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2015年8月25日 (火)

2つの『日本のいちばん長い日』

1967年版(岡本喜八監督作品)については
制作発表についてのうっすらとした記憶がある。
三船敏郎をはじめとして映画俳優総動員という雰囲気だったが、
昭和天皇については誰が演じるのかも明らかではなく、
映画の中でもその姿はほとんど画面に映らない。
それだけ天皇に対するタブーが大きかったのだろう。

終戦に当たって昭和天皇がどのような役割を果たしたのか
本木クンが演じている2015年版(原田眞人監督作品)では
その辺はどう解釈されているのだろうかと
興味がわいたので観に行くことにした。
友人の中には岡本版を絶賛する人もいて
賛否は分かれているようだけど、私はリメイク版も充分楽しんだ。
現代作品らしく場面転換がスピーディで何よりカラーで画質も良い。
岡本版の白黒によるあっと驚くような凄惨な場面は
その分抑えられて表現されている。
ある意味昔の方が過激だったのだな、と思わないでもない。

両方に共通しているのは陸軍の暴走ぶりだが
岡本版は玉音放送に至る1日だけを描いているせいか
彼らの直情的な悲壮感が濃厚に漂っているのに対し
(もちろん観る側からすれば滑稽ではあるのだが)
原田版では描いている期間が長い分、
より客観的で滑稽さが前面に出ている印象がある。
あのニワトリみたいなお辞儀は実際の所作だったのだろうか、
それとも監督の演出なのだろうか。
形だけを守ろうとするとああいうことになるのだよね、と
日本のサッカーが勝てないのも、これだよ、などと関係ないことを考える。

開戦も終戦も天皇の責任によって
おこなわれたはずなのに、
終戦となるとその天皇の意思など簡単に無視されそうになる。
まあ自分たちの組織の存亡がかかっているから
仕方がないのかもしれないが、
組織の命令指示系統がこんなに簡単に無視されるとしたら
日本にはとうてい軍隊などという組織は根づかないのではないか。
命令だから何にも考えずに虐殺にまい進する、というのも困るが
指示系統などいざというときにはあってなきがごとし、
というのも考えものだなあと思う。
人間は舞い上がった後の着地が難しいが、
どういうときにそうなるか、私たちは自分のことも含めて
よーく考えておいた方がよさそうだ。
あれは陸軍だけの問題じゃない。

「国体の護持」が保証されなければポツダム宣言は受け入れ難い
と陸軍は息巻くが、そこでは国民の生活などすっ飛ばされている。
当時は帝国憲法の元でのことだから
国体を「国民の生活を成立させている構造」
と考えた人は誰もいなくて、天皇を頂点とした国のかたち
と考えたとしてもやむを得ないとは思うが、
原田版から伝わってくるのは、
それも表向きの言い訳にすぎないんじゃないかという雰囲気である。
むしろ陸軍は軍部という自分たちの権力構造を
支えるなにがしかを「国体」という都合のいい言葉で
カモフラージュしようとしたのではないだろうか。
こういう「理屈と膏薬はどこにでも貼りつく」事例は
おそらく今も社会の各所で健在のはずだ。

おそらく原田版はそのことを見抜いており
だから滑稽さが前面に出てきたのだろうし
岡本版はそのことを正面から主張するには
まだ躊躇があったので、それが悲壮感となって漂ったのかもしれない。
「日本帝国の葬式」と言いながらも
帝国への郷愁があったといったら厳しすぎるだろうか。

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