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2013年6月25日 (火)

遅れてきた者の特権

社会復帰第一号の映画はインド映画『きっと、うまくいく』
某ブログの理系と文系の巧みな融合という評に食指が動いて
観に行ったのだが、仲間内のメールに書き込んだら結構観ている人がいた。
3時間の長丁場(途中「休憩」という文字は出たけど休憩はありませんでした)だが、
これに耐えられれば相当自信がつくはず。
渋谷のヒューマントラストシネマに予約したので、
ついでにヒカリエにもちょろっと寄ることにする。
以前いただいた「サン・クワトロ・ヴァン」という店の
フルーツケーキがおいしかったので、自前で購入したくなったのだ。

ネットによるチケット購入は並ばなくていいとか、
いろいろいいことづくめなのだが
事前に席を決めるというのは良し悪しもある。
今回はせっかく中央の通路に面したスペースに余裕のある、
ど真ん中の席が取れたのに、そういう時に限って
前の列の人の座高がやたらに高い。
映画館では後ろの人の邪魔にならないように
身体を沈めるのがエチケット、と書いていたのは
淀川さんだったか誰だったか。
あの事前のパントマイムに後ろの人も意識するように加えてほしいものだ。

『きっと、・・・』は工学部の学生が主人公ということもあって
随処に理系のエピソードが散りばめられているが、
何が人生の幸せか、という深遠な問いをインド社会のさまざまな
問題を散りばめながら見せてくれるという点では社会性充分である。
インドでも日本でも、若者はみんな同じ悩みを持っている
というのは、ちょっと新鮮な驚きだったが
それだけ経済が成長し富の平準化が進んでいるということだろう。
人類はみんな同じ道を辿っており、
これがグローバルということなのだ、と思わないでもない。
世代間の価値観の相克をどう乗り越えるかという点も同じである。

これを決して深刻にならず、むしろ軽やかに描いてしまえるのは、
彼らが遅れて来た(経済成長した)者の特権として、
問題にぶち当たらず、答えをもがき探す必要がなかったというより、
むしろ彼らがこれまでの長い歴史の中で、普遍的な答えをすでに
掴んでしまっていたからではないかという気がする。

ー鶏には卵の運命はワカラナイ、
目玉焼きになるのかヒヨコになるのかなんてー

という思わず踊り出したくなるような楽しい歌は、
突き抜けた者にしか歌えない。
あのどっちかというと脈略のない、いきなりの歌と踊りが、
ここではうまくかみ合って主人公を祝福してくれる。
これこそマーケティングの成果だろう。
インド映画はたぶん世界標準になりつつあるのだ。

ウエルメイドな映画という意味では『レ・ミゼラブル』もそうである。
筋書きがたどれる程度に枝葉はバッサリ刈込み
愛の物語を歌で見せるという手法は、なかなか斬新である。
うむ。さすが『英国王のスピーチ』の監督だ。

原作は読んでいるはずだが、細部はもうほとんど記憶にない。
ええ!ジャベールは自殺したんだっけ????という具合である。
だからこの部分がもっとも印象に残る。
法の番人を自覚していた彼の自我が盗人から聖人に変わっていく
ジャン・バルジャンによって崩壊させられ自殺した
という解釈は分かりやすいが、なんとなく腑に落ちない感じもする。
この時代にそんな理性的な思考ができたのかしらと思ってしまうのである。
ジャベールは法の番人に順応することで自我を創り上げていた。
しかしジャン・バルジャンは盗みもすれば聖人にもなるという自由を有していた。
自我とは自分を殺して何かに順応することによって創り上げられるのではなく、
その時そこに在る自分に責任を負うという在り方によって創られるものだ
と考えるとジャン・バルジャンは近代的な自我を体現しており
むしろジャベールの自殺はそういう自我のぶつかり合いの結果なのではないか。
『レ・ミゼラブル』のテーマは真実の愛だと言われるし、
まさにそれが心に深く残っているが、同時に
人間の自由についても改めて深く考えさせられる映画だった。

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2013年6月 5日 (水)

