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2013年5月28日 (火)

顔が見えない

経済が繁栄しても心が豊かじゃなければ幸せになれない
と大合唱していたのは、ついこの間ような気がするが、
あれはどこへ行ってしまったのだろう。
某大阪市長はひたすら墓穴を掘りつづけたいみたいだし、
ほんとうによく分からない毎日が続いている。

以前にアカウントだけ取っておいたツイッターを
遅ればせながら始めることにした。
そんなに言うことがあるとも思えないのでずっとほおっておいたのだが、
サッカーではマンCのユニフォームの色が一番好き、とか
ときどきたわいもないつぶやきシローになりたくなることは確かにある。
でも考えていることを書いて自分を表現するだけなら、
ブログのほかに小児科医のMLもあるし
Medi-waとかMJLなどのSNSもある。
こういう媒体にはない何がツイッターにあるのだろう。
それが知りたいというのが動機といえば動機だ。

何人かをフォローし始めて感じるのは
ツイッターと雑誌はどこが違うのだろうということだ。
ツイッターは基本的に「私はここにいます」的な媒体で
だから奥ゆかしい自分(笑)には向いていない気がするのだろうが
発信する側から考えればそういう媒体の特性はどれも同じともいえる。
新聞や雑誌(TVも)だって一生懸命「私はここ」を主張していて
むしろそれ以外はなさそうなところが気になるくらいだ。
S新聞とA新聞では180度(90度?)違うように見えるが
何を報道しないかという点ではあまり違わなかったりする。
だから受け取る側から見るとどれも同じような「私」に見える。

その点ツイッターはただのつぶやきなのに、
やたらにタイムリーで中身の濃い記事があったりするのだ。
これでは新聞や雑誌が売れなくなるのも無理ないなと思ったりもする。
そもそもタダだしー。
ネットのマガジンにも有料のはあるが、そこにお金を払うかどうかは
自分の無知を補ってくれる内容かどうか、
たまに興味のない記事が混ざっていたとしても、
秤にかけてみてブラスが多いと思えるかどうかにかかっている。
希少価値があるかどうかは重要だ。
タックスヘイブンはイギリスが考案したシステムだなんて
新聞は絶対書かないだろう。
そういう意味では情報もブランド品に似たところがあるが
ブランドのような幻想ではなく、もうちょっと実質的だ。

そんなときに飛び込んできたブラピの「相貌失認かも」ニュース。
相貌失認をテーマにした『フェイシズ』という映画は、
先日WOWOWで放映されたが、もっと面白くなるはずのテーマの割には
意外と凡庸なつくりで、ウィキによれば劇場にはかからなかったそうである。
主演女優(ミラ・ジョヴォヴィッチ)はよかっただけに残念だった。

「顔が見えない」というのは、いっときアイデンティティが不明確であることの
言い換えとして使われていたが、そもそもアイデンティティという概念自体が
揺らぎつつあるのが現代だろう。
ブラピは時代を先取りしているのかもしれない。

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2013年5月17日 (金)

コントロール

橋下大阪市長の「従軍慰安婦は必要だった」発言。
注目を浴びるためだけにしてはリスクが大きすぎる内容だと思うが
それを超える効果を狙ったと考えるのもあまりに買い被りすぎだと思うので、
とりあえず、思わず本音が漏れてしまったと考えることにする。

今回の事件で、建前を述べ続けることの重要性
(述べ続けるうちにそれが本音になるから)
を指摘したつぶやきもあり、それもなかなか勉強になったが、
本音にこそその人自身が顕れているという事実は変わらない。

この発言は女性蔑視とか人権軽視という観点で語られているが、
男性が性的エネルギー(まあ、これも時代や文化の賜物ではあるが)
にいかに翻弄されているかを述べたものとして見ると
また違ったことが見えてくるようにも思う。
こんな風に性的エネルギーの処理に翻弄されるのだから
戦争はしちゃいけない、という風に橋下さんが結論づけていたら
(というか、ひょっとしてそう言いたい?と思った瞬間もあるが)
ちょっとは擁護してやったかも、と考えないでもない。

そもそも自分の性的エネルギーを他人に頼らずに
自分で処理できない(しようとしない)というところがなんとも情けない。
自分のことは自分でできるようになる、というのは子育ての基本だが
私たちは、どこかで男の育て方を間違ったということだろう。

対照的だったのはアンジェリーナ・ジョリーの決断だ。
http://zukolog.livedoor.biz/archives/28064427.html

自分が親として妻として、そして女優、映画監督
国連難民高等弁務官事務所の親善大使としての役割を全う
するためにはどうするのがベストかを考えて決断したことがうかがえる。
予防医学というのはこういうものか、とちょっと絶句したのは
予防医学について私が無知だからなのかもしれない。
確率についての考え方、遺伝子の発現の仕方など
もっと勉強しなければいけないことはたくさんあるが、
乳がん患者の語りをデータベース化している
ディペックスなどで議論してほしい内容でもある。

