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2013年10月 1日 (火)

『そして父になる』

是枝裕和監督の映画は、
日本映画にありがちな妙に湿っぽいところがない。
これが世界に通用する大きな要素だろう。
もちろんそれは情緒を描いていないということではなく
描き方が湿っぽくないということだ。

『誰も知らない』が衝撃だったのは、
”私たちは何も知らない”ことを突きつけられたからだが
母親(YOUが好演)が”解散!”という感じで
あっけらかんと出ていってしまい、そして
それが残されたこどもたちの生きる力に
なったのかもしれない、とも思わされたからでもある。
湿っぽくても乾いていても身勝手は身勝手なのだが
正面からそれと向き合えれば、乗り越えることは可能、
と言われたような気がしたのである。

カンヌ国際映画祭で審査員賞に輝いた
『そして父になる』
http://soshitechichininaru.gaga.ne.jp/
で身勝手なのは父(良多)である。

もっとも身勝手とはちょっと違うかもしれない。
独りよがりといった方がいいだろう。
良多は会社では、おそらくそうやって業績を上げてきた。
会社は階層組織だから、それが可能なのだが
だから家族にもそれが通用する
と思ってしまうところは、ごく当たり前の男である。
彼の父親も離婚・再婚しており、良多はそれを受け容れられなかった。
それは彼が成長してからのことだったからだ。
だから父の独りよがりを単なる手本にしてしまったのかもしれない。

でも最初からまっさらな環境に投げ込まれれば
こどもは血のつながりとは関係なく
大人の身勝手や独りよがりになんとか適応していくものなのだ。
新しい部署に異動した良多が、人工的に作られた林を歩きながら
よそから飛んでくるのではなく、ここで生まれて脱皮する
ようになるには15年かかるというセミの話を複雑な表情で聴くのは、
血の方が大事という自分の思い込みが
正しいと証明されるまで15年もかかるのか、という想いと
自分の適応を難しくした15年の両方に思いを馳せているからだろう。

一方でさまざまなエピソードによって
慶多の優しさや琉晴の強さは血かもしれないとほのめかされる。
適応の底に流れている素質は決して無視できないが
親にとってそれはギフト(僥倖)なのである。

後半、病院での取り違えが単なるミスではなく
他人の幸福を羨んだ担当看護師の仕業だったと明かされる。
取り違えられた方はいい迷惑だが、病院のシステムではなく
人が他人の幸福を羨んだゆえの行動とすることで
話の焦点がボケずに済んだ。

子どもと動物にはかなわないと言われるが
慶多と琉晴だけでなく琉晴の弟のやまとなどは、
まるでリリー・フランキーの本当の子どもみたいに
伸び伸びとリアルである。
福山君もリリーも独身というのが監督の狙いなのだろうが
是枝監督、恐るべし。

ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic

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