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2013年9月12日 (木)

オリンピックがもたらしてくれるもの

2020年オリンピック開催は東京に決まった。
個人的にはイスタンブールに取らせて
世界の富を平準化したかったが、
日本もデフレに苦しんでいるこの際、オリンピックが来ることで
福島の復興が進む可能性に賭けたいという気持ちを許してもらおう。

生涯に2度も生でオリンピックを経験できるという以上に
こどもたちに生オリンピックを経験させてやれることが素直に嬉しい。
64年のオリンピックの時私は中学生だった。
この時代はあとから振り返って「貧しかった日本」とか言われる時代だが、
渦中にいた者としては、特別貧しいとは感じていなかった。
ただ日々の食べ物に困るということはなかったけれど
個人的にはいろいろと過酷なことを経験していた時代で、
それが貧しさによってもたらされたものなのか
人間の本性によるものなのか、今も考え続けてはいる。

そんなこともあり、マラソンのアベベと円谷、
長時間の棒高跳び(ハンセン、ラインハルトという名前はもうすっかり忘却)
東洋の魔女と言われた女子バレーボールなどには大興奮だった。
ひとつひとつの競技に感動して新聞を切り抜いたりもしたが
なんといっても圧巻は閉会式だった。
開会式はお行儀のよい行列以外はほとんど記憶にないが、
(それさえも映像でやっと思い出す程度だが)
閉会式に各国の選手が肩を組み、あるいは手に旗を持って
てんでんばらばらに、楽しそうに嬉しそうに入場してきた光景には、
ほんとに度肝を抜かれてしまった。
瞬間的に、ああこれがオリンピックだと思えた。
国や人種を超えての交歓。これがオリンピックの本来の姿なのだと。

現代風に考えると誰の演出?などと考えてしまいそうだが、
当時はこれはどうやらほんとうに、
係り員が選手たちを制止できなかった結果らしかった。
(NHKのアナウンサーはしきりにそう言っていた)
なんでも言われた通りにしなくてもいいんだ!という感覚も
このとき強烈に意識づけられたように思う。
メダルを取るか否かではなく、大事なのは主体であるという意識なんだと。

情報化が進んだ今では、こんな素朴な話はおとぎ話に聞こえるだろう。
若い世代は私たち世代より国家意識が強く、しかし
同時に国境を超えた世界市民意識も強そうに見える。
9.11後のイラク爆撃が解決になると考えた人は少なかったはずだが
私たちは情報戦に負け、時として世界は不本意に動くものであり、
平和を実現するのも一筋縄ではいかないことを痛感したのだ。
(もちろん、ベトナム以後ずっとそうだが、情報戦を痛感したのはイラクが大きい)
シリアへの爆撃を主張するオバマへの反対が多いのはその成果だ。
政治家は一般市民を危険にさらさない方法を考えるのが仕事であって
大統領のメンツなんかで動いてほしくない、というのが一般人の本音だろう。

7年後のオリンピックは、こうした世界市民意識を国境だけでなく
健常者と障害者の間にも敷衍させる機会であってほしい。
私たちはある意味誰もがハンディキャップパーソンなわけで、
健常者と障害者というように言語化して区別するほどの
差は本来的にはないかもしれないからだ。
ぜひ7年後のオリンピックでそれを実証して見せてほしい。

そう考えるとオリンピックが「東京」へ来たのもまんざらではない気分になる。
自分の差別意識をもっとも意識化できていないのが日本人だとも思えるからだ。


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