橋下さんの話がいかにもけったいな共同幻想に
囚われているらしいことを髣髴とさせて失望を禁じ得ないのに対して、
アンジーの決断は、生きて行くということは
自分をさまざまな関係の中でどう位置づけていくかだ
ということを具体的に見せたという意味で衝撃的である。
幼稚な男と成熟した女というありきたりな図式では見たくないけど。

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2013年5月12日 (日)

鑑賞のツボ

小雨の中を川村美術館へ。

「五つの部屋をめぐる鑑賞ワークショップ『彫刻/オブジェ/立体』のツボ」

という美術講演会を聞きに行く。
5月になったら通常通りの活動を開始しようと考えて
1ヶ月ほど前に申し込んでおいたものだ。
彫刻の鑑賞のしかたというのがあるのかどうか
あるとすればどんなものかを知りたいと思ったのである。

道路状況がよかったこともあり早く着きすぎたので
ショップを冷やかしコーヒーを飲みながら開演を待つ。

講師曰く
今は教育界でも先生が一方的に喋るのはご法度、
生徒にいかに喋らせるかがテーマになっている。
サンデル教授の白熱教室みたいなのが理想、とのことで
このワークショップは
まずクジでどの部屋を鑑賞するグループに入るかを決め
その部屋での自分のお気に入りを決めたあと、
同じグループの人同士でグループのお気に入りを決め
それを参加者にプレゼンする、という流れである。
鑑賞のヒントとして、
塊感、日常性、世俗的、重さ、固定感、気持ち悪さ、アンバランス
などの観点が対語とともにチャート化された紙を渡され、
それにプロットすることで自分の感じ方を意識化できるようになっている。
参加者は50名ほどで、我が家のように
友の会会員とその連れ合いという雰囲気の人も結構いる。

私の鑑賞部屋は第五部屋になったので
クレス・オーテンバーグの
「エアーフローのための柔らかいタイヤ」を自分のお気に入りに決める。
グループのお気に入りは多数決で「ユル」
巨大な猫のオブジェである。
癒される感じがするとのこと。
この部屋はタイヤやペンなど日常にあるものを異質な質感で
再構成するというのがテーマになっており、猫もその中のひとつ。

自分のお気に入りとグループのそれが決まった後は
全員でそれぞれの部屋を回り、プレゼンを聞く。
それに講師や学芸員が補足を加えるという趣向。
耳の聞こえが悪く、集中しすぎて疲れたこともあって
終わるころには最悪のコンディションだったが
趣向そのものは、なかなかよかった。
結局彫刻でも特別な鑑賞のしかたがあるわけではなく、
作者がそのテーマで表現したかった新しい視点や
そこに込められた斬新な主張をどう読み解くか、
ということがツボで、しかしそのためにはそれが作られた時代背景や
作者の置かれた立場なども知っておかなければならず、
それは結局すべての芸術作品に共通していることでもある。

講師の
気持ちが悪いから嫌、などという気持ちも大事。
複雑な内容を持っているものほど奥が深い。
というコメントに納得。
嫌という気持ちも感動(気持ちの動き)の一種だし
キモ可愛いというのは結構高度な鑑賞眼なのだ。

5グループのプレゼンだけではとうていすべてを鑑賞しきれず
体調のいいときに再度来館することにして大雨の中を帰宅。
活動再開もなかなか苦労するものだと分かったのは収穫だったが
それ以上に彫刻や立体の鑑賞のしかたを確認できたこと、
参加型ワークショップが普通に美術界にも広がりつつあるのを
知ることができたのはもっと大きな収穫だった。

生きて行くには多少の無理も必要と考えることにしよう。

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2013年5月10日 (金)

被る理由

4ヶ月ぶりに髪切りに外苑まで。

バスでも歩いても行ける近所のデパートへは
先月からちょくちょく出かけているが
地下鉄を乗り継いでの外出は退院後初めて。
5月になったら、と自分で目標を定めたこともあり
やっとその時が来たという感じだが、
まだ若干弱気が残っているため結構勇気が要る。
頭に負荷がかかって頭痛が起きるとか
立っているのがつらい、などということはなくなったが
もし3.11のようなことがまた起きたら、
今の自分では頑丈に振る舞えない感じがするのだ。
でもまあ、とりあえず。

