« オリジナリティ? | トップページ | 欲望、このはかないもの »

2015年11月10日 (火)

『メディアとしての医療』

10月24日に東京工科大学でディペックス・ジャパンによる
第3回患者の語りの教育的活用ワークショップが開かれ、
問題提起をさせてもらう機会があった。

このワークショップは、ディペックス(http://www.dipex-j.org/)の
語りのデータベースを、どう医療に役立ててもらうか、
医療者と患者(一般人を含む)とで考えようというもので、
今回は医療者と患者のコミュニケーションがテーマになったため、
患者経験もある私にお鉢が回ってきたのだ。

一昨年、確かに人生初の大手術と長期入院という経験はあるけれど
長年電話相談というコミュニケーションの根幹を経験してきた者としては、
個人的な経験より、もう少し俯瞰的な話をしておくべきだと考えて、
『メディアとしての医療』と題して20分ほど話をした。

ここでいうメディアとは、一般的に理解されているような
テレビとか新聞・雑誌といった情報媒体のことではなく、
文字通りミディアム、つまり「中間体」のことである。

概要のパワーポイントはグーグルドライブにアップしたので
そちらで見ていただくことにして(うまくアップできているか不安)

https://drive.google.com/file/d/0BwH-kjjIMgqgNWUySEg0QlR6M1U/view?usp=sharing

以下にパワポに沿った概要を。

ミニメディアとしての電話相談

電話相談がマスメディアに対してミニメディアと言われるのは
マスメディアが多数を相手にした片方向の発信媒体であるのに対して、
電話を介した個人対個人の双方向コミュニケーションという
規模の小ささによるものだけれど、メディア(中間体)というからには
何かと何かを結びつけるものでもあるはずである。
それは何だろう、と考えてみると
相談事業を経済的に援助しているクライアント企業と仮定することができる。

生活者の声をどうクライアント企業に届けて企業活動に役立てるか
というところで電話相談はメディアとしての役割を果たしてきた。
ここで重要なのは電話のかけ手と受け手が対等であるように、
クライアント企業との企業同士の関係も対等であり、
経済的に援助をしてもらっているから、自分たちの意に反したこともやる、
という関係ではないということである。
生活者は自分の問題を発信し、電話相談はそれを受け止め、
企業はそういう生活者の声を聴いて、自分たちの活動方向を定める。
そうやって社会は形成されていく。
誰もが社会を形成する一員なのだ。

一方マスメディアもスポンサー企業に経済的に支えられている
という意味では同じ構造を持っているが、ともすれば経済的な優位性に
屈服しがちな例は、昨今よく見かけるところである。
不思議なのは、電話相談が利用者からお金を取らない(取れなかった)分
クライアント企業に対する経済的な依存度はより高く、だからこそ
対等な関係性を保つことが必至だったのに対し、
マスメディアの場合は購読者や視聴者からも料金を徴収しているにもかかわらず、
ともすればスポンサー企業(国も含む)に屈服して、
ともすれば彼らの意向に沿おうとする。
それは結局のところ、経済というより権力と一体化しやすい傾向が
彼らにあるからではないのか。

電話相談の相談傾向を社会の変化と対比させながら
俯瞰的に眺め、分析すると、情報化の進展に伴って
かけ手も変化していることが分かる。共通するのは
どの時代もどのテーマの相談も「自分にとって」という
個別性の追求がかけ手のテーマだったということ。

96年に発表した論文で興味深かったことは、医療者とマスメディアの
コミュニケーションの特徴が驚くほど似ていたことだった。
多数を相手にした片方向のマスメディアのコミュニケーションパターンが
ともすれば一方的になりがちなのは理解できなくもないが、
一対一の医療現場におけるコミュニケーションパターンが
同じ傾向を示すのはどういうことだろう。

医療にとっては実は個別性の追求が最大の難関で、
だから電話相談がその受け皿になってきたのだけれど、
そのせいで当初、電話相談は医療者から目の敵にされた。
それは、そうした個別性の追求が、自分たちの正当性
(科学的、普遍的な答こそが正当と考える傾向)を
否定しているように感じられたからだろう。
本当は科学的、普遍的な答えに対して懐疑を抱くことこそが
患者の声に耳を傾けるということであり
彼らの責務でもあったはずだが、そこには気づこうとしなかった。
それが今も変わらないことは#8000の研修をしていても分かる。

つまりマスメディア同様、医療者も権力と一体化しやすい傾向があるのだ。
医療者はそうやって自分の存在意義を確認してきたのかもしれないが
まずはそういう自分たちの傾向を自覚し、メディア(中間体)として
権力とは別物として独立し、自立することから始める必要があるのではないか。

概要ここまで。


先日のBPOの見解はこのことの別の角度からの指摘だろうし
http://www.bpo.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/kensyo/determination/2015/23/dec/0.pdf
是枝さんのブログもそれを補足していると思ったので
http://www.kore-eda.com/message/20151107.html
ここに載せてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました。


ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic


|

« オリジナリティ? | トップページ | 欲望、このはかないもの »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/159267/62650100

この記事へのトラックバック一覧です: 『メディアとしての医療』:

« オリジナリティ? | トップページ | 欲望、このはかないもの »