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2014年4月11日 (金)

『ウォルト・ディズニーの約束』

『ウォルト・ディズニーの約束』は公開されたら必ず
観に行こうと決めていた。
「メリー・ポピンズ」は原作も映画も大好きだったが
映画では原作の持つちょっとビターな感じはだいぶ薄められており
だから原作の持つ苦味がどこからくるのか
ということが明らかになりそうなこの映画に期待した。
そしてメリー・ポピンズがこどもたちのためではなく
こどもたちの父親のためにやってきた、
ということを、この映画で初めて知った。
だから映画の原題は『Saving Mr. Banks』なのである。

映画は原作の映画化までの長い道のりと
原作者であるトラヴァースの幼少期とを交差させながら展開する。
イギリス人らしい皮肉屋で辛辣なトラヴァースと
右派と言われながらもファンタジックなアニメを数多く
制作してきた陽気なディズニーの対比が面白いが
トラヴァースの辛辣さや強靭な自我は、
幼少期に最愛の父を失うという過酷な経験と、
それを十分に咀嚼できなかったことと関連があると
思わせるように映画では描かれている。
彼女は最愛の父を救えなかった自分の無力さに対する
自責の念で頑なさから抜け出せなかったのだ。
直接の原因が自分になくても、こどもが事態を自分のせいだと
思い込むのは、よくある話ではある。

彼女の父親は作家のような想像力と繊細な感性を持つ
娘思いの男だったが、その感性は銀行マンには向いていなかった。
それがすべての悲劇の原因だったとも思える。
その結果、酒におぼれ銀行も首になり、
母親さえも危うく自殺しそうになる。

こどもの頃、母親が目の前で自殺したという知人がいたが、
それはおそらく自分が部分的に失われることと近かっただろう。
喪失による精神の不安定さは彼女の魅力のひとつでもあったが
こども時代の経験を乗り越えるのは難しかったに違いない。

だからトラヴァースがすんでのところで
母を救うことができたのは彼女にとってもラッキーだった。
こうした過酷な時期に救世主のように現れたのが
母親の姉(伯母)だった。
トラヴァースは彼女からメリー・ポピンズを造形したのである。
「メリー・ポピンズ」が持つ苦味はバンクス氏だけでなく
トラヴァース自身も救われる必要があったからだったのだ。

資質と職業のミスマッチという悲劇は、しばしば経験するところである。

映画を見ながら私は自分の父をミスターバンクスと重ねていた。
父は銀行マンではなかったが、その資質はバンクス氏同様
ビジネスには向いていなかった。
それなのにビジネスマンにならざるを得なかったのは
親の期待に背けなかったからでもあるし
時代に逆らえなかったせいでもあったかもしれない。

予測不能な不確実な時代に生きていることは、
現代人にとってはほぼ常識だが
ひと昔前までは、過去は現在を貫いて未来に向かって
直線的に続いていると思われており
過去の基準でシアワセを実現できれば
未来のシアワセにつながると考えられていた。
そんな中では、シアワセとは試行錯誤しながら
自分で見つけるものだ、などと考えるのは
さぞエネルギーの要ることだっただろう。

そうした時代がもたらす悲劇を考えれば、
こどもが親の期待などどこ吹く風と
好き勝手にふるまえる現代は、つくづくいい時代だと思う。

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