日本人はユートピアを目指す

橘玲氏の『(日本人)かっこにっぽんじん』を面白く読む。
日本人論である。
400ページ近い分厚い本だが、「ああ、読むと終わっちゃうぅぅ」と思いながら
ページをめくらずにいられなかった。
読書で寝食を忘れそうになったのは(忘れなかったけど)久しぶりだ。
著者については全く知らなかったが、アマゾンのレビューによると
「宝島」の編集者だったそうである。
読者を楽しませるのが上手いのは、そのせいかもしれない。

どんな民族でも、特殊と言えば特殊だしそうじゃないといえばそうじゃないが、
日本人は、比較的自分たちを特殊だと思いたがる傾向があるのかもしれない。
たぶん理解してほしいと渇望しながらも、
常に理解されていない感じがつきまとっているのだろう。
その辺のところを、この本はうまくすくいあげている。
実際には日本人の特性と言われるものは多くの点で
農耕社会を生きてきた東南アジアの民族とほとんど同じであり、
決して特殊じゃない。
たとえばタイには13種類の微笑みがあり、
アクシデントに際してもそれは消えないという例が示されるが
これを単なる無作法と断罪せず、なんとなく理解してしまうのは、
私たちも同じ系列の民族だからだ。

ところが世界価値観調査というのがあって
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BE%A1%E5%80%A4%E8%A6%B3%E8%AA%BF%E6%9F%BB
これによれば、日本人は世界でも突出して世俗的・合理的である。
たしかに結果マップを見ると、日本人はまるで北海の孤島のように
ポツンと離れたところに位置している。
もっとも世俗的・合理的という表現はどう考えても
日本人を正しく表していない感じで違和感がある。
世俗的はまあいいとしても、およそ合理的とは程遠いのではないか。
そんなに合理的なら、もっと国際社会でもうまくやれるんじゃ?と思わなくもない。
でもこれを現世利益的(現実的)、快感原則優位的と言い換えると
なんとなく自分のことを言われているような気になってくるから不思議だ。
私は社会学者じゃないので、この種の調査の設問や
回答者の質問理解、あるいは回答のしかたなどが
どんな風に結果にバイアスをかけているかは分からないのだが、
結果だけを見ると確かに特殊である。
う~ん、こんなに離れ小島にいては、やっぱり理解されにくいかも。
そしてこの調査結果によれば
日本人は世界でもダントツに権威や権力を嫌う国民らしいのだ。

一方で日本人はアメリカ人よりも個人主義的(自分勝手)
という山岸俊男さんの実験結果も示される。
この実験結果は私も知っているが、最初に読んだときは、
やはり実験方法に問題があるんじゃないかと思った。
私のイメージではアメリカ人こそが個人主義的で、
だから日本人はいろいろな局面で敵わない(負ける)のだと思っていたからだ。
誰でも他者に対する固定したイメージを持ち、多くの場合自己イメージとは
他者の持っているイメージが自分に投影されたものだと著者は言う。
日本人はつつましく謙虚で自己主張しないと言われているのは
そう思われていると自分が思っているだけなのかもしれない。

著者の解説によれば、日本人は世界でもっとも世俗的で
「他人に迎合するより自分らしくありたい」
「じぶんの人生の目標は自分で決めたい」と考えており
ご利益のない神を信じず、地縁も血縁も捨てて
「一人一世帯」の無縁社会に生きている。
ここでのエピソードはあまりにぴったりしていて爆笑ものである。

最後の方で著者は自分のユートピアと注釈をつけつつ
貨幣経済は評判経済にとって代わられると述べ
評判経済はみんなを善人にする。
この最先端に日本人はいるのだと述べる。

権威権力は嫌いだけど超世俗的な日本人。
金の代わりに評判がとって代わると言うのは・・・
私自身は承服しがたいがありなのだろうか?
と考えていたらWOWOWの海外ドラマ『ニュースルーム』で
「ウイル(主人公)は孤独だから視聴率を気にするのだ」というセリフが出てきた。
このドラマはアーロン・ソーキン(ソーシャル・ネットワーク)の脚本で
テレビジャーナリズムの内側を実に興味深く描いているが、
そうか、孤独 という補助線があったか。
たしかこれって援助交際をどう理解するか、というところにも出てきた。
ツイッターもフェイスブックも、孤独から逃れる手段と考えれば
人類はみんな日本人みたいになりたがっていると言えなくもない。

もっともユートピアを目指す最先端には
孤高な歩みしかないような気もするが・・。

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