入院中に看護師さんに念を押された「無理をしないで」
という言葉を思い出しながら、無理をしないというのは
自分を甘やかすということと同じか、違うかなどと
考えながら駅のエスカレーターに乗る。
もちろん右側を歩いて上ったりはしない。

娘に「変」と言われた帽子は
入院など想像もしなかったずっと昔に
気に入って買ったものだが、
ユニークすぎてずっと被る機会がなかった。
それが入院生活のおかげで出番がやってきた。
髪の毛が伸び放題なのでと言い訳をしながら、
どこへ行くにも被って行ったものだが、これも最後かもしれない。
入院という前代未聞の経験のおかげで今まで以上に
人目を気にしないという度胸がついた。
もっともこれも健康人という枠から外れたことによる
疎外感のなせるワザだと言えないこともない。
このあたりは患者経験のある者同士で話し合ってみたいところだ。

予約時間より少し早く着いてしまったので、
ヘアーメイクの近所の和食器の店を冷やかす。
初めて入った店だがさりげなくおしゃれ。
醤油注しの手ごろなのがあったら買いたかったが
食器ほどはユニークじゃなかったので止める。

髪を切ってもらうと気分はほとんど健康人だ。
これで帽子を被る理由が内にも外にもなくなってしまった。

閑話休題

日経ビジネスオンライン(NBO)で小田嶋さんが
「女性手帳というパルプフィクション」というエッセイを書いている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130509/247789/?mlt

ずっと気になっていることだが
少子化という問題を解決するためには女性にこどもを生ませるしかない
というのなら、政治家なんていらないんじゃないだろうか。
少子化でも社会がうまく回るように考えるのが政治家の仕事だろうと思うが、
そういうのは斬新すぎて無理ってことなんだろうか。
いつまでも人の褌で相撲をとることばっかり考えてないで。

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2013年5月 1日 (水)

思い込みの起源

リハビリを兼ねて歩いて駅前のTSUTAYAへ。
『声をかくす人』と『人生の特等席』を借りる予定だったが
『最強のふたり』を見つけたので、『特等席』は次回にする。
『声をかくす人』は原題が「THE CONSPIRATOR(共謀者)」で
邦題ではなんとなくこの映画の問題意識が隠れてしまう感じがするが
日本的な奥ゆかしさの表れといったらいいのだろうか。
『リンカーン』も未見だが、リンカーンについて
ちゃんと勉強する必要があるのかも、とも思う。
どっちにしても歴史はもう一度勉強しなおさないといけない。

昨年末投稿した論文の査読が返ってきたので修正し返送終了。
昨年の暮れは絶不調だったから、この論文が査読の網に
引っ掛かってくれてほんとにありがたかった。
これまで何回か査読をしてもらった経験があるが、
いつも「ピントがずれている」感じがして、
こんなんでよく学会誌ってやっていけるものだと思っていた。
でも、今度ばかりは「ごもっとも」という内容で
書き直す過程でいろいろな気づきが得られたのも嬉しかった。

論文の内容は#8000の厚労科研研究班でおこなったもので、
100件以上も相談テープを聞くという大変な作業の結果である。
それを、「査読のある学会誌に投稿してください」との
厚労省の担当者のアドバイスにしたがってまとめなおしたのだが、
ちょうど頭がうまく働かない時期と重なってしまいつらかった。
だから書き直しは、脳の具合を測りながらの貴重な時間になった。

#8000は電話相談としては大いに問題があるのだが、
なぜそういう問題が生じたのかと考えていくと、
いろいろ面白いことが見えてくる。
それについては印刷されてから明らかにするとして
私がずっと不思議だったのは、

なぜトリアージが目的なのに電話相談なのか、
なぜ電話でトリアージができると考えたのか

ということだった。

医療の現場で仕事をしていなくたって、
実際の医療現場でやっているようなことが電話でできるとは
到底思えないものだが、
当の医療現場にいる人たちは、どうしてできると思ったのか
ここがずっと不思議でしかたがなかった。
たぶんそういうことが必要に違いないと思い込んでしまい、
だからたとえ不完全でもやらなければならない、
やらないよりはやる方がいい、と考えたのだろう。
(好意的に考えると、だが)
医療では、問題解決の手法がパターン化されているからかもしれない。
問題は、この思い込みがどうして生じたのかということで、
実はここが思考実験をしていてもっともエキサイティングなところだった。
で、そうやって考えを巡らせていって、ある結論に辿り着いたのだけど
これはそんなに突飛な内容でもなく、ごく当たり前の結論で、
その意味では、ちょっと脱力してしまった。
考えてみると、なんだか20年前にも別の業界で
同じことを言っていた気もする。

みみずのたわごとでも、ないよりましと考えることにしよう。

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