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2013年4月29日 (月)

『聖書を語る』

入院中はもちろん、退院してからもしばらくは活字を読むのがつらかった。
入院中も短時間とはいえテレビはよく見ていたから
この差は何だろうと考える。
言葉の理解にあるのか、視覚情報の処理なのか。
テレビはつらくなかったのだから、
視覚情報の処理が負担だったわけでもなさそうだ。
もっとも大半はスルーしていたってことかもしれないが・・・。
耳から入る言葉には抵抗はなかったから
言語の処理が問題だったわけでもなさそうだ。
ただテレビ視聴も長時間になると吐き気や頭痛が出てダメだった。

目から入る言葉(活字)の処理では
何か特別な負担が脳にかかっているのだろうか。
しばらくはパソコンを開ける気がしなかったのも興味深いところである。

なので退院後1ヶ月ほど経って、新聞を読んでも頭痛や吐き気に
悩まされなくなったと分かったときは嬉しかった。
何しろ3ヶ月くらいは活字から離れていたわけで
シアワセをひとつ取り戻した感じである。

そんなときに最初に読んだのは『聖書を語る』という
佐藤優さんと中村うさぎさんの対談。
読めるようになった時のためにとアマゾンでレビューを読んで
注文しておいたのだが、これが抜群に面白かった。
佐藤優さんが神学部卒というのは知っていたが、
中村うさぎさんがプロテスタントというのは知らなかった。
中村さんについてはブランド物をやたらに買いあさりながら
週刊誌のコラムを書いている人、という以上は知らなかったのである。

佐藤さんがカルヴァン派で、
だから獄中でもめげなかったという話も驚きだったが、
中村さんの原罪についての解釈も共感するところ大だった。
アダムとイブが楽園を追われたのは自意識を持ったからで
原罪とは自意識のことだというのである。
たしかに、自分たちが裸であることに気づいたというのは
自意識、つまり他者の目の獲得だろうが、
それでエデンの園を追い出されたということは、
キリスト教も大いなる全体の世界を理想としているってことなのか?

私が知っているキリスト教信者から共通して受ける感じは
確固とした意思の強さや、個として際立っているあり方で
むしろ他者とは融合せず、わが道を行くというような
カッコよさだが、本音のところでは
それを罪と感じていたのかもしれないと思うと、ちょっと親近感がわく。

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