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2016年3月29日 (火)

退屈な患者の話から学ぶことがあるとしたら

備忘録としてブログを書こうにも
時間の流れが早すぎるのかなかなかできないでいる。
ツイッターではつぶやいているのだから
手が動かないわけじゃない。
頭が働いていない(考える力が落ちている)、
としたらつらいものがあるけど・・・。

日曜日の午前中はディペックスの教育ミーティングだった。
バレエのレッスンを休んで出席する。

ディペックスでは患者のインタビュー映像を
医師や看護師などの医療関係者の教育に
役立たせたいと考えて
新たなプロジェクトを発足させている。
そのミーティングだ。

医療にとって患者の全体像を捉えることの重要性は
以前から言われてきた。
ディペックスでアップしているインタビュー映像は、
その目的で使われることも期待されているが
トピック別の映像だけでは、全体像の把握は
難しいのではという議論から
もう少し違ったものを作成しようということになった。
今は20分くらいの少し長いサンプル映像を編集作成し
各所で使ってもらって感想をフィードバックしてもらっている。

ほとんどの患者のインタビューは全体で2時間以上、
A4文字起こし原稿にして40枚以上はあるから
そこからどこを切り取り、編集するかを考えるのは大仕事である。

ミーティングは
学生には20分見続けるのは長すぎる、とか
できあいのドキュメンタリー映像と比べた時に
リアリティに欠ける感じがする、などという
現場サイドの意見から議論が始まった。
要するに授業に使うのに使い勝手が悪い、ということだ。

どんな仕事も時間が経つにしたがって目的やその本筋が忘れられ
枝葉ばかりが問題にされるようになるのはよく経験するところだ。
なぜ患者の全体像を捉えることが必要なのか
という当初の問題意識が薄まりつつあるのか、
それとも実はそこの合意自体が不十分だったのか。


ただ同様のことは、#8000の電話相談員研修でも見られる。

医師や看護師などの医療者は、電話相談を、
自分たちが患者を操作するための感じのよい会話法
という程度にしか考えていないところがあり、

何のために電話相談が生まれ、必要とされてきたか
とか
患者(一般人)は電話相談をどのように使いたいと思っているか

という視点は無視されがちで、うまく対応できないとしたら
技術や医学知識が不十分だから、と考えたがる。
(たしかにどちらもお粗末なレベルではあるのだが)


医療者は医学知識の獲得にはことのほか熱心だが、
患者(生活者)が何を望んでいるか、
について考える習慣がないまま、これまでやってきた。
医療の主役が患者ではなく医療者という意識が強かったからだろう。
だから「治療がすべて」とばかりに
自分の仕事だけに注意が向いてしまう。
ひょっとしたら患者は自分とは違うことを考えているかも、とは想像もしない。

そこが医療における問題は何か、という問いへの答えが
見出しにくい原因かもしれない。

昨日検討した事例は、あちこちの医療機関を受診したために
実際の診断がつくまで数年という時間がかかり
診断がついたときには末期の癌だった、という内容で
出てくる医療機関(医師)は患者の症状を
自分の専門に合致するかどうかという
視点からしか見ないという、ひどい医療のお手本のようなレベルだった。
私などはそのあまりのひどさに腹が立ち、
これは患者が賢くなるしか手はないと考えて、
そういう方向で映像を作成したらどうかと口走ったほどだ。

専門分化の弊害からやっと総合診療医が出現するまでになったが
ともすれば医療者は医学的な知識さえ身につければ完全になれると考える。
だから完全を目指すための勉強には熱心だ。
でもそこで目指されている「完全」とは何か、
ということははたしてどのくらい真剣に考えられているだろう。

別府先生が指摘するまでもなく、
医療者に必要なのは自分が「不完全」という自覚なのだが、
現実世界で完全を目指してきた人が
「不完全」な自分を受け入れるのは難しい。

患者を知れば知るほど、医療者は自分の不完全さに
直視せざるを得ないから、そうした側面から目を背けるために
知識の習得に専念してしまう、ということもあるだろう。

一方の患者は、病気になればいやでも、
自分の不完全さに直面せざるを得ない。
病識がない場合はともかく、たいていの場合は具合が悪くても
それがなぜなのか、自分の身体がどうなっているから
調子が悪いのか原因は特定できない。
そもそもある症状があったら、何科に行けばいいのかさえ
分からないのが我が国の医療制度なのだ。
だからなんとか納得いく答えが得られるまで
ドクターショッピングを重ねることになる。

でも、医学知識がないハンディをいやというほど感じながら、
知識だけでは自分という固有の問題は解決できないと
経験的に理解しているという意味では、
患者は医療者より一歩先んじているといえる。

人間はひとりひとりみんな違うし、
病気(患者)になればその様相は
健康な時とはさらに異なる多様性が増す。
医療者の仕事は本来多様で複雑なものだが
それを単純化してきたツケが今の医療の問題なのかもしれない。

そこのところをどうやって医療者と共有したらいいだろうか。


ERテレフォンクリニックウェブサイト: http://homepage2.nifty.com/er-telclinic

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