2012年10月 6日 (土)

「オーラル・ヒストリー」

2日続けて「オーラル・ヒストリーのためのインタビュー入門編」
のセミナーに出席。
主催したのはイスラエイド(IsraAID http://israaid.co.il/)という
イスラエルのNGO(国際人道支援フォーラム)で、
この団体はこれまでも世界各国でさまざまな支援活動をおこなってきている。
今回はその一環として、東北大震災の被災者の心のケアプロジェクトとして
昨年の震災後4日目に日本に入り続けてきた活動の延長線上にある
オーラル・ヒストリーのためのインタビュー手法を学ぼうというものである。

講師はアミア・リーブリッヒというイスラエルの心理学の大学教授。
セミナーはヒルトン東京の一室を使って行われた。
ヒルトンは今回の震災についても社会貢献として、
被災者や被災の援助者にさまざまなサポートをおこなっているとのこと。
教授やスタッフの宿泊費や部屋の使用も
すべて寄付(donation)によるとのことだった。

場所がすばらしくよいのと通訳付きで参加費無料、
しかも2日間にわたって17時から21時まで
というところに興味をそそられて参加を決めた。

リーブリッヒ教授は1993年に『キブツ その素顔』
という本を出しており、この本もオーラル・ヒストリ([口述記録)で
で構成されている。
どのように口述を取るかという技術や留意点についてが
講義と演習のの中心になった。

内容自体は私がこれまで学んできた電話相談における
コミュニケーションの方法とほとんど同じで、違和感はまったくない。
むしろよくあるインタビュー技術より電話相談に近いとさえ言える。
人の話を聴く手法や語りをとらえるという目的達成には
方法としての違いはさほどないことが分かって面白かった。

初日の演習でおこなった2人一組のインタビューのテーマは、
「子供時代の意味深い経験について」。
日本語で意味深い(meaningful)と言われると
ちょっと構える感じがあるが、これはむしろ「心に残った」
と訳してもらった方がよかったんじゃないかと思う。
こういうときに難しいのは、パートナーとして組んだ相手が
この種のワークにどの程度の経験や感性を持っているか
ということがやってみるまでは分からないことだ。
当たり障りのない話でお茶を濁すのか、本音を語るのか
ちょっと迷ったが、せっかくなので受け止めてもらえるかどうか
という不安を断ち切って少し突っ込んだ話をする。
こちらとしては、覚悟して話したつもりなのだが
その覚悟の部分は伝わらず、相手は自分の引き出し方がよかったので
深い話をしてもらえた、と受け取ったようだった。

うーむ。

どこの世界にも自己中心的な誤解をする人はいるものだ。
彼もがん患者のインタビューをやっているのだけど、
案外相手を感じることなく表面的なインタビューをやっているのかも。
「インタビューされてどうだったか」と先生に聞かれたので
「信頼するのが大変だったが、演習だと思ってやった」と
ちょっとムッとした感情をこめて答える。
これで少しは彼に通じただろうか。
インタビューされる側は相手が聞きたがっていると思う話を
するものだ、という教授の鋭いコメントに少しこころが癒される。

2日目の演習のテーマは「仕事でよかった日、悪かった日」というもの。
結局こちらでも話す側に回ってしまい、自分としては不本意だったが
この日は聞き手がよく、気分よく話すことができた。
相手は看護学の大学教授で、こういうとき看護技術は
なかなか優れていると思える。

大震災のあと、世界中から援助の手が差し伸べられた
という話は聞いていたが、イスラエルのNGOが震災直後から
被災地でさまざまな活動をしているとは知らなかった。
日本国内の団体はどうなのだろうか。

オーラルヒストリーの実際的な活動は
①話してもらうこと
②それらを聴くこと
③共通のテーマの語り(story)を集める
④集めたそれらを何らかの形で世に出す
 (インターネット、書物、アーカイブなど)
で成り立っている。

電話相談という自分の仕事も次の課題は
③と④だと確認できて勇気をもらうことができたのは何よりだった。

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2011年9月20日 (火)

悪魔の選択

小児科医のMLでは、福島は安全かどうかでバトル状態である。
危険を回避する方法は、除染、移住などいろいろあるかもしれないが
セシウム137の影響にしても、実際のところはよく分かっていない。
ホットスポットの測定値なども公表されるが、この値だって
風任せ、雨任せのところがあることを考えれば、
どこにいれば安全ということだって確定できないと
考えた方がいいんじゃないだろうか。

昨日の毎日新聞「核心」で大江健三郎さんも書いているように
http://jibetarian23.blog116.fc2.com/blog-entry-776.html
危機に際しては、腹を括るという態度が大事だと思う。

そんな昨日は、CSでスティーブン・キングの『悪魔の嵐』を観る。
これは以前にNHKでも放映したらしいが、観たような観なかったような
あいまいな記憶しかないから、たぶん一部しか観なかったのだろう。
原題は『世紀の大嵐』(STORM OF THE CENTURY)で
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=159762
私はこちらの方が、時間を感じさせて内容がよく分かるようにも思う。
主演の男優は『プライベート・プラクティス』に出ているティム・デイリー。
この人のお姉さんはタイン・デイリーで『ダーティーハリー3』に出ていた。
ハンサムな弟とはあんまり似てない(笑)が、印象に残る女優である。

話の筋は、孤立した島へ不気味な訪問者(人間の形をした悪魔)が
やってくるところから始まる。
前半2/3は、自殺、殺人、不審死といった
キングらしいコワ~イ場面の連続だが、後半1/3くらいから、一転して、
サンデル先生の授業みたいな密度の濃い内容になっていく。

悪魔の後継者として、こどもをひとり差し出せば
島民みんなの命を救ってやる。
差し出さなければ全員死んでいくことになる。
どうするか自分たちで決めるように。

と言われて、一番可能性のありそうなこどもの父親以外は
全員こどもを選ぶことを選択する。
(ここで、こどもの母親もそれに賛成するところが、
いかにもアメリカンミソジニーである)
この時点では、誰もが自分の子はなんとか
クジから外れる(外れてほしい、外れるはずである)と思っている。
で、当のその子が当たってしまったときになって、母親は半狂乱に。
他の島民は、誰かの犠牲の上に自分たちの命が救われたことに
若干の罪の意識を感じつつも一件落着、と安堵している。
まったく今まで助け合って生きてきた共同体の一員だって
いざとなったら自分が一番かわいい、と言うのは
自明なこととはいえ勝手なものである。
こどもは悪魔に連れ去られ、こどもの父親は妻と別れて
島を出ていき、自分の人生を再構築するが、抜け殻状態である。
妻はそれ以来、ずっと精神科にかかっているのだが、
最後までこどもは嵐に巻き込まれて海で死んだと言い続ける。
悪魔に「このことは決して口外してはならない)と言われたこともあるが
もちろん、自分がこどもを悪魔に渡す選択をした、
という過酷な事実を認めることができないからだ。
だから精神科医には「あなたは何かを隠している」と言われる。

まったく今の私たちが問われているような話である。
世紀の大嵐(地震と津波)がやってくるまで
そんなシビアな選択に迫られる事態がやってくるとは
想像もしなかった、愚かな国の愚かな私たち。
原発を選択した時点では、犠牲にするのは、
たかだかこどもひとりという程度の意識だったのかもしれず、
事故が起こるまでは、なんとかクジには外れてほしい
(外れるに違いない)と思い込んでいたのかもしれない。
くじ引きに参加するということは、当たりもあり得ると
その時点では思えないところが人間の見通しの悪さ、
というか抜きがたい愚かさというか。

大江さんも書いているように、明日は我が身だと思えば
今できることは、原発を享受してきた私たち全員が腹を括ることで、
本当は、原発を選択する時点で、全員が犠牲になること
(エネルギー消費大国を選択しない)を引き受けるべきだったのかもしれない。

せめて、こどもは海で失くしたのだ、というごまかしだけは
しないようにしたいと思う。


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2011年4月 4日 (月)

ぬるま湯から飛び出したいカエル

今回の地震は、世界がつながっていることを強く感じさせてくれた。
仮に震源が日本近海であっても、地震そのものは
日本だけで完結しているわけではなく、
まして津波ともなれば、地球の反対側にも大きな影響を与える。

地震と津波の被害が報道されてから入ってきた各国からの
援助や励ましの声は、日本という国がふだんニュースで言われているほど
存在感がないわけでも、世界からバカにされているわけでも
ない(らしい)ことを教えてくれた。
メディアは何かにつけて、経済も政治も二流とか三流と言い続けてきたが
よその国の人たちは、案外そんな風には見ていないのかもしれない。
同時に起こったことの大きさについても、他国によって知らされたという感じがする。
テレビで繰り返し映される津波の映像に呆然としている自分がおり
世界からの働きかけによって我に返っている、というところかもしれない。

さらに原発事故によって、いやでも世界はつながっていることを痛感させられた。
地続きでなくても放射性物質は空中を飛散し、他国にも影響を及ぼす。
アメリカやフランス、ドイツが間髪を置かず援助の手を差し伸べてきたのは
放射能の危険性を最小限にとどめようとする合理性に裏打ちされているからだ。

地震の直後に円が急騰したのが不思議だったが
これは後になって円を買い戻すことを見越した
円買いの影響だったと知って、金融界の嗅覚の鋭さに驚いたものだ。
地震によって受けた経済的な打撃を回復するためには
元気な地域が活発な経済活動をしなければならない、
というのも、ほんとかどうかはともかく、いかにも世界のつながりを感じさせる。
福岡とか大阪などはふだんと全く変わらない元気さらしいが
関東近辺は、いや少なくとも自分は、石原さんなどに言われなくたって、
なかなか出歩く気分にはなれないものだ。
ひとつには、一旦出たら帰ってこれないかも、
という不安が、まだ若干残っているからかもしれない。
もうひとつは、東北の復旧の遅さや
東電の原発に対する対処のしかたを見ていると、
現地で頑張っている人たちの努力はともかくとして、日本全体が、
何かぬるま湯のなかで茹でかかったカエルみたいに見えてしまうからだ。

石原さんの「自粛」要請に腹が立つのは、
それがカエルの発想から一歩も出ていないからだと思う。
彼が考えなければならないのは、どうやったらみんなが元気になれるか
ってことなのに、それを示せないのは彼も半分茹ってしまっているからだろう。

でも未曽有の災害のおかげで、いろいろな機関が、
いろいろと考え始めており、原発に絡んだエネルギー問題の提言も出始めている。
ふだんはなかなかお目にかかれない情報が手軽に入手できるのは
非常時の効用といってもいいかもしれない。

「無計画停電」から「戦略的エネルギーシフト」へ
http://www.isep.or.jp/images/press/ISEP_Strategy110323.pdf
は計画停電を実感した者として面白く読んだ。

「持続可能な社会をどう構想するか」鼎談pdfも面白い。
https://sites.google.com/site/structuralconstructivism/home/download
無料でダウンロードできるサイトの説明には

このたびの東日本大震災からの復興を原理的に考察し、
実質化するために、北大路書房の全面協力のもと、
学際誌『構造構成主義研究』4号特集
「持続可能な社会をどう構想するか」の無料ダウンロードができるようになりました。
昨年公刊された4号の特集では、池田清彦、竹田青嗣、西條剛央が
エネルギー問題、環境問題、経済問題、労働問題について徹底討議し、
東日本大震災後の日本の方向性を考えるうえでヒントになる考え方が提案されています。
今後のよりよい社会のあり方を考えるうえで参考になるようであれば幸いです。
なお、元のファイルはgooglesiteの仕様上大きすぎたため、アップロードに際して分割しております。
お手数をおかけしますがご了承ください。

とある。
太陽光発電じゃなくて太陽熱発電にした方がいい、とか
エネルギー問題と人口問題を同時に解決していく必要があり
そのために、どうやって世界各国が共通の価値認識を醸成していくか、
など興味深い議論が展開されている。
放射性物質は空を越えて飛んでいくが、
地球そのものは閉鎖系社会になりつつあるみたいだ。

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2011年3月28日 (月)

事実にたどりつくバロメーター

被災地ではない地域は少しずつ日常に戻りつつある。
スーパーの棚は少しずつ埋まり始めていて、
慌てなくても物資は十分に供給されていることが実感できる。
一時期は、なかなか手に入らなかった牛乳は
1店1本ずつなら苦労なく購入できるようになった。
お豆腐も、いくらか並び始めた。
一番寒いときにまったく手に入らなかったカイロも
ちょっと暖かくなったら楽に買えるようになった。
我が家のように郊外の畑が点在するような地域には
野菜はいつもどおり、いやいつも以上に豊富にある。
ほうれん草なんかバカ安でかわいそうみたいだ。
でも今日は無洗米はどこの店にもなく、これはきっと
被災地に優先して送られているのだろうと、ふつうのお米を購入。
何でも無ければ無くても済ませられるような生活をすれば
いいだけのことだし、そこでこそ生活者の腕が試されるというものだ。
中越地震の時から新潟県産品を愛用するようになったが
これからは、それに青森とか岩手とか宮城とか福島の物産も加わるのだろう。
ちなみに今日買ったお米は岩手産だ。
ただ、ものが少しずつ高値安定になっていきそうな兆しは懸念する。

地震後の1週間は、さすがに表に出る気になれなくて
バレエのレッスンも2回続けてお休みした。
読書も集中できなくて図書館の本も延滞気味だ。
でも、テレビで地震のニュースを見ながらお菓子をつまむという
もっとも不健康なカウチポテト生活も、さすがに1週間続けると
体が警戒信号を発し始めたので、日曜からレッスン開始。
やっぱり体は動かし続けるに限ると実感する。
少し気分が上向いてきたのを機にお気に入りの古着屋へ足を延ばす。
だんだんわかってきたのは、後で後悔するような買い物は
往々にして自分の精神状態がいまいちのときにしている、ということだが
掘り出し物をうまく見つけられたところを見ると、
肉体だけでなく精神も普通に戻りつつあるみたいだ。
今や買い物は自分を判断するバロメーターなのだ。

今回のいろいろな事象について、ネットを通じて情報交換することが多くなり
既存のメディアには流れない(流れてこなかった)情報も
手に入るようになって、ずいぶん勉強になった。
福島の原発事故では、原発について不勉強だった自分を痛感させられたが、
同時に、既存メディアがいかに肝心なことを伏せてきたかということも見えてきた。
どの人が何と言ったか、どのメディアがどんな情報を流したか、ということは
極力記憶しておき、後々の判断に役立てたいと思うが、
流された情報の内容は、そのメディアが権力とどのように結びついていたか
を表す指標と考えておいた方がいいのだろう。

たとえば地震が起きた当日、菅さんがまっさきに福島の原発を視察した
というニュースを聞いて、何か重大な事象が起きているのかもと予感した。
今(3月28日現在)になってみると、すでに当日の時点で今の状況は
相当程度予想できていたのだろうと思われる。
つまり、あの時点で放射性物質が流れ出るような事故が起きそうなこと
は分かっていたのであり、その収拾方法が、なかなか見つからない、
ということもあらかた見えていたのだろう。
しかし、この視察が対応を遅らせた、と報じるメディアもあったのである。
何か重大事件が起きたとき、現場を見るのは責任者にとっての鉄則だと思うが
そういう鉄則を不要と断じたメディアがあったということは忘れてはいけない。
そういうメディアは、まず信用できないと思ってよいだろう。

「撤退なんかできない!」と菅さんが東電を怒鳴りつけた、というニュースも
あたかもトップにあるまじき振る舞いとでもいうような口調で報じられた。
私は菅さんのいつものスタンドプレーかと思った口だが、
「撤退」という言葉に、ちょっと引っかかった。
東電が撤退できないのは当たり前なのに
なんでわざわざそんなことを言うのだろうと訝しく思った。
そしたら今になって、東電の側が「撤退したい」と申し入れており
それに対して菅さんが怒ったことが分かった。
でも、少なくとも私が購読している2紙は、どちらもそういう事実
つまり東電がそのように申し入れた、ということは報じていなかった。
故意からか、怠慢からか、一部分だけを報じることで、
一国の総理に対する信頼を損ねようとした裏には何があるのだろうか。
とても興味深い。
東電が事態の収拾に責任を取るのは当たり前のことだが
事実を正確に報じないメディアは、どのように責任を取るつもりだろうか。
自分が感じた違和感を突き詰めていくと、案外事実が見えてくる
ということが分かったのも、今回の地震の副産物として挙げておこう。

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2011年3月19日 (土)

学ぶチャンス

今回の東北関東大地震では、地震と津波だけでなく
原子力発電所の事故も重なって
被災地の救援と原発事故への対処という
2つの難題を抱えた状態が続いている。

被災地にいなかった者としてできることは、今回の地震から
いかに多くのことを学ぶかということだろう。
その最たるものは、地震と原子力発電所についてである。

地震については石橋克彦先生がすでに15年以上前に
予見されていらしたことを今回初めて知った。
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/2011touhoku.html

6年前には衆議院予算委員会の公聴会でも
日本列島が地震の活動期に入っており、それに応じた国土政策と
社会経済システムへと根本的な変革が必要だと述べておられる。
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/050223koujyutsu.pdf
このことについては自分が聞き逃したのか、それとも政治家は知っていたけど
一般国民には知らされなかったのかよく分からないが、
ここまでたいした関心を払わないまま来てしまった自分自身に怒りを感じる。

原子力発電所については、平井憲夫さんという人の手記が衝撃的だった。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/index.html

これについては本人が書いたものではない、とか
聞き書きした人が扇動的に書いているという批判もあるようだが
発電所の勤務実態を垣間見ることができる、という意味で価値があると思う。
原子力発電所がどのようなリスクと隣り合わせで運営されてきたか、
その恩恵を享受する側は、「それも仕事」という括りで
実態を見ようとしてこなかったのではないか。
そのようなリスクを負って(負わせて)まで利便性を享受するのか
ということを考えるのには、いいきっかけだろう。

福島原発の事故が最悪の経過をたどったとしても
空気中に飛散する放射性物質の量は、過去に比して
心配するほどではないという説明にも一理はあるだろう。

http://search.kankyo-hoshano.go.jp/food/dekigoto.html#03
http://www.kankyo-hoshano.go.jp/01/0101flash/01010221.html

私の年代は放射性物質が含まれた雨をさんざんかぶってきた世代だが、
とりあえず今のところ無事に過ごせている。
だから、いたずらに慌てる必要はないと思うが、
(というより腹を括ることの方が大事だと思うが)
もちろんそのことは原発の安全性を保証するものではない。
私たちは危険と隣り合わせの生活をしているのに、
その恩恵の大きさに目を眩まされて、危険性の評価については
すこぶる甘くなっているのだと思う。
今回の福島原発事故を、何とかやり過ごせた後の安堵が怖い。

私たち日本人は順応性が高い(単におとなしくて権威に弱いだけかもしれないが)
ために、計画停電だってなんだって、うまく乗り越えてしまう。
それが無批判な原発建設などの実態から目を背けることになっていなかったか、
なんでも政治にお任せで、政治家をきちんと監視しない
という依存性につながっていなかったか
せめてこの大地震を貴重な学習機会にしたい。

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2011年3月15日 (火)

相手の思いをうけとる強さを

被災地の状況が刻々と入ってくる中で気持ちを落ち着かせて
おくことはなかなか難しいかもしれない。

地震直後に出回ったデマメールは、ある意味私たちの動揺を
表していると考えればいいのだろう。
化学薬品を含んだ雨が降るから気をつけろ、とか
電力が足りないから節電しよう、など、
どれも善意を装った内容だけに信じられやすく拡散しやすい。
身近な人からのメールほど伝わりやすいのは、
公的情報より口コミ情報に信頼が置かれがちな現代に
典型な現象と言ってもよいだろう。

経験のない事態に遭遇して、いろいろな意見が飛び交う。すると、
「今はそんなことを言うべきではない」とか
「他人事だと思っているから、そんなことを言うんだ」などと言って
言論を封じようとする動きも出てくる。
ある意見が受け取る側の何かを刺激すると、
自分が耳を塞ぐのではなく相手を黙らせようとしてしまう。
聞くことに耐えられない自分、というのがあるのだろうが
なぜ耐えられないかを考える余裕がないので
勢い、発した相手を責めて黙らせようとする。

でも私はこういう未曽有の状況だから
そういうことを言い合える場では、感じたことを
もっともっと言い合えばいいと思う。
もちろんどこかの掲示板みたいに感情的に罵詈雑言を尽くす
というのは生産的ではないから避けたいが
少なくとも、感じたこと、問題と思うこと、今考えたいことを
できるだけさらけ出してみんなで議論することが、むしろ被災地ではない
所にいる人たちにとっては必要なんじゃないか、と思うのだ。
混乱状態は、自分たち、つまり日本人である私たちの弱点や苦手部分を
直視するいい機会だし、それをじっくり考えることは次につながる。
私たちは知らず知らずのうちに混乱しており、実は無意識にそうやって
精神の安定を保とうとしているんじゃないかと思うのだ。
言論の自由を徹底的に守ること、それが私たちを真に強くするように思う。


世界中の人たちが救援に来てくれている中で、下記のニュースは心を打った。

「アフガニスタンが「400万円」支援表明」

http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yucasee-201...

アフガニスタンのカンダハル州のグラム・ハイダル・ハミディ市長は12日、
東日本大震災の被災者に義援金5万ドル(約400万円)を送ることを表明した。

AFP通信によると、カンダハル州は反政府勢力タリバンとの内戦が
最も激しい地域の一つ。それにも関わらず、これまでに日本がアフガン復興を
熱心に支援してきたことへの恩返しとして、「市民を代表して地震と津波の
被災者を支援したい」と述べているという。

アフガニスタンの生活水準では、国民の3分の2が、
1日あたり2ドルという生活水準だとも言われており、
いかに大きな金額かが理解できる。

コピーここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分に余裕があるときに誰かに何かをすることは難しくないが
苦しいときに他者に手を差し伸べるのはほんとうに難しい。
そんなことしてくれなくてもいいのに、と思うが
思いは規制するのではなく、ありがたく受け取ることが
相手に報いることになるのだろうと思う。

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2011年3月14日 (月)

地震が起きた日

金曜日の地震から2日が経った。
まだ刻々と事態が変化しているので気持ちが落ち着かない。
テレビをつけっぱなしにしていることもあるかもしれないが、
かといってこういうときに情報を遮断する勇気もないし。
地震の被災地ではない所にいた者の記録を残すことにする。

たまたま外苑前にいて、今まで経験したことのないような
強い揺れを経験し、これは電車がストップすると思ったが
復旧までの時間は予想以上に長かった。
揺れの大きさから、長そうな予感がしたのでしばらく時間をつぶそうと
ドトールに入ろうとしたが、店も地震で混乱しており閉店状態。
携帯もラジコもつながらず、まずは家族の安否が確認できない。
地下鉄は
「安全確認をしている。他線は動いていない。復旧の見込みは不明」
と繰り返すばかり。
みんな同じことを考えているようで、近くのハンバーガーチェーンも満員。
外はめちゃくちゃ寒いので、駅の地下へ入ったら
運よくプロントに入ることができた。
さいわいテレビが映っていて、状況がいくらかつかめる。
長丁場になりそうな感じがしたので食事をすることに。
相変わらず携帯はつながらないが携帯メールはどうやら送れるようなので
家族に送ってみるが返事が来ない。
アメリカの妹からは安否確認のメールが来るのに。

そうこうしているうちにやっと娘から家族全員宛のメールが届く。
息子は東西線の途中の駅で止まっているらしい。
車で出かけている夫からは連絡なし。
JRは早々と本日中の復旧断念を宣言したので
頼みの綱は東京メトロだけだけど、動く気配がない。
なにしろ東西線は何本も川を渡るし、大風が吹いただけでストップする
くらいだから今日中には復旧しないかもしれない。
どこで夜を明かしたらいいかと考えてみるが思い浮かぶホテルは
ホテル西洋銀座くらい。
京橋まで行けばビジネスホテルがあるかなあ、とちょっと心細い。

そのうちに息子からメールが。
「自分は歩いて帰る。お母さんはマンガ喫茶かインターネットカフェを探しなさいと」
娘からは
「会社から帰宅するべく歩き出したので、途中でママを拾えれば
自分のアパートに泊まれるよ」とのメール。
なんだかたくましい子どもたち。
親が世話をされる側に回っていると思うと、ちょっと嬉しい。
そのうちに銀座線が動くとの情報が。急いで店を出て乗り込む。
娘に連絡を入れるが返事が来ない。
外苑前に向かっていると言っていたが、どこにいるんだろう。
あとで分かったのだが、外苑前にたどり着いていた娘も同じ電車に乗っており
でもリアルタイムにメールが届かないので、そこから別れ別れになってしまったのだ。
とりあえず日本橋で降りてみるが、どんどん人が溜まっている。
「東西線の復旧見込みはなし」とアナウンスが繰り返されるが、それでも溜まる一方。
これだけたくさんの人がいれば、メトロもプレッシャーだろうと思いつつ、
動かないときは地下で一夜を過ごすのだろうかと考える。
外は寒くて、とても歩いて帰る気にならないが
床に座るにしても下が冷たそうだ。
新聞紙か雑誌を持っていればよかった。
そのうちにようやく娘から返事が。
動き始めた半蔵門線に乗って宿にたどり着くことができた。

息子は途中で食事をしながら歩いて11時ごろ帰宅。
四街道にいた夫は7時間も渋滞の中にいたが、これも11時過ぎに帰宅とのことで
娘の部屋から2人とスカイプで話をする。
さいわい、我が家の被害はワイングラス1個と湯飲み茶わん1個だった。

翌日は半蔵門線とJRを乗り継いで帰宅。
本は全部本箱に収納していたので書籍流はなかったが、
ピアノの上の小物が落ちていたり、デスクの小引き出しも飛び出ていて、
やっぱりこちらも結構な揺れだったのだと実感。

それにしても、緊急時に携帯もインターネットも通じないのは計算外だった。
携帯メールは何とか送れても、タイムラグが1時間以上あって全然役に立たない。
出先でどうやって状況把握のための情報を得るか。
どうやって家族と連絡を取り合うか。
家へ帰れないときのために、どこに泊まるか。
少なくともこの3点だけは解決しておかなきゃ。

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