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2013年8月30日 (金)

私の中の『テッド』

ギンレイへ2本立てを観に行ったりするくらいの体力は
回復してきたが、活字を読むと頭の疲労が甚だしい。
どうも目から入る情報だと負担が大きいようなので、もっぱら耳を使うことに。
目は片方しか見えないと遠近感に慣れるまでいろいろ不都合があるようだが
耳は片耳しか使えなくても指向性に気をつければさほど不自由ではない。

ラジオには結構面白い番組があるのだけど、
テレビと同様、時間帯が遅いと聴いていられないので
ポッドキャストになったのを、好きな時間に聴くことにする。
これはPCでなくてもスマホがあれば時間も場所も気にしなくてよく、
ほぼオンデマンドだからとてもありがたい。
惜しむらくは、どの番組も全部ポッドキャストになるわけではないこと、
自分で録音ができるようには、まだなっていないことである。

目下のお気に入りは、町山智浩さんのアメリカ映画特電。
WOWOWの町山さんの映画塾もすばらしいが、
町山さんがバークレーの自宅から放送している(た?)というこの番組は
放送禁止用語満載で爆笑ものというだけでなく
目配りの利いた解説が、映画に対する関心をかき立ててくれる。
彼が創刊した「映画秘宝」という雑誌は読んだことはないが、
wikiでこの人の来歴などを読むと、この人の感性がどういう風に
形作られてきたのかを知ることができる。
つくづく鋭い感性はぬるい環境では育たないものだと痛感する。

ところで『テッド』は町山さんとはまったく関係なく関心を持った。
きっかけは今年のアカデミー賞授賞式の司会をした
セス・マクファーレンがすばらしく多才だったからだ。
おそろしくバカバカしい映画みたいに見えたが、
これがギンレイにかかったのは快挙だろう。

テッドは男の子にとって、いわばアホな分身みたいなもので、
男はこどものころからこういう分身と親友のようにして
生きているのだなあと思うとちょっとうらやましい気もする。
自分の中に悪友を抱えて、それとつかず離れず(一体化している方が多いが)
にいるというのは、そう簡単なことじゃない。
なにしろ悪友だから、常にどこか後ろめたい部分がある。
でも誘惑には抗えないという無力さも感じさせられる。
男が多かれ少なかれみんなホモみたいに見えるのは、
こういう悪友を抱えているからだと言わんばかりである。
そのホモから卒業するのが(アメリカでは)大人になるということで、
そのひとつの節目として結婚があるわけだ。
結婚が男にとってなんとなくもの悲しい
雰囲気を漂わせているのは、大人になりたくないという
少年の悲鳴が内に秘められているからなのだろう。
もっとも日本の例を見れば分かるように、
結婚したからって男のホモっ気が抜けるわけじゃない。
だから、結婚式にテッドがついて行かなかった結末は、
私にはちょっと意外だった。
ほぼ予想通りの展開だったのに、そこだけが予想外だった。
うーむ、こういうのを文化差というのだろうか。
セス・マクファーレンが才人なのは、これを男自身の話に留めず
アメリカ社会にまで敷衍させているからだろう。
テッドが勤めているスーパーで昇進していくさまなんて
ほんとに爆笑ものだが、妙にリアリティがある。

分身は女にとってもないわけじゃないが、アンネにとっての日記と
ジョンにとってのテッドではちょっと違うような気もする。
女は基本的にバカをやらないんじゃないか。
女がバカをやるときは、どうしてもまじめにバカをやってしまう。
バカを抱えながらもがいている女の人には あいにく出会ったことがない。
そういう人がいたら、親友になりたいものである。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic


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2013年8月 3日 (土)

ごまかしの行方

遅ればせながらツイッターを始めて2ヶ月。
まだ使い方には習熟できていない。

フォローしている人数は20人にも満たないのに、
結構な量の情報が流れてくる。
単なるお知らせもあるが
読みでのある記事が添付されているのも多い。
情報処理能力がたいして高くない私はすでにアップアップである。
じっくり読みたい記事があっても、頭が疲れそうなので
(実際一生懸命読みすぎると頭が痛くなる)
とても追いかけきれない。

みんなこんなに多量の情報をどうやって処理しているのだろう。
適当にスルーするか脊髄反射的に反応するだけなのか。
きっとオタクと言われる人たちは、
こういう情報環境に反旗を翻した人たちなのだろう。
情報の水平処理ではなく垂直処理を得意とする人たち。

ちなみに巷ではオタクをどのように捉えているのか。

「オタクを研究している学生です」
という問い合わせに対する回答が素晴らしい。
#oshietegoo http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6298354.html @oshiete_gooさんから
日本人にはオタク気質がある、という洞察もすてきである。

そんなオタクの人たちに学びながらの最近。

WOWOWで『マーガレット』という映画を録画して見る。
マット・デイモンが出ているという理由だけで録画したのだが
なんでこんなに豪華な俳優陣?という不思議な映画である。

リサ(アンナ・パキン)という高校生のちょっとした振る舞いが
バスの運転手(マーク・ラファロ)にわき見運転での悲惨な事故を起こさせる。
被害者の女性は足をもぎ取られるほどのケガを負って死ぬ。
現場に居合わせたリサは動揺し、
被害者は赤信号なのに渡ろうとしたと証言して、運転手は無罪放免になる。
運転手を無罪にすることで、自分も(無意識に)罪を免れようとしたのである。
リサの両親は離婚しており、リサは女優である母親と弟と住んでいる。
別居している父親との関係は特別悪くはない。
先生(マット・デイモン)にカンニングを諌められても
うまくごまかす才覚もあり、
ごくありふれたアメリカの高校生生活が描かれる。
しかし時間が経つにつれて死んだ女性のことを考えるようになり、
次第に運転手が無罪になったのはおかしいと思い始める。
なんとか彼を有罪にしなければ、自分の正義が果たせない
と考えるようになって被害者の女性の親友と共に
バス会社に対して訴訟を起こすまでになる。

見ているこちらは「君の正義感は君の罪悪感の裏返しでしょ」と思うが
当の本人にはそういう認識はない(らしい)。
この辺のアンナ・パキンの演技はすごくうまい。
時期が合っていればアカデミー賞確実だったろうという評は同感である。
気がつくと2時間半を超える映画になっている。
ティーンの(よくある)欺瞞がテーマにしてはいかにも長いが
9.11直後のアメリカの欺瞞だとすれば納得である。
2005年に完成したにも関わらず、公開が2011年というのは
その辺の事情も影響しているかもしれない。

人はしばしば自分の罪を相手に投影して、相手を断罪しようとする。
自分を罰したくないので、代わりに相手を責めるのである。
これによって表面的には自分には罪はなく、相手の罪を責めるという
何かいいことをした気分も得られるから一石二鳥である。

いじめや虐待には、こういう要素も多分に含まれているのだろう。

私が知っているある女性(仮にAとする)は妻子ある男性と不倫の末
先妻を追い出す形で結婚した。
先妻と男性との間の生後間もない娘は男性が引き取った。
その後Aとの間にも娘がふたり生まれ、生活は裕福だったが
男性の連れ子に対してはネグレクトという虐待が日常的だった。
Aにとっての先妻の連れ子は、単に結婚生活に邪魔なだけでなく、
罪悪感という、Aがもっとも見たくないものをつきつける存在でもあったから
無視せずにいられなかったのだろう。

多くのいじめで加害者が被害者に向かって
「うざい」とか「死ね」などと言うのも
実は相手の中にうざい自分自身を見ている可能性がある。
それを無きものにしようとして、結果的に相手が亡き者になってしまう。
でもうざい自分は消えていない。
そのことをいじめる側が知るチャンスはあるだろうか。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic

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