しくて高度な働きをする脳領域
(特に前頭前野、後部頭頂野、側頭野)の成長は遅いことがわかっています。
前頭前野が成熟するのは25才ごろです。
つまり、現生人類は、成長を遅くさせることで
高度な脳機能をより発達させるように進化してきたといえるのです。

※女性セブン2012年8月2日号
http://news.nifty.com/cs/item/detail/postseven-20120723-130658/1.htm

「成長を遅らせる」というと、成長は人為的に遅らせることができる
という風に聞こえるが、もちろんそうではなくて
成長が遅いことによって脳機能は、よりよく発達する
というのが氏の言いたいことだろう。

現代社会は「遅い」ということを異常に嫌っているのではないか
というのは、ずっと以前から感じていたことである。
「できる」という言葉が、まるで「早い」の代名詞に聞こえることがある。
学校では早熟な子どもが、しばしば高い評価を受けるし
理解が早いこと、反応が早いことが評価の大部分を占めている感じがする。
その結果、それ以外の部分はきちんと評価されないまま子どもは育つ。
そのことがさまざまな問題の根底にあるのではないか。

大津のいじめ問題にしても、この中学校が文部省のモデル校だったと
いうような「大人の事情」を抜きにすれば、
問題がいじめる側にあることは明らかだろう。
加害者のこどもも親も、自分の行動を悪だと認識していたことは、
加害者のひとりがさっさと転校していることからも分かる。
少なくとも、親も含めて自分の行動に問題があると考えているから
それが引き起こすさまざまな影響を想像し、そこから逃れようとしたのだろう。
この首謀者の子は学業は大変優秀だったらしいが、
それ以外の倫理観のような部分は成熟しておらず、
親もそのことをちゃんと認識できていなかったのだと思う。
というか、親も倫理意識は希薄だったと言うことかもしれない。

もちろんいじめはおとなの社会にもふつうにあるから、
大人だからといって必ずしも充分に成熟しているとは限らないが、
こどもの育ちの評価ポイントが、一面的、言い換えれば
成果として早く見える部分でしか評価できていないということが
いじめの根底にあることは確かなような気がする。
道徳教育よりも、何を評価するか、という方が大事だろう。

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2012年7月17日 (火)

新しい風は吹いたか

15、16日と小倉の北九州国際会議場で
第一回「小児診療多職種研究会」
~新しい風にのってみませんか?~のスタートアップがあり、
オープニングの日に演題を出すようにを要請されていたので出向いた。
会を立ち上げたのは、倉重弘先生という北九州で開業していらっしゃる
ひとりの小児科開業医で、#8000の研究班でご一緒していたときには
雰囲気からして、そんなにエネルギッシュな感じは受けなかったのに、
あるときから急に研究班に来られなくなったと思ったら、
作業療法協会、臨床心理士会、言語聴覚士会、薬剤師会、
そして小児科医会などの後援を取り付けて、
今回の開会までこぎつけられたのである。

研究会とはいっても、ほとんど学会のような規模の会が、
こんな風に始まるというのも私にとっては目新しかったが、
参加してみると、運営もよく行き届いていて統制されており、
その実行力にも驚いてしまった。

私の演題は
休日・夜間小児電話相談事業『最強の味方を育てるフィードバックシステム』
というもので、

診療と電話相談では担当領域が異なっており、それは
患者(保護者)にとってはアウェイとホームというほどの違いがあり
ホームのニーズはアウェイのニーズと異なること、
医療者が「一般論としての病気の専門家」だとすると
保護者は「自分についての専門家」であり、
医療は両者の協同が必要なこと、
そういう「自分についての専門家」の声を、
どう診療や育児支援に生かしたらいいのか
ということを、相談事例を例に挙げて論じた。

自分にとってはこういう内容は、ごくごく基本的なことで
新しい風でもなんでもないという気もするが、
ひょっとすると、新しいと感じてくれる人もいるかもしれないし、
人によっては新しすぎてついていけない、かもしれない。
でも、話したいことをまとめる過程で、どうやって電話相談を理解してもらうか、
と考えることができたのは成果だった。

#8000の研究班でも、
今年の4月から委員になった
小児救急の社会的サポートを考える委員会でも、
私の仕事は、まだまだ異分子扱いだが、
異分子の孤独というのも慣れてしまえば、まあ快適である。
いかにも厳しい環境で自分が鍛えられている、という感じがする。
こういうのがなければ人間伸びて行かないのだろう、きっと。

今回の会での演題を聞いていると
それぞれの専門領域からの発表は、それぞれの文化を背負っていて
それが私の分野に近い感じがするものもある。

かと思えば

昔は問題にされなかったようなことが
医学(専門知識の増加)や科学(技術)の進歩などで
問題と捉えられて、それが吟味された結果、問題ではなくなる、
というような迂回路を辿った形跡もあり、
歴史が変わるということは必ずしも効率的になるとは限らず
じゃあ、これで賢くなったのかと言われれば、
そうともいえない感じもあり、なんだか妙な感じではある。

演題の内容に虐待関連が多かったのは、
小児科領域で、今もっとも注目されている分野だからかもしれないが
医師の視点は、虐待事例を明らかにすることには長けていても
虐待を防止するということになると、「親の資質の変化」を嘆いてみせる
というところに留まっている感じがして、
因果論から抜け出して、中身のある連携へ至るまでには
まだ相当の時間がかかりそうな気もする。
そもそも連携というのは、主従関係のない横のつながりのはずだから
一番慣れるのが難しいのは医師だろうし、
病院と開業医とでは、また事情がいろいろ違うだろう。
これからどういう風に発展していくのか、楽しみではある。

飛行機の時間が迫っていたので、2日目は昼まで聞いて帰路に着いたが
昼からいきなりの豪雨で、カミナリは鳴るわ、飛行機は遅れるわと
ちょっとやきもきさせられたが、小倉のリーガロイヤルは快適だったので
旅としては、まあよかったことにしておこう。

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2012年7月10日 (火)

「自分という専門家」を活用する医療へ

土曜日は、消費生活アドバイザーの更新研修のあとディペックスの合宿へ。

更新研修は「放射線のはなし」と「ソーシャルビジネスの展開と課題」

「放射線のはなし」はよくまとまっていて面白かったが、
なんとなく心配ないということを強調するための根拠説明
といった感じがしなくもない。
それはそれでいいのだが、基準値や根拠といったものが
そのつど暫定的に定められているとすれば、
心配ない(恐れるに足らず)という結論も暫定的なものでしかない、
という感じはする。
まあ、それはそれでいいのだけど。
人間は1秒間に7000ベクレルの放射線を出しており
筋肉が多ければ多いほど放出する放射線も多い、
というのは へぇー だった。

「ソーシャルビジネスの展開と課題」は、
むしろこっちの方が期待していた講義だったのだが
なぜソーシャルビジネスという考え方が近年になって出てきたのか
というツッコミが足りなくて、いささか不満。
40年前からソーシャルビジネスの先駆けで仕事をしてきた者としては
むしろ時代の流れの中で、それが見え方にしろ内容にしろ
どう変わってきたかを知りたかった。
受講者のほとんどが現役の企業人だと考えると
こういう内容の講義は、よほど吟味しないと評価に耐えられないだろう。

ディペックスの合宿は夜の勉強会から参加。
ジェローム・グループマンの『医者は現場でどう考えるか』をテキストにして
医療の現場の実情を考える。
医療者は常に自分の医療倫理が脅かされるような環境にいるわけだが
その中で、患者が自分の言葉で語ることの重要性を
どこまできちんと認識できるか。

翌日の午前中は今年新しく運営委員になった松繁卓哉さんの
『「患者中心の医療」という言説』をテキストに、
患者中心という概念がどう変化してきたかを辿る。
患者の側は、どうしても医療という専門性に引っ張られて
自分たちが生み出した知見を正当に評価できないことが多いが
「医者は病気の専門家」という考え方と
「患者は自分の専門家」という考え方を
どう融合させるか、というのが最終的な目標になるように感じられた。

それは来週、小児診療多職種研究会で
私が発表しようとしている内容ともよく重なっており
ちょっと心強い思いがする。
電話相談は、かけ手に対して「あなたの専門家はあなた」
と考えているわけだが、医療者にとって、この考え方は
まだ距離がありそうである。

午後は新秋津にあるハンセン病資料館へ。
ハンセン病に限らないと思うが、病の歴史は差別の歴史だと痛感する。
病をどうとらえるか、ということの発想転換をしないと
こういう悲劇は繰り返されるだろう。
ここには、ハンセン病患者の語りを視聴できる設備もあり、
ハンセン病の歴史の映画を観たあとは閉館まで、それを視聴する。
「あなたにとって価値があると思うことを話してください」という
問いかけだけで引き出している語りが、自然体でとてもいい。

語る側にも聴く側にも、自分たちは何か立派なことをやっている
という自負が強すぎると、語りは非常に緊張感を孕んだものになってしまい
痛々しい感じさえするが、ハンセン病患者の語りは、
どこか突き抜けた感じがあり、それは語りを依頼する側が
その意義を「証言」として、ごくふつうに、
淡々と捉えているからではないかという気がする。
アカデミズムといった特定の価値観とは
無縁の所でおこなわれている仕事は、地に足が着いた安定感がある。

この土日は目いっぱいのイベントが詰まっていて
フェデラーとマレーの試合も見逃し、
自分の誕生日も吹っ飛んでしまって、
ちょっと疲れた週末だったが、なかなか充実していた。
今月は、こういう週末が連続してやってくる。
早く風邪を治さなきゃ。

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2012年7月 3日 (火)

家族会食

お正月には集まれなかったので、久しぶりの家族会食。
終わってしまったバースデイとこれからやってくるバースデイ祝いを兼ねる。
我が家では6月から7月に誕生日が集中しているのである。
今回は目下絶好調の娘の奢り。
娘の財布が心配だが、ご馳走になるのは初めてでもあり、ちょっと感慨深い。
場所は隅田川沿いにある『シエロイリオ』というカフェレストランで
雨に煙ったスカイツリーも見える。
http://www.cieloyrio.com/

芝居がやりたくて、しかしそれなら自立が必須と
親に厳命されている娘が試行錯誤の末、やっとたどり着いた仕事は
大手の建設会社から独立したアイデアマンの社長が立ち上げた
リノベーションの会社の営業職である。
小さな会社だが、口八丁の娘は営業成績もトップとかで生き生きしている。
演劇学校で学んだ、相手を感じながらコミュンケーションをおこなう
という演技の基本が、営業という仕事に生きていると思うと
まったく何が幸いするか分からないものである。

我が家は姉弟の年齢差が9歳あり、ほぼ一時代違う。
これだけ違うと価値観もハングリーさも相当異なり、
早く親から離れたがって、さっさと独立した娘に比べると
弟の方は要領がいいというか、親離れが悪いというか
まだまだ当分独立しそうにない。
しかし、どういう生き方がいいかということは一概には言えないだろう。
そのときの環境に合わせて生き方を選ぶのがいきものである。
確かなのは、親が余計な口出しさえしなければ
こどもは勝手に前へ進んで行くということだけである。

サングリアと賑やかなおしゃべりで家族を感じた翌日に
『少年は残酷な弓を射る』を観る。
重いテーマを巧みな映像感覚で表現した印象に残る映画である。
この映像処理の仕方が母親(エヴァ)の心の中を表している。

テーマは親子(母と息子)の関係の難しさだが、
観終わってみると、心の不可解さというものが伝わってくる。
こどもが生まれて初めて結ぶ最初の人間関係は、
母親とだから、こどもに何か影が落ちるとすれば、
それは母親と無関係ではありえないということは分かる。
たしかに、エヴァにとってケヴィン(息子)の妊娠は、
キャリアとの板挟みで疎ましいものではあったかもしれないし
そういう気持ちが息子に伝わらないはずはなく、
それが結末の悲劇をもたらしたと考えれば分かりやすいだろうが
それだけではこういう結末にはならないだろう、とも思える。

この映画のリアリティは、観客として観ている分には、
母に対する息子の気持ちは痛いほど伝わってくるのに
当の母親は最後になるまでそれに気づかないらしい、ということだ。
母親は息子以外のなにもかもを失ってみて、初めてそこに気づく(ようだ)が
それは父親も同じで、父親だって息子の心の中は最後まで分からないままだ。
(この父親のようなひとりよがりの理解というのも、また多い)
親として見れば、こどもの心の中は常に未知の領域だし
こどもとして見れば、こんな風に自分は理解されていなかった
ことを思い出させてくれる。
親はこどもを理解していないとは、なかなか自覚できないが、
こどもは、自分が理解されていないことを常に知っている。
そうやって観る側はどちらの側にも感情移入しつつ、
自分の心が閉じているか開いているかは、
実は自分でも分からないのだということに気づいていく。
ティルダ・スウィントンはそのあたりの閉ざされた心を表現するのがうまい。
エヴァは自分でも自分の心の中が見えていなかっただろう
ということがひしひしと伝わってくるのだ。

その彼女が旅行作家だったというところは皮肉と言えば皮肉である。
あのトマティーナ(トマト祭り)は自分の心を開放するものだったはずなのに